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“お母ちゃん”から見たAKB48<後編>

田房永子2013.08.26

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〔2013年5月31日の<前編>からの続きです〕

 曲が始まり、踊り出すと、16人いる女の子の中で、とにかく大島優子を見てしまう。
 大島優子は表情の多さがハンパじゃない。大島優子の表情の数は、普通の人間の5億倍くらいある。単純に、顔の筋肉が普通の人間よりも細かく動く人なのかもしれないが、それだけではない、細胞レベルでの違いがあるように思えた。だから「大島優子を見ないと損」という感覚が自然と脳に働き、他の子を見ようとしても、自然と大島優子に視線を引っ張られてしまう。
 他のメンバーたちもダンスがうまく、一生懸命だ。だけど大島優子に比べると、表情が堅く見える。言い方はよくないかもしれないけど、甘みやうまみや風味が豊かな高級な豆腐と、1丁80円で売ってるスーパーの固い豆腐の違いみたいな感じだ。板野友美は顔の完成度が高いし、秋元才加の表情の作りもかなり豊富だが、大島優子の表情筋の柔軟さは異次元に超過しているレベルだ。
 大島優子を見てしまうのは一体なんなのか、私は必死に考えていた。考えよう、としないと、爆音と目まぐるしいダンスと女の子が入れ替わり立ち代わる舞台展開に圧倒され、思考が停止してしまう。

 ある曲中に、舞台の背景の壁が、からくり扉のように反転した。壁の裏が鏡になっているので、踊っているメンバーの後ろ姿を見れるという演出だ。ステージを観ている客席までもがその鏡に映る。私は観客達の顔を見ようと目をこらした。生の太ももにニタニタと笑みを漏らして見ているに違いない。しかし、スケベな顔をして観ている人は一人もいなかった。電車の座席のようなイスに肩を寄せ合って座り、“圧倒され放心している顔”で舞台を見ている男たち(女の人はほんの数人)。イヤらしい顔をしているよりも、ちょっと異様だった。
 だって普通、コンサートって、ライブって、熱狂するモンじゃないだろうか? DA PUMPのライブに行った時のこと。観客の女たちはボーカルのISSAがウインクしたり、腰を前後に振ったり、投げキッスをすれば、その度にライブ会場の建物全体が揺れるほどに歓喜の叫び声をあげる。それは、ISSAというセックスシンボルを使って、女たちが欲望を爆発させている光景だった。

 ライブは、ミュージシャンと観客のSEXだ。ISSAを見て女の観客はエクスタシーに浸っていたし、スパルタローカルズというバンドを見に行った時はボーカルが声を出す度に会場にいる300人の客たちが前後に揺れ喘ぎ、見事なピストン運動になっていた。金髪豚野郎騒動で世間をドン引きさせた泰葉は、一生懸命歌唱するあまり、一方的な潮吹きショーを見せるようなステージを披露し、客席を「もういいから…」というような空気にしていたこともあった。
 だから私は、AKBのファンは偉そうに、ふんぞり返って笑みを浮かべて、プロデューサー気取りな顔で、AKBのライブを見るんだと思っていた。それはSEXではなく、女子高生がおやじと援交するみたいな関係。「頭の悪い女子高生だなあ」と思いながら女子高生のディティールに興奮するブルセラおやじと、「おやじキモイ」と言いながら、内なる恐怖心を隠し漠然とした物欲のために下着を売る女子校生、そういった互いがバカにし合っている感じが根底にあるんだと思っていた。それが、“お母ちゃん”からするとキモくてキモくて、そういうものが根底にある文化のようなものがテレビからしょっちゅう流れてるのがイヤだし一体もうなんなの、あんたたちいい加減にして。そういう心持ちだった。
 だけど、実際のAKBファンは、AKBの女の子たちに“食われている”顔をしていた。後ろのほうで合いの手を入れているベテランファンみたいな人たちの声は聞こえるけど、観客の見方は基本的に受身だった。
 ブルセラ女子高生とおやじではなく、されるがままの童貞男と寛大な手ほどきをする風俗嬢という関係のほうが近かった。というか、そのものだった。
 ちゃんと曲を聞こうとしても、男になった自分が風俗店に行って、大島優子を指名している風景がなぜか脳裏に浮かんでくる。本当に不思議だが、どうしてもどうしても浮かんでしまう。
 大島優子以外のメンバーたちも、確かにうまい。プロ意識がなきゃできないだろうし、本当にがんばっているんだろうな、と思う。だけど、大島優子は、どんなにひどめの包茎だろうが、短小だろうが、「ああ、そういうの見たことあるよ~。ダイジョブだよ」とサラッと言ってくれそうな安心感がある。つまんない話でも「そうなんだ~」って、重すぎず軽すぎない、本当に適度な相槌を心地よく打ってくれそうな気がする。「ああ、俺しゃべりすぎだなあ」と思いながらも大島優子を前にすると趣味の話などが止まらなくなるはずだ。だけどイエスマンってわけじゃなく、変なことは「それはこうしたらいいよ」とかイイ感じに教えてくれたりしそう。すごく楽しくて心地よくて、すっかり時間を忘れてしまうんだけど、その間も大島優子はちゃんと時計を見ていてくれて、そつなく俺に服を着せて時間ピッタリにいい気持ちで部屋の外に出してくれる。大島優子を指名した帰りはいつも頬が痛い。笑顔でしゃべりすぎるからだ。
 そんな大島優子の貫禄に比べると、他の女の子たちは、どこかしらに「普通の女の子」感があって、こわい。自分のコンプレックスな部分を見せたときに「ひいてる感じ」が伝わってきたり、つまんない話にはつまんなそうな態度を隠し切れなかったり、不機嫌な日があったりしそう。
 だけど大島優子は、いつでも安定したサービスをしてくれそうだ。そんな彼女がこのお店のナンバーワンなのは当たり前。いろんな男に指名されてるのは知ってるけど、きっと彼女は、誰に対しても一定の態度をするし、俺が指名した時に、いつも通りでいてくれれば何も問題はない。
 だけど、もし、大島優子が誰か特定の恋人をつくって、失恋したりして、元気がなくなったり、取り乱したりしたら、それは絶対に耐えられない。そんな姿を、俺に見せることが許せない。一度そういう大島優子を見てしまったら、もう無理だ。俺の憩いの場はもうなくなってしまう。どうしてくれるんだ… だからできれば恋人なんて作らないで欲しい。

