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ラリホーな、母の愛

田房永子2012.02.16

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母とつきあっていた時期のストレスもすごかったけど、「お母さんと関わっていたら私は生きていられない…」と一方的に断絶を決めて実行したあと、また違う種類の大変さがあった。
 「母」という、自分の体にベタッと貼り付いているものをべリベリと引き剥がさなきゃならない。罪悪感を振り切り、剥がした物体を眺めると今度は、いかに母が私のことをペット感覚で扱っていたかを自覚しなきゃいけない苦しみが襲ってくる。
 普通に生活は送っているけど、常に心は憤りでいっぱい。夫に弁当を作っていると、「母はどうして、小学生の私にあんなグシャグシャの弁当を平気で渡していたのか」「どうして水筒に麦茶じゃなくてぬるい水道水しか入れてくれなかったのか」と延々と恨みの念が出てきて、顔の中心にシワが寄ってくる(肛門みたいになる)。それと同時に、知らないおばさんたちの声で「そんなことで親を粗末に扱うなんて親不孝ねぇ」「育ててもらったんじゃない、お母さんのこと大切にしなきゃだめよぉ」「もっとヒドイ親なんてたくさんいるのにぃ」と『世間の声』がわんわんと耳の中に響く。肛門顔で「うるさい! うるさい!」とその声に言い返さないと気持ちが保てない。テレビで泣き叫ぶ子供の映像が流れるとフラッシュバックして唇や手が勝手に震えだしたり、それだけ拒絶しているのに、夢の中ではほぼ毎日母と会う。私の世話をしようとする母が出てきて、「永子ちゃん、永子ちゃん」と私に服を着させようとしたり、体を洗おうとしたり、生理的に執拗にからんでくる夢が多かった。そこで私は「離れろぉぉぉぉぉ!!」と抵抗し、母を足で蹴り飛ばす。するとズドーン! とすごい音がして、足に走る激痛で目が覚める。たいてい壁や足元にある何かしらを思い切り蹴り倒していた。
 2年目あたりになるとカウンセリングや、親で悩んでいる人の集まりに行きまくるようになった。一度、ひきこもりや精神病になった人が集まる勉強会に行った。私の向かいの席に、つばの大きい帽子を目深にかぶって、更にマスクをしている20代前半と思われる女の子がいた。ずっと下を向いているので顔の一部分も見えなくて、動かずにジッとしている。異様なオーラが出ていた。会が始まって後半になると、いつのまにか女の子はいなくなっていた。会の最後、一人ずつ感想を話す時、その女の子の隣の席のおばさんがハツラツと話し始めた。
 「さっきまで隣にいたのは私の娘です。彼女は精神病で、今日も来たくないって言ってたけど、来て、座ることはできました。だけどコートも脱げないし、カバンも下ろせないんです。でも、座ることはできたのでよくできたと思います。それで途中で帰るって言ったので、どうぞって帰しました」
 どうです、という感じで堂々と話すおばさん。精神病の子供を持つ親の会を発足し、積極的に活動していると楽しそうに話していた。

 中学生の頃、母が近所の美容室へ行く時は、私の分も予約していて、急に「行くよ」と言われていたことを思い出した。別に髪を切りたくないのだが決められている。しかも母が予約する美容師さんはデ・ザイアなバーニング・ラブな中森明菜な美容師さんで、どうしてもいやで「行かない」と言っても、「予約したんだから行くんだよ!!」と肛門顔で怒鳴られる。下を向いたまま髪を切ってもらっていた。
 美容院だけでなく、母は私の何もかもの行き先を決めたがっていた。私立中学受験も受ける学校も知らないあいだに決まっていて、その学校で母はママ友を作って充実した6年間をハツラツと過ごしていた。私は、母による“乗っ取り”に反発する隙が得られただけだった。あの女の子の帽子とマスクをとったら、そこに自分の顔があっても何もおかしくない。
 丸2年ほど経ったある日、バスに乗ってボーッとしていた時、急に「あれ? 母は死んだんだっけ?」と思った。「好きすぎる母が死んでしまい、そのつらさに耐えられず、私は母が憎い、と思い込んでいるんだっけ? それとも生きていて本当に嫌いなんだっけ?」と分からなくなった。この頃から『世間の声』も聞こえなくなり、ものすごくラクになった。

