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「母の家」

茶屋ひろし2013.01.21

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尼ヶ崎連続変死事件の容疑者について友達が、「わからない。わからないし、わかってしまっては駄目な気がする」と言いました。
ふんふん、そうかもね、などと適当な相槌を打ちながら、私はあの顔写真を思い浮かべていました。「ホンモノの写真」を見たとき、母に似ている・・! と驚きました。そのことを口にはしませんでしたが、友達には「でも、ああいう支配的なおばちゃんは関西によくいる気がする」とつい口走ってしまいました。
兄が高校生の頃、部屋の扉を、鍵のついたものからすりガラスの引き戸に替えられそうになって抵抗していた姿をよく覚えています。
そのころ私は小学生で、姉と同じ部屋にいました。一人部屋をもらっていた兄の抵抗はよくわかりました。母は勝手に部屋に入ってくる人だからです。
抵抗はむなしく強行されました。
今はとりあえず実家に住まわせてもらっている私ですが、十年前に引越ししたこの家にはほとんど住んだことがありません。当然、私の部屋は最初からありません。二階の一間を借りて寝起きしています。隣の姉の部屋とは襖で仕切ることができます。取り外した欄間のあとが襖の上にあります。ネットカフェのようなつくりです。部屋の扉は引き戸で真ん中にすりガラスがはめこまれています。鍵はなく、母親は、「入るで」と扉を開けてから言います。
形だけの密室はできますが、音や光は筒抜けで、出入りも自由のようです。
昔から思っていましたが、母にとって家は身体の一部です。隅々まで知らないことがあってはなりません。この家はもともと建売ですが、そのリフォームの際には、何度か疲労で倒れるくらい、細かくしつこく注文を出し続けた渾身の作品です。
その家に住むことで、私のプライヴァシーは、ほぼなくなりました。
「あんた、病院の領収書捨ててあったで。気をつけんと」
と言われた時も驚きませんでした。やはりゴミまでチェックされています。
「ほんまにー」と流します。
かつて一緒に暮らしていた時に、何度かキレて怒ったことがあるように思います。
勝手に部屋に入らないで、掃除しないで、触らないで、読まないで、エトセトラ・・。
その直後は遠慮してくれますが、時が経てば戻ります。
プライヴァシーを侵害しているとは思っていないようです。
隠しているあなたが悪い、ここは私の家だ、何が悪い、といったところでしょうか。
良いか悪いかではなくて、嫌なのですが、いくら言っても変わらなかったので、諦めました。母が諦めなかったのかもしれません。
二十歳の時に「母の家」を出てからずっと一人暮らしを続けてきました。たまに帰って泊まるときは、何を見られてもかまわない気持ちで臨むようになりました。
見られたことがないのは、パソコンの中くらいです。
先日、通帳や判子を入れる場所も指定されましたが、入れません。
今は、その母に食事をつくってもらって洗濯もしてもらっています。これがダブルバインドです。自分でするから、と断っても聞いてくれません。同じ「恩恵」を受けている姉が食事のあとの片付けと風呂掃除をしているのを見て、私も自分の食べたあとの洗い物をしていたら、「日に何回も洗い物されたらガス代が高くつくし、まとめてやるから置いといて」と取り上げられました。
家事のやりかたがすでにあって、それに沿わない仕事はありがた迷惑なのでしょう。
毎日掃除機をかけています。毎日洗濯をしています。料理も朝晩つくります。しかも早朝に起きて。
感謝こそすれ文句の言えない状況になるのが困ります。発言を制限されて手足をもがれていくような気分になります。
便座の蓋は下げる、とか、蛇口をシャワーにしたままにしない、などのルールを守れたり守れなかったりします。そのうち、毎日のように「傘持ったか」と出がけに訊いてくる母に、「傘を持つか持たないかくらい、自分で判断します!」とキレてしまいました。母は不機嫌に黙り込んでしまいましたが、三日後には、「午後から雨や言うとるで、傘持ったか」と始まりました。柄に判子のシールを付けた折りたたみ傘のことです。
玄関先で、「ええわ(大阪弁)」と断ると、「持って行き、って!」と私がキレたときのようにおかしくなって傘を私の鞄にねじこもうとします。「いらん、て」と私も意地になって鞄の口を押さえていると、通りがかった父が見かねて、「何、しとんねんな。ほっときなはれ」と母に言いました。すると空気が抜けたように母のテンションが下がりました。
それは「心配」というより「執心」のようなものだと思いますが、そうなるまでに至った歴史が濃厚で太刀打ちできません。おまけに私は、料理洗濯掃除もしないくせにその感覚だけを身に着けたようで、好きな男に逃げられてきました。
引越し資金が出来たら部屋を借りて出て行きますが、しばらくこの受難は続きそうです。というか、出て行ったところでこの関係は終わりそうにありません。
結局のところ、母が私をコントロールできないことと同じくらい、いろんなことを諦めて我慢して自分の居場所を作り上げたという意味では、私も「母の家」を否定できないからです。
というようなことをコラムに書くんだわ、と朝刊を見たら、百円で夜をしのぐ、「マクドナルド難民」と呼ばれる三十代の人たちを取り上げた特集が一面で、寝るところがあるだけやっぱり文句は言えないかも・・、と二の足を踏んでしまいました。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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