 と、私の中に童貞男の人格が生まれ、勝手に脳内でしゃべり出した。
 童貞男は、「いつでも同じでいて欲しい」「俺が安心したい」という気持ちが強かった。恋愛しない、動じない、不安を癒してくれて、いつでも励ましてくれる。そんな「優しいおばあちゃん」みたいなものを求めている。身体はぴちぴちだけど、内面は「優しいおばあちゃん」でいて欲しい。そんな欲求を、大島優子は満たしている。(ライブは有名な歌はほとんど歌わず、爆音なので歌詞も聞き取れない。つまり歌詞の力ではなく、踊りとMCでちょっと喋るだけで、“お母ちゃん”目線でやってきた女に童貞男の視点を見せ、それを感じさせる大島優子は本当にすごい。)
 さらに大島優子のパフォーマンスは、私にK君のことを思い出せた。
 K君は私の学生時代の友人で、卒業してから5年間、メル友だった。私から送ることはないが、K君からは長文のポエムみたいな日記が送られてきたり、たまに電話もかかってきた。たいていはK君が仕事の愚痴を吐いたり世を憂いたり、自分がいかにダメな奴かを語る。K君の口癖は「俺は会社にスポイルされている」だった。とにかくスポイルスポイル言っていた。
 私は不思議とK君が言って欲しいことが分かり、「そんなことないよ、K君はがんばってると思うよ?」とか、自分の経験談も交えつつ「自分をねぎらってあげなきゃだめ!」と強めに言うこともあった。K君の声はかけてきた瞬間は暗かったのが、最後は決まって安堵のボイスになる。私と電話して元気になった感じがありありと伝わってくる。お互いに恋愛感情というのがまったくないのにメールや電話が何年も途切れず続いたのは、私のほうにもそれなりの達成感があったのかもしれないと思う。
 K君とはリアルの友人のはずなのに電話やメールでだけ親密になるのも妙な気がしたので、私は「みんなで今度会おうね」とよく言った。だけどK君は頑なに聞こえないふりをするので、会うことはなかった。
 その時、私は25歳だったと思う。仕事で猛烈に嫌なことがあったので、K君の真似をして、どれだけ嫌な目に遭い、のた打ち回るほど苦しく、そんな自分がいかにダメな奴かという長文の自戒の叫びをメールで送りつけた。
 励ましてくれると思った。私は今まで何年間もK君の愚痴を聞き、慰めてきた。友人なんだから、今度は私がそれをやってもらえると思った。
 だけど、K君からは「君は愚かしい」という一文が届いた。意味が分からなくて「どういうこと?」と返信すると、いきなり「もうそんな人とメールも電話もしたくない。してこないでくれ」と返ってきた。いやいや、自分からしてきてたんでしょーが、と思ったし、私が送った仕事の愚痴もK君と関係ないし、K君が私を愚かだと罵る理由は全く見当たらない。私が何を言ってもダメで、一方的に絶交されてしまった。ショックすぎて1年くらい、K君と同じ苗字の人を見ると吐き気がした。
 出会い系で知り合った女にスクール水着を着せてSEXをしているというK君は「出会い系の女なんて汚くて愛せない」とよく言っていた。「彼女にするなら宮崎あおいみたいなキレイな子じゃないと無理」と言って、必ず彼氏がいる女の子を好きになるので恋人がいたことがなかった。そんな、女に対して「娼婦」と「処女」の2つのイメージしか持っていないK君は、私のことを一体どう思っていたんだろう、というのは、それから9年近く経っても何度か考えたがよく分からなかった。
 だけど、大島優子を見て、分かった。K君にとって私は、AKB48だったんだ! 大島優子だったんだ! アイドルだったんだ! 「優しいおばあちゃん」だったんだ!

