高校3年生の春、私とTの関係を大きく変えるきっかけとなったアルバイト。
風邪で1週間寝込んでいるうちに、私とTの間にKという一つ年下の男子高校生Kが入り込んでいた。苺をライポンで洗うパートの女性を怒鳴りつけたT。その度が過ぎる怒りの先にはパートの女性を嫌うTの姿が写っていたのだ。
私とTとKの長く辛い時の始まりはボールに揺られる苺だった。
私がこの世で嫌いなものの一つに男の浮かれた顔がある。例えば古い話になるがアイドル時代の近藤真彦。やんちゃと言われ、何をやっても温かい目で迎えられる男の存在は私には怒りの対象以外の何者でもなかった。
その感情の根底に何があるのか。考え始める私の頭にはきまって定規が現れる。私の頭を軸にして左右の耳から永遠にむかって伸びる定規。0を真ん中に右にはプラスの目盛りが世界を作り、左にはマイナスの目盛りの世界が果てしなく続いている。私の中核である鼻は不安定な支柱だ。固定できないその定規は常に右へ左へとすべり出し、留まることを知らない。ちょうど鼻の骨の所あたりには、私の居場所を示す赤い矢印がある。その矢印が目指す場所は“0”。誰が私にその物差しを与えたのか・・・。私はマイナスの世界の住人であることを子供時代から意識していた。
そんな私には男の定規にはめったにマイナスの世界がないように見える。悪くて0。最低でも0という世界は、自分の存在を危ぶむ恐れがない。それはどんなに安心できる世界だろう。私はその世界に生きる人が一番社会から温かな視線を送られ、そのことに無自覚であるという事実を感じる時、強い嫌悪と怒りを覚えるのだ。そして苺をライポンで洗うパート女性を怒るKを見た時、私はこの嫌悪に似たものを強く感じ取った。そしてそんなKの行動を喜ぶTはこの時、私の中で違う世界の住人へとなっていったのだ。
このままではTと一緒にいられなくなる。私の焦りは日に日に大きくなっていった。しかしTと会えるのはバイトの時だけ。電話も通じない日が続いた。
男達に囲まれ笑い声を上げるT。Tは日に日に明るくなり、私は日に日に暗く沈んでいった。『Tをこのまま失いたくない!』その気持ちだけが、私をバイトの工場へ向かわせた。この頃のTは私との関係がバレることをとても恐れていた。必要以上に私を“ただの仲の良いオンナ友達”と見せるよう、言葉遣いも会話の内容にも気を使うTは私の言葉をシャットアウトする。
Tとまともに話せるチャンスは日に1度。バイトが終わり、トイレで身支度をする鏡の前のTに会う時だ。時間にして5分。私はこの時間のためにその日を生きていた。「どうして連絡をくれないの!」怒りをぶつける日もあれば、『暗く沈んでいると煙たがれる。明るくしなきゃ!』とテンションMAXにして2日がかりで調べ選んだおいしいパスタの店に誘ってみたり、あの手この手でTとゆっくり話せる時間を作ろうと考える日々。しかしKがいる時はその言葉に耳を傾けることはなかった。それでも私はいつでもTとセックスができるように胸をつぶし、爪切りとコーラの瓶を持ち歩いていた。今度するセックスが私とTの行方を左右する。そう直感していた私は、私のカラダが少しでもオンナだと感じられないよう急なセックスにも対応できるよう準備していたのだ。
卒業式をあと数日で迎えようとする頃、私の胸に重く響く声が飛び込んできた。
「よっ! K。今日も仲良し出勤かよ! Tさん最近コイツ浮かれちゃって大変なんですよ! Kのこと宜しく頼みますよ!! Tさん」
私の手から作りかけのビデオがこぼれるのをスローモーションのように感じながら、私はゆっくりTの顔を探した。Tは一瞬ハッとしたような顔で私の顔を見つめている。それはほんの一瞬だった。Tが照れるKの顔に合うようなふざける笑顔を作った瞬間、私が抱いていた疑惑が真実だったことを知った。