 先日、「成人した娘から拒否されていて、何年も口をきいてもらえない」という女性に会った。女性は「子供に嫌われるのも、親の仕事だから」と、寂しそうな表情よりもしっかりした面持ちのほうが若干強めの口調で言った。その何も疑っていない風情に衝撃を受けた。母親って、こんなに楽観的なんだ…! うちのお母さんも今、こういう感じにちがいない。
 私が「いま妊娠している」と話すと、女性は「立会い出産の時は、自分のお母さんに手を握ってもらうのが一番安心するって聞きますよ」と言った。私は「母と断絶状態なんで、そういう機会がないんです」と答えた。すると女性は少し悲しげな顔になったあと、「大丈夫、出産の時になったら仲が戻りますよ」と真剣な目をして言った。その目がすごくまっすぐで、ハッ! としてしまった。
 母親ってものは、シンプルなんだ。何か大きなイベントがあれば、娘ともとに戻るって思ってる。そういえば、自分から母を剥がすことに何度も失敗し「良好な関係」に戻ってしまうたび、母はうれしそう「やっと元の永子ちゃんに戻った~♪」とか、「永子ちゃんは修行に行ってるんだと思って、お母さん待ってたの」とラリホ~☆なノリで言い、私の背筋を凍らせた。娘が感じてる、母親に対するしがらみの1%も0.00001%すら、母親のほうは感じてない。完全に無邪気。ばかじゃないのかって思うくらい、そこにはトゲトゲしたものが何もない。あれだけの悪事を娘へ働きまくっておいて、どうしてそんなに屈託なくポケッとしていられるんだ。
 子供が何をしても、本当に母親には痛くも痒くもない、なんでもないことなんだ。それが分かったら、悔しくって、でもどこかから大きな安心があふれてきて、泣き出したいような気持ちになった。くそったれ、ありがとう、絶望、ほっこり、ふざけんな、ぬくもり、それらが全部合わさったグシャグシャな気持ち。
 私のいまお腹の中にいるのは女の子で、すごく元気だ。一日中、元気に私の肝臓のあたりをボコンボコン蹴っている。たまに何か集中しなきゃいけないのに内臓を蹴られまくると苦しくて、「やめて」って思うときもある。だけど基本的には「今日も元気でよかったな」って思うだけ。私はこの「蹴り」に意味があるなんて思ってない。だけどもしかしたら、この子はこんなところにいたくなくて、へその緒で胎盤で繋がって、栄養を母からもらわないと生きていられない自分の状況がいやでいやで仕方ないかもしれない。「離れろぉぉぉぉぉ!!」って泣き叫びながら、渾身の恨みを込めて蹴ってるってことも、あるかもしれない。この子は赤ちゃんだからここにいるのが当たり前、と私が勝手に思ってるだけで、本人にとっては不服以外の何でもないって場合も充分にありうる。
 だけど、全身全霊の憎しみを込めて私の体内を蹴り上げてるのかもしれないけど、そうされても私は、「オッ、元気ですなあ~」と思うだけだ。ものすごい余裕。ハッキリ嫌われることは悲しいけど「私を嫌うくらい、元気に生きてる。結構結構」が最後には勝ってしまう、その気持ちがなんとなく分かる。母には太刀打ちできないなって思った。私がやれることは、とことん母を嫌って逃げ続け、今度は自分が子供に無自覚の嫌がらせを繰り広げ、嫌われることなんだなって思った。そこに絶望感はなく、少し楽しみなほど、私はちゃんともう図々しくなっている。
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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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