 冗談じゃねえよ、Kの野郎。自分の要望(会いたくはない。会って顔見たらつまんないから。自分が電話したいときだけ出てくれるのがいい。自分の話ずっと聞いてくれて適度に慰めてくれればいい。だけど、そっちの人間的な苦しみを丸出しにされても困る。そんなことされたらこっちから切る)ばっかりで、私のことは人として見てなかったんだ。そりゃ、おばあちゃんから生々しい苦しみの相談されても困るよね。勝手にそんな風に思われて、私はもっと怒ればよかったのに、バカ正直に友人の一人だと思ってた。
 踊ってるだけで、観客の長年持っていた謎を払拭させる大島優子と15人の女の子に感動して、爆音の中、目頭が熱くなった。

 AKB48は基本的に、K君のような男性の心理に対してサービスをするアイドルプロジェクトなんだと思う。その根源は、「優しいおばあちゃん」を求める心だ。
 「優しいおばあちゃん」が女子高生みたいな制服を着て、元気に飛び跳ねて恋心を歌う。
 それは、男が作り出した男のためのサービスだけど、大島優子みたいな、男たちが想定したものを遙かに上回るほどの「優しくて気の利くおばあちゃん」を徹底して提供できる人がいると、作り手も観客も一気に食われてしまって、他のメンバーも揃って「AKBというグループで働いている人」を超えてしまう。観客がいるから歌っているのか、歌っているのを見させてもらっているのかなんだか分からなくなる。だから、観客はボーっと静寂してステージを見つめることになる。
 私のAKB48ライブ体験は、“お母ちゃん”が“息子”のよく行く風俗店を突き止め、“少女凌辱系”だと思ってビクビクしてたら、安定したナンバーワンがいる正統派な風俗店で呆気にとられた、という感じだった。
 3時間もあるライブが終わると、なんと出口に16人のメンバーが並んでいて、全員とハイタッチができる。どんだけサービスするんだ。最初がいきなり大島優子だったので、「すごかったです!」と叫んだら、「そ、そうなんだ」という感じのびっくりした笑顔で私を見てくれた。その瞬間、後ろにいたスタッフの男性にすごい勢いで背中を押されて、走る新幹線からホームにいる人を見るみたいなスピードで、16人とハイタッチした。
 「90年代のブルセラ文化が変な風に進化して生まれた気味の悪い団体」というAKB48への個人的な印象は160度変わった。帰りにAKB48の写真が入ったグッズを買わざるを得なかった。もし、MCで時事問題や自分達の置かれている状況を女として分析したりするようなおしゃべりしていたら、180度変わって私はAKB狂いになっていたと思う。だけど、AKBがMCでそんな話をすることは永久にない。それだけが180度へ届かない理由だった。
 その後、6月にAKB48の「選抜総選挙」があった。AKBの中で一番“茶の間”に浸透しているメンバーが1位になってしまった。指原莉乃は「笑っていいとも!」に出ているので、「タモリさんも千原ジュニアも応援している」とアナウンスされていた。AKB48の中では“色物キャラ”とされていて、つまりアイドルとしては正統派じゃないという意味だ。だけどそれは、ファンじゃない視聴者にも馴染みやