ラブピースクラブはフェミニズムの視点でセックスグッズを売り始めた日本で最初のトーイショップです。Since 1996

家具が買えない病

田房永子2011.12.08

Loading...

 3年前に実の両親と関わるのをやめることにしたので、お腹の子供が生まれる予定日まで3ヶ月をきったけど、未だ両親に報告してない。『私が会いたくなったら』、孫が生まれたことを教えに会いに行けばいいや、と思っていた。
 だけど産院の入院する部屋を見学した時、「ここだったら両親を呼んでもいいかな?」と少し思った。ここで親に孫を見せる、その光景をイメージするとほんわか優しい気持ちが生まれた。
 だけど私は現在住んでるところの住所を両親に伝えておらず、他にもいろいろ、「母に知られてはならぬこと」がある。
 それは昔、私が当時の彼氏と住んでいたアパートにアポ無しで母が何度も来たり、彼氏が居留守を使うとベランダに侵入して窓を叩いたり、私に怒りを主張する時も母はベランダの窓を叩いた。母がいきなりやって来る! ヤァヤァヤァ! ベランダに入った! 窓ドンドンドン! またドアノブに食べ物が! ヒイイィィィ!! というトラウマができ、以来3回引っ越してるけど自宅に招いたことがない。住所以外にもよく行くお店や行動範囲など、母には個人情報を漏らさないというのが私のマイテリトリーを守る唯一絶対の方法である。
 母は、私が新しい人間関係を作るとその中で「お気に入り・好きな人」を作る“癖”があり、私の知らないあいだに私の彼氏、友人、バイト先のおばさん等にプレゼントしたりお茶に誘って二人きりでおしゃべりしたり等を繰り広げる。相手は男女年齢を問わず、気の優しい“断れない”タイプの人。私の彼氏を自分の彼氏みたいな感じで目をハートマークにして語るようになる。
 結婚した時、夫のこともそうなるだろうと懸念したが、夫は愛想がよくないタイプなので、母はめずらしく無関心だった。母は「お気に入り認定」を夫の母(私の姑)へスライドした。夫の両親は遠方に住んでいるし、夫の家族の誰かを「お気に入り認定」するとはまさか思わなかった。
 結婚前、電話で挨拶しただけの姑を「いい人いい人 大好き大好き」とハートマークの目で言い出した時、絶望した。その後、母の姑好きは暴走しまくりプレゼント攻撃をしたり無難と言えない言動を繰り広げた。私が「姑と穏便にやっていきたい(今後なにがあるか分からないから、今のところ何ごともなく過ごしたい)から控えて欲しい」と訴えても大騒ぎして私を黙らせ、自分のやりたいことをやる母。私は当時妊娠していた(すぐ流産)が、母にとっては私の妊娠よりも、姑LOVE話が重要であった。
 母に自分の何かを教えると無駄に疲れることになるので、一切を教えられない。
 生まれてすぐ病院に両親を呼んで、産後疲れてる時に「実の親に対して個人情報を守る」なんてこの世で一番面倒くさいことを敢行できるのだろうか?
 私が、母の傾向からその行動を推測することで母が入ってこないように苦心しても、母はその上をいく奇抜な行動でスルッと侵入してきた。待望の孫となれば、向こうも手を緩めないだろう。想像しただけで一気に心臓と胃と頭が痛んできて、母と断絶している現在も、母のテリトリー侵入は決行されているのだった。
 私は片付けられない女であり、その原因がなんなのか、ずっと考えていた。
 結婚して、夫が「台所には食器棚、寝室にはタンスが必要だ」と言うのだけど、私はどうしても必要だと思えないから買う気になれず、「いらない」と言って安いカラーボックスなどを使っていた。「片付けられないのは収納家具がないからだよ」と夫に言われても意味が分からない。とにかくそんなちゃんとした家具なんか必要ないとしか思えなかった。
 今年妊娠して、片付けられない人生を本格的に卒業したいと強く思うようになった。根本から考え直しているうち、「台所に食器棚、寝室にタンスの必要性」が分かってきた。確かに、台所には食器棚、寝室にはタンスが必要である。絶対にいる。そういえばどこの家にもある。あるってことは、あったほうが便利だからである。
 私は「食器棚とタンスが必要であることが分かった」と夫に伝えた。結婚して3年以上が経過していた。夫と選んで買った食器棚が家に届いた時、やっとここが「家」になったという感じがして、異様に感動した。

 私は12歳まですごく狭い団地に住んでいて、自分のスペースというものがなかった。自分の何か大切なものを収納する場所が頻繁に変わったり、なくなったり、母が捨てたり、母がいたずら書きをしたり(好意で)、そんな記憶が強い。「収納」というものへの信頼が、最初からなかったと思う。
 12歳からは新築の一軒家に引っ越した。母と父は、私の意向は聞かずに私の部屋を形成した。カーテン、マット、ベッドカバー、全て私の好みではなく、今思うと実用性のある家具が何もなかった。他の部屋にはあった。母は常にほぼ毎日、「誰が住まわせてやってるんだ」的なことを私に言っていて、「いやなら出て行け」が口癖だった。
 22歳で家を飛び出して(母と住んでることが耐えられなくなった)、前述の元彼と住み始めるのだが、ここではもっと自分のスペースはなかった。元彼は、部屋で私のテリトリーを広げさせないようにしていて、必要なものは買ってはいけなかった。
 私は「片付けられない」というよりも、「自分の家」という実感が沸いたことがないので、そんないつまでいるか分からない場所に高いお金で家具を買って「永住、安住を決める」という行為ができないんじゃないかと思った。「片付けられない」の前に、「家具が買えない」という病気にかかっているんじゃないか、と思った。
 中学生くらいからなかなか家に帰らず、近所の公園で一人で時間をつぶしまくり、高校生になったらギリギリまで友達と遊んだ。元彼と同棲中も深夜までネットカフェに行ったり、どこかをウロウロする癖があって、自分のことを「散歩好き」だと思っていた。だけどあれは単なる帰宅恐怖症だったと一人暮らしをしてから気付いた。今は家が大好きだけど、夫と喧嘩した時は帰りたくなくなるし、夫もそうなるし、人間ってそういうものだと思う。家に居場所がないと帰りたくなくなるんだ、ということがわかった。つまり自分は26歳くらいまで、家に居場所がなかったんだと思う。家具が買えなくて、片付けられなくて当然だと思う。
 そんなに珍しいことでもなく、実はこういう「家具が買えない病」の人はたくさんいるんじゃないだろうか。家族や恋人と住んでる家だからって、そこが居心地がいいとは限らないし、家族や恋人を作るということは、「結婚する」とか「告白する」とか「子供を生む」とかそんなことではなくて、「一緒に暮らして居心地がいい人を見つける」ということだと思う。途中で居心地が悪くなったらそこから出ればいいし、「結婚したから」とか「家族だから」とかで妙な無理をするのは健康によくない。
 家具は買ってみると、とにかく快適だった。特に食器棚なんてほぼ一生買い換える必要がないし、買い換えたきゃ換えればいいし、どうってことないものだった。
 母と離れて3年経ち、初めて得られた安心の感覚。「親には子供の顔を見せるものだから」。そんな「普通のこと」に惑わされて、母に会ったら私の安心は一瞬で崩壊する。子どもを生み、私自身が子どもと会う瞬間そこに母がいるなんて、私にはやはり苦行すぎる。
 産院の場所は知らせず、『私が会いたくなったら』母と子供を会わせることに決めた。
kagukaenai_20111208.jpg

Loading...

田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

RANKING人気記事

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOP