ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

banner_2212biird

ひとりっ子は可哀相か

2013.02.18

Loading...

 0歳からの育児雑誌「AERA with Baby」(2013年2月号)に、ひとりっ子についての記事があった。「二人目を作るか」特集の中で、子供は一人と決めた家庭へのフォロー記事という感じだった。「希望が叶わない事情があって、子どもは一人という家庭もあります。それは決して悪いことでも恥じることでもありません。ひとりっ子にはひとりっ子のよさがこんなにあるんです!」だって。声に出して朗読したら、こめかみの血管が浮いてしまいそうな見出し。「ひとりっ子」の親ってそんなに罪悪感を持つものなのか。

 ひとりっ子の私は小さい頃、きょうだいが欲しくて欲しくて(あと千回)たまらなかった。二段ベッドにお姉ちゃんと上下で寝るのに憧れた。遊園地や旅行先の子どもの遊び場は、知らない子どもたちがきょうだいで遊んでいるので、一人で「キャー!」とかはしゃいだり大声で笑ったりすることができず、声を殺すのに一生懸命だった。大人の中に子どもが一人、という状況が多く、本やビデオを見てなさい、と言われる。小学1年くらいの頃、母の友人の家でミッキーマウスのビデオを見せられ、可笑しくて爆笑したいのに一人で笑うのが恥ずかしくて、首をグルグル回してガマンし続けて呼吸困難みたいになった。思春期になると、親と揉めた時に一緒になって戦える人がいない、ということに強烈な絶望を感じた。

 母は私を生んだ数年後に流産したと言っていた。小さい頃からその話を聞いていたので、「生まれなかったんなら仕方ないなあ」と思う気持ちもあった。それに、父自身が兄弟のことで困っていて「永子には妹弟で苦労するのは可哀相だからつくらない」という理由でひとりっ子だと決めた、という説も母から聞いていた。その妹弟も父にとっては自分の子なのに、私(長女)の「敵」になるから最初からつくらない、というのは一体どういうことなのかよく分からなかった。ただ、それほど父が兄弟関係で困っているんだということだけは伝わってきたし、流産してしまった母をそう言って励ましたのかな、という風にも子供ながらに思った。どっちにしても子供にとっては理由になっていない、どうでもいいことだ。だけど大人になって、「自分がきょうだいで苦労したから、子供はひとりっ子にする」という人は意外に多いことを知った。

 子どもの頃から孤独死に怯え、「今からお母さんが出産してくれたらいいな」とか異父・異母兄弟がいないんだろうか、とか、結構ずっと思っていた。だけど今はきょうだいへの憧れはなくなり、きょうだいがいる人に比べてひとりっ子がいいとか悪いとか、全然思わなくなった。自分の中で、どうでもいいことカテゴリーに移動した。「きょうだいがいること」と「いないこと」のメリット・デメリットを検証しまくっているうち、比べられないし比べてもしかたがない、と分かった。ひとりっ子の友達で30歳になってもまだ「きょうだいが欲しかった」と言ってる人もいるし、「子供の頃からひとりっ子でさみしいとかイヤだとか思ったことがない」という人もいる。ひとりっ子の間でも、答えはひとつじゃない。なのに、「子供は何人欲しいか」という話題で「ひとりっ子は可哀相」とはっきり言う人がいる。目の前にいる私がひとりっ子育ちだと分かっていて、だけど私のことを言ってるわけではなく、頭で自分の未来の子供を想像してナチュラルに「可哀相」と言う。私は確かに子供の頃はきょうだいが欲しかったけど、「可哀相」ではなかったと思う。「可哀相ね」と面と向かって言う大人もいなかったけど、「可哀相」と思われてたとしたら、そのことが可哀相だなと思う。

RANKING人気コラム

  • OLIVE
  • LOVE PIECE CLUB WOMENʼS SEX TOY STORE
  • femistation
  • bababoshi

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOPへ