高校時代の友人の結婚式に招かれた。同級生たちのほとんどは子育ての真っ最中。一同にそろうのは冠婚葬祭以外になかなかなく、数年ぶりの再会が怖くもあり、楽しみでもあった。
38歳だ。林真須美の死刑が最高裁で確定したニュースを、恐怖! と思って震えた。「えん罪」の可能性がゼロとはいえない状況でも、死刑は確定されるのか。怖すぎる、と思いながらふと気がついて思わず計算したのは、あの悲惨な事件が起きたときの林真須美の年だった。あの時、ミキハウスを着たオバサン、と思っていた彼女は、今の私よりも若かったのだ。不敵なオバサン笑い、とテレビに釘付けになった林真須美のあのデップリとした迷いのない堂々たる不敵な笑みは、37歳のものだったのだ。
学生時代の友人に会うのは、少しだけ怖い。40も近くなると、顔ができあがってきているだろう。私は自分に自信がない。この間も、一時停止違反をして白バイに捕まったのだが、公務執行妨害にあたるんじゃないかと思うほどに、ごねた。人間ができていない証拠だ。テレビをみても、いつもテレビの中の人たちと意見があわなくていらいらする。草彅剛さんの自宅に警察が入ったそうだが、深夜の公園で全裸で大声で騒いでただけでなぜそこまでやるのか、とイヤな気分になる。全裸で気持ちよくなっている時に警察官に囲まれて、無理矢理連れていかれそうになったら「裸でなにが悪いんだ」とか言ってしまうことなんてアリマスよ、と私なんかは思ってしまう。「裸で何が悪い」と言ったことが、まるで「人を殺して何が悪い」と言っているのと同じくらいの騒ぎで問題になっているのはなぜ。有名人だから? テレビの中では一般人が、「有名な人には、きちんとしてほしい」とか言っている。へー、そうなんだー、バカみたい。テレビの中の通りすがりの人にもいらいらする。
それでいい、と思っていたのだ。私は私だし、って。でも気がつくと、猫としか気持ちが通じ合っていない気がする。そういえば亡くなった伊丹十三氏の昔のインタビューがテレビで流れていた。氏が40代になったばかりの頃の映像で、こんなことを話していた。
「ずっと人間関係が苦手でした。人を簡単に傷つけてしまうのに、自分が傷つくのに敏感だったから」
最近そういうことを克服した、という内容だったので、伊丹氏は30代に人間関係で苦労したのか・・・としみじみしながら、なんだか、ほっとする自分がいる。まだまだ大人になれる機会はある。
というような色々な思いで、結婚式に行った。ウエディングドレスを着た友人は美しく、年下の夫と共に式の最後に挨拶をした彼女は堂々としていて立派だった。「花嫁」の存在がドレスだけでなく、客からの美辞麗句だけでなく、彼女自身の言葉で際だつ結婚式だった。大学卒業してからずーと同じ会社に勤め続けている彼女の着実さに圧倒された。大人だよ、立派だよ。そして、彼女とその夫になる人が何度も言った「安らぎのある家庭をつくりたい」という言葉にも、はっと、打たれた。安らぎのある家庭。「安らぎ」というものを他人との間に、パートナーとの間に、私はこれまで実感したことがあったか。走馬燈のように色々と振り返りそうになって、やめた。
この日、私は友人たちに何度か笑われたしなめられた。
「カメラ持って来てるの!? 写すの!? うそ、普通のことしてる!」(結婚式だからカメラくらい、持ってくるだろう・・・)
「変わらないねぇ!(笑)」(写真を撮りたくてちょこまか動いていたら)
「そういうことは式ではしゃべらないの」(何か不適切な会話をしたらしい)
「最近のコラム、社会性が身についたと思うよ。面白味でいうと、また別なんだけど」
今の顔を心配する必要などなかったのだ。私は昔から怪獣扱いされていたのだな、と思い出した。そうだったっけかな、となんだか不思議な思いになりながら、大人になった友人が、大人になっていなさそうな私を笑う、という図式は、なかなか楽ちんだな、と思った。人間が怪獣のまま許容される場所なんて、なかなかないからね。
帰り道。最後まで一緒だった友人が言う。
「これから先の人生で呼ばれる結婚式なんてあるのかな、って考えちゃった。だから結婚式っぽい服を買えなかったよ」
確かに葬儀でも通用するシンプルな紺色のワンピースを彼女は着ていた。現実的な思考をするその姿勢は高校時代からまったく変わっていないね、と驚き嬉しい。私は自分に自信がないあまり、ネールサロンに行き、髪を染め、服を念入りに選び、靴を買い、カチューシャを買い、ストッキングも買ったんだよ、と言おうとした時に降りる駅になった。きっとそういう私も、昔から変わってないんだろうな。昔から、ずっと、自分に自信がないのかもしれない。
またね、バイバイ、また会おう。