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男たちのAKB48

田房永子2013.02.05

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 AKB48のメンバーと自分の顔を合成して“2人の赤ちゃん”の顔写真を作れるサービス「わたしと赤ちゃん作らない? ネットでね。」は、一部の人たちの特殊な趣味に対してサービス精神の高い女の子たちがお仕事でやっている、という感じがして、流すことができた。あれは「一部の人たちのもの」だったし、スキャンダルも嫌悪感も全部「話題作り」に転換するAKB48商法、いわゆる「注目してしまったほうが負け」という先手商売がまだ成立してたと思う。だから無視することで意思表示ができた。だけど峯岸みなみさんの坊主謝罪動画は、そんな域を超えちゃっていて、騒ぎに加担したらAKB48商法の思惑通りだ、なんて思わなかった。ファンの人たちの欲望に身を削って応えているうちに、ファンの人たちの間でも手に負えないモンスターに、AKB48はなっちゃったんだと思った。
 もともと私はAKB48には「明るいブルセラ」という印象しか持てなかった。「総選挙」もテレビで見たけど、誰が何位とかよりも、ステージ上で泣きじゃくりながら夢は必ず叶う的な演説をしてファンへ感謝の意を述べる。そのほうがメインとしか思えない。この人たちは一体、何のグループなのだろう。ブルセラとキャバクラが融合した感じ、ここにどうして「夢語りと涙と感謝」が必要なのだろう? ウォークマンでアイドルソングを聴きつつ雑居ビルの一室で女の子の写真を選んでパンツ買う1990年代ブルセラの要素が淘汰されて、2010年代は制服姿の女の子達自身がアイドルソングを歌うという合理的展開がAKB48なのではないかと思う。女子供の目を盗んでひっそりと行われていた文化が“表沙汰”になる時、そこには「夢語りと涙と感謝」が必要不可欠だ。そういう印象の上で、峯岸さんの坊主謝罪動画は、まったく違和感がなかった。「異常な事態だ」と思ったけど、峯岸みなみという女の子は「正常な人だ」と思った。それがものすごく怖かった。
 YAHOOのニュースに、弁護士の伊藤和子さんが書いた『坊主謝罪動画』に関する記事が載っていた。「あんな職場がもし身近にあったら、恐ろしい。あのような行動を容認している職場環境は、ほぼ例外なく、人権への配慮のないパワハラ的環境であろう」「恋愛禁止を理由に解雇や降格するのは人権侵害で違法である(略)女子柔道の暴力、レイプの問題と、AKB48の問題、通底しているのは日本の男社会が若い女の子を本当に蔑視し、人権を軽視し、性を商品化し、虐げていること。」(抜粋)とあった。全面的にうなずきながら読んだ。しかしそこについたコメントは「恋愛したいならAKB48を辞めればいいだけのこと」という意見がほぼ100%だった。フェイスブックコメントなので名前とアイコン写真からそのほとんどが男性ということが分かる。AKBファンの男とそうじゃない男が入り乱れ、「世の中の馬鹿な男達が自己満足の為にメンバーを食い物にする可能性がある。そのような事を防ぐには恋愛禁止にし、メンバーが誘惑されない事が一番有効」だとか「丸坊主謝罪は『で、結局のところどうなの? ヤったの? ヤってないの?』という核心ついた質問から峯岸を守る為に演出された、上層部の精一杯の『親心』だ」とかそんなコメントが200件以上もついている。いつも明るくテレビ番組に出ている女の子が丸坊主にして悲壮な涙を流して許しを乞うというショッキング映像として、人間の欲望の気持ち悪いところだけを凝縮した巨大モンスターが東京湾から出てきたみたいな事態になってるのに「峯岸みなみが処女である可能性はなくはない」みたいなクソどうでもいいことをまだ考えてるなんて…。「AKB48のメンバーは今後、謝罪をする際にどんなことをしなきゃいけないの、自殺者が出ちゃうよ」という声がたくさんあがっていたけど、このコメントを読む限り、“それでいい”んだ。峯岸みなみは『これ以上ない』謝罪をしてAKBメンバーを追い詰めることで、『セックスかAKB48脱退か』という環境を『セックスか死か』に変えて、ファンへ提示したんだ。
 「これがルールなんだ」「女の子も納得してやってるんだ」「恋愛したいならやめればいいんだ」「自発的にやっているんだから、性の搾取ではない」と男達はヒステリックに叫ぶ。彼らの言葉を見ていると、なんだか男子中学生と会話してるような感じがする。「トレーナー、逆に着てるよ」と中学生の息子に言って、「今はこれが流行りなんだよ! ババアは黙ってろ!」ってボコボコに殴られるお母ちゃんと自分が重なる。当の女の子の前ではモジモジして、心の中で「他の男と絶対ヤんないでくれよ」と祈る、中学生男子。ここには「大人の男(女の人を人間として扱う、コミュニケーションができる)」が登場しない。若い処女以外の女は「お母ちゃん」の位置に立たされる。
 そこに立たされると、「アイドルのルール」を知らない自分が間違っているのか? という不安が湧いてくる。知りたくなって、「DOCUMENTARY of AKB48 to be continued」と「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on ~少女たちは傷つきながら、夢を見る~」(AKBの裏側を撮ったドキュメンタリー映画の第1弾と2弾)のDVDを近所のツタヤで借りてきて観た。ダンスや歌のレッスンをすんごくがんばっていて、客観視する力が物凄く高い女の子たちなんだ、と知った。何かと泣いて、何かと抱き合って、何かと語る。“ファンが求めるもの=秋元康が指示するもの”を忠実に素直に表現できる人たち。昔、私が働いていた職場で雷が鳴ったり害虫が出たりすると、「キャー!」とか「うえ~ん」とか言う女がいた。その女を抱きしめて頭をヨシヨシして「だぁいじょおぶッ」って言う女もいる。他の女たちはその様子にシラーッとしてるんだけど、2人は盛り上がっている。日常にはそういう光景があるが、「第1弾ドキュメンタリー」にはAKB48という、大量のあの「ヨシヨシ」の2人組が延々と映っていた。
 「第2弾ドキュメンタリー」には、前田敦子がコンサート本番中に過呼吸になって、ずっと苦しんでるシーンがある。やっとの状態で舞台に立つけど、お客さんの前でも荒れる呼吸を整えることができない。すごく苦しそう。ああ、曲が始まっちゃう、どうなるの…。イントロが流れ、前田敦子が消えた。と思ったら、大音量の曲と共にバッ! と笑顔で前田敦子が踊り出す。「アアッ!」と鳥肌が立った。これか! これが「アイドル」か! 限界ギリギリで苦しむ、だけどステージでは「アイドル」の顔を崩さない。その姿を見た時の快感、確かにゾクゾクする。そのゾクゾクをより強く感じるために、重圧(恋愛禁止など)が必要なんだ。やっと意味が分かった。アイドルって面白い。

 AKB48は、彼女達自身が運営していたら、どんなに楽しいグループだろう。男達の欲望を逆手にとって、それに基づいたビジネスルールを自分たちで決めて、秋元康にお金を払って曲を書かせ、その上で坊主になって謝罪したりする「アイドル」を売っていたら、私は楽しんだり文句を言ったりしながら、たくさんお金を使って応援すると思う。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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