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「いやらしい子」問題

田房永子2012.06.07

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 3月、私は初めての出産をした。その数ヶ月前、おなかの中の“何か”が「女の子」だと分かったとき、すごくうれしかった。診察室で「えへっ あはっ 女の子? うへっへっへっ」と笑いがとまらなかった。それまで「絶対女の子がいい!」と意識していたわけではなかったし、もしかして「男の子」でも同じようにうれしかったかもしれないけど、スキップしながら帰る勢いで喜んでいる自分に「私はこんなに『女の子』を望んでいたんだな」と思った。
 3月末、私の単行本「母がしんどい」が発売された。「母がしんどい」は、両親との決別に至るまでを描いたコミックエッセイ。「母といるとなんだか息苦しい」女の子、エイコが主人公で、幼少期からのエピソードをまとめた。その中で、「お母さんがブラジャーを買ってくれない」という項がある。
《学校の周りの子はもうみんな、スポーツブラじゃなくて本格的なブラジャーをつけている。お母さんに「ブラジャーを買うお金をちょうだい」と言っても無視される。お金がないとか倹約とかってわけじゃなく、「美容院代」や「ケーキ代」は自らくれようとする母。頼み込んでやっとブラジャーを買ってもらうことに成功した。「お母さん、ありがとう!」しかしなぜかお母さんは「ブラジャーは自分で買え!」と激昂する。》
 私は長年、この不可解な思い出を「母は自分の理想に近づくこと(娘が自分好みのヘアスタイルになる、ケーキを食べながらおしゃべりを楽しむ母娘になる)以外は一切お金を使わない人なんだ」ということにしていた。だけど、母娘関係がこんがらがっている人にとって「母がブラジャーを買ってくれない」は、あるあるネタどころか超王道なエピソードであると知り、「母がしんどい」の中に入れることにした。発売後、「うちもブラジャーを買ってくれなかった」という読者の方の声がたくさん届いた。
 「母がしんどい、と思って生きてきた娘」たちの母親たちが、判を押したように「ブラジャーを買ってくれない」のはどうしてなのだろうか。娘のブラジャーを買い与えない母親は、「娘の成長を快く思っていない。いつまでも自分の赤ちゃんでいてほしいと思っている」としばしば分析される。だけど私はいまいちピンとこなかった。私は自分の子供(現在生後3ヶ月)から「ブラジャーを買ってくれ」と言われる日のことを、布団に横になって想像してみることにした。
 私の子供(Nちゃん)が、幼児になって小学生になっていく様子を丁寧にイメージしていった。Nちゃんの体にはブラジャーをつけたほうがよいと判断した時がきた。私はきっとスポーツブラ的な、オーガニックコットンな布で出来てる素朴なブラジャーをNちゃんに買い与えるであろうと思う。Nちゃん的にもそれで問題ないのではないだろうか。もし、赤いチェックとかプードル柄とか、その時流行っているものや友達と同じものがいいという要望があれば、きっと私はNちゃんが満足し、お気に入りになるブラジャーを買ってあげます。私は母のようにブラジャーを買い与えないことで、母親のたんすからブラジャーを盗んでつけるような生活をNちゃんには送らせない。お気に入りで体を包むということは、きっと自分に自信が持てる行為なのじゃないかしら。女性として当たり前のそんな世界、私は知ることができなかったから、Nちゃんには味わってもらいたい。
 と、「初のスポーツブラ及びプリント柄ブラジャー」を買うところまではすんなり行った。
 しかし、問題はここからだったのです。しばらくしてNちゃんが「クラスのみんなは、こんな綿でできたのじゃなくて、本格的なブラジャーをしている。私も買って欲しい」と言ってくる時のこと。「本格的なブラジャー」とは、妙なグリーンとかピンクとかの自然界にない色の布でできていて、ワイヤーが入ってて「よせてあげる」的な機能があったり、細い糸での刺繍が施してあったりする、一般的な大人がつけるあれです。
 あれ(本格的なブラジャー)を、ティーンになったNちゃんがつける…。私はその想像をしたとき、固まってしまった。「なんかいやだな」と自分が「抵抗」を感じていることに、体が硬直してしまったのです…!
