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先月は二丁目でお酒を飲みすぎました。ここのところ一軒飲みに行くとそのあと三軒くらいハシゴして最初に飲んだ店に戻るというような飲み方をしてしまいます。

誰かにそれを求められているわけでもないのにおかしな話です。
なにか大きな理由があって飲みにいくわけでもありません。アルコール依存かもしれませんが、二丁目依存といってもいいかもしれません。

飲みすすめていくと、糸の切れた凧のようになるときがあります。足元に糸がついていてお酒でいい気分になって二丁目を旋回していたら、ぷつ、っと切れてあとは家まで飛ばされて一日が終わるイメージです。
お酒が飲めてよかったわ、とか、だれそれに会えて楽しかったわ、と思いながら、淋しさがまぎれたことに安心して眠りについている、と思われます。

この淋しさの正体はよくわかりません。小さい子どもの頃のようでもあるし、年を取るにつれて深みを帯びてきている気配もあります。
翌日正午にまた二丁目に出勤して酔いが醒めていくのを感じながら仕事を始めます。
昼間から二丁目にはいろんなひとたちがいます。毎日ビデオ屋をまわって棚をチェックするひと、店の軒先に一日中座り込んでいるひと、通りをゆっくり何往復もするひと、昨夜飲みすぎて路上で眠り込んでいるひと。

道路で寝ているひとには、状況をみて声をかけます。そこは車に轢かれるよ、とか、炎天下だから日陰に入ったら、とか、帰れるんだったらもう家に帰りなさい、とか、酔っ払いには共鳴するようです。
ただ、通りにシラフで一日中いる人たちには声をかけません。

彼らも、初対面のときに私がほとんど反応しなかったので、お互いの姿は見えていますが、会っていないみたいに無言で通り過ぎます。
私も彼らもずっと二丁目にいるので、これが半日のうちに何回も繰り返されます。
彼らは二十代の男子たちと五十代以上のおじさんたちで構成されています。
若いひとたちは地方から出てきて寝床と職を持っていません。誰かに声をかけてもらうのを待っている子たち、ということで「待ち子」と呼ばれています。

うまくいけば寮つきのウリ専やゲイバーの店子にもらわれて昼間の通りから姿を消します。昔からこの風習はあるようで、今はそんなに景気が良くないからか、男子たちはあまりもらわれていかず、一年も二年も路上にいます。
おじさんたちの正体はいまだによくわかりません。ナンパ目的か居場所が他にないのか無職なのか金持ちなのか・・確かめようにも、彼らと口をきくことに私の体が拒絶反応を示すので、できません。ビデオ屋に涼みに入ってきたら追い出してしまうほど了見が狭くなります。ずっとラーメン屋の軒先に立っていたり、ぶらぶらしている姿を毎日見ていると、自縛霊や浮遊霊のように見えてきて、どうにも気持ちが悪いのです。

けれど私が声をかけなくても、角の米屋のおじさんたちとは普通に談笑しているので、二丁目に来たら淋しくないのか、と思います。時々、待ち子たちとおじさんたちが十人ほど道路に集まって井戸端会議もしています。私には異世界のコミュニティーがそこにあります。

たまに夜のゲイバーめぐりで私が行く店のカウンターにその中の一人が座っているとギョっとします。それでも明日も通りで見かけるのだから・・と思うと私は声をかけたくなくなってしまいます。一度声をかけたらこの先ずっと毎日毎日挨拶をして少しは話をしなければならないのかと思うと恐怖です。
というより、同族嫌悪かもしれません。

私は働いているけれどたいした理由もなくそのお金をたくさんゲイバーに落としていて、彼らが働いているかどうかは知りませんがひがな一日同じ顔ぶれと過ごしていて、人恋しさや淋しさを埋めるという観点からみると、二丁目の利用法としては共通しているものがあるように思います。それが利用ではなく依存だとしたら、生産的でも人のためでもないので、どちらも褒められたものじゃないかもしれませんが・・。

そんなことを思ったのは、今週末に予定されている二丁目祭り、通称レインボー祭りが延期になるかもしれない、という話を聞いたからでしょうか。
毎年全国からたくさんのひとが集ってきて二丁目の通りを埋め尽くします。
秋葉原の殺人事件以降、歩行者天国やそうした祭りの開催に対して、警察からの許可が降りにくいのだそうです。

秋葉原の事件は大きな傷痕を残しました。
待ち子の一人で、いつも携帯電話から爆音で音楽を流しながら歩いている男の子がいます。宇多田ヒカルや青山テルマの歌が流れていて、好きで聞いているにしては過剰なアピールのように思えて、誰かに話しかけてもらうキッカケをつくっているのかしら・・とその様子を見ているうちに、ふと、アキバの犯人や殺人予告をしたひとたちには好きな音楽はなかったのかしら、と思いました。店内で有線をかけていても今の二十代のひとたちの音楽をそれほど必要としていない私ですが、私が十代から二十代のころはたくさん歌を聞いて歌詞も読み込んで、それに救われていたことがたくさんあったな、と思います。

彼らにとってミュージシャンたちは、自己表現が成功して社会に受け入れられた勝ち組でしかなくて、その歌や存在が共感を呼ぶどころか、さらに自分を追い詰める状況にまで陥っているのか、などと思います。
私はただの飲んだくれですがそんな自分を含め、二丁目に居場所を見つけたひとたちに、それが依存でもなんでも「この街に来て誰かと話せてよかったね」と、このごろ本気で思います。それは、「自分や人を殺さずにすんでよかったね」という意味ですが、ろくに口もきいていないひとたちをそこまで自分に重ねることは、いいかげん失礼かもしれません。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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