 綿や柄モノ、いわゆる「子供っぽいブラ」なら全く抵抗がないのに、「本格的ブラジャー」は「え、これをNちゃんがするの? 私が買わなきゃいけないの?」って思った。正直思った。私、「ブラジャーを買ってくれない母」とまったく同じ反応をしてる! なんで?!
 この時の自分の気持ちを見つめてみた。体を保護するという意味合いが強い「子供っぽいブラ」は、子供用肌着の延長という感じがあって抵抗がない。だけど「本格的ブラジャー」はなんていうか、「娘がつけているものとして見たくない」という気持ちが含まれていると思った。同じNちゃんのブラジャーでも、スヌーピー柄のブラジャーなら見れる。だけどお花が刺繍されたツルッとした素材のブラジャーは、なんだか見ちゃいけないもののような気がする。その感覚はもはや「娘のかばんから出てきたコンドーム」と同じである。必要なのは分かってる。禁止するつもりもない。だけど、私の見えないところで使って。ブラジャーも、「自分で買いなさい」。
 「娘の成長を拒んでいる」というよりは、家族の秘密の部分に反射的に拒否反応している、というのに近い気がした。その反応はむしろ健全と言っていいのではないかと思う。問題があるとすれば、子供側にとっては生活必需品の「本格的ブラジャー」というアイテムに母親側が「秘密の部分」つまり性的な香りを無意識に感じている、という点だと思う。
 母親と関係がこんがらがっている人の「よくある思い出」として、「母親から『いやらしい子』と軽蔑されるように言われ傷ついた」というのがある。子供側は、なんでもない普通のことを無邪気にしているだけなのに、母親が一方的にその光景にエロスを感じて吐き出す「いやらしい子」というセリフ。その際、本当に「いやらしい」のは母親のほうであり、その現場を「いやらしい」ものと変えてしまったのは母親本人である。私は母親から「いやらしい子」と言われたことがないが、自分の言動に母親が突然怒り出すという理不尽な思い出の中の4割くらいはこの「母親が勝手にエロスの空気を察知して反応している」という状況だった気がする。
 生後3ヶ月の赤ちゃんは、顔を見ても声を聞いても、男の子か女の子かの判別はできない。女の子っぽい仕草とかも特にないし、青い服を着せていれば男の子に見えたりもする。そしてこの時期の赤ちゃんは「アウー」とか「ヒーン」とか声を出して叫ぶようになる。Nちゃんもよく「ハヒュー」とか「うきゃー」とか声を出している。私とか夫のことを「誰か」とは認識しているようだが、まだ自分自身に「手」という便利なものがついている、ということも分かってない感じ。そんなNちゃんが先日、夫の顔を見つめながら「あっふぅ~ん…」と声を出した。それがなんか色っぽくて、「エッ」と驚いて固まってしまった。厳密に言えば、赤ちゃんの声を色っぽいと感じ、そして夫(自分の男)に向かってそういう声を出している女、として一瞬でもNちゃんのことをつまり「敵」のような存在として認識した自分の脳に驚いた。「いやいや、おいおいどうした自分」と言い聞かせて情報処理するのに時間がかかり、そのあいだ固まってしまったのだった。他人から見たら性別が分からなくても、「豆太郎」という名前がピッタリな外見であっても、私の中では既にNちゃんはれっきとした女なんだと思った。もしNちゃんが男の子だったら、夫に「あっふぅ~ん…」と言っていても「アハハ、かっわいー」で終わるんじゃないかと思う。だからつまり、生後3ヶ月のNちゃんが「女」なのは私の心がNちゃんを「女」と認識している、ということであり、Nちゃんの「あっふぅ~ん…」に色気を感じたのも、私自身の今までの知識と心の反映なのである。
 「いやらしい子」反応をして、子供を無闇に傷つけることを避けるには、一体どうしたらいいんだろう。具体的な対策は今のところ私にはまったく分からない。私は、こういうことを意識しすぎて、母親みたいになりたくないという思いと「いやらしい子」反応しないと自分へ課したミッションをクリアするために、何でもないような顔をして「本格的ブラジャー」をNちゃんと買いには行くと思う。しかし肝心の下着売り場で「こっちにしたら。こっちのほうがいいんじゃない」とスヌーピー柄の綿でできたブラジャーをしつこく薦める母親になるような気が、猛烈に今、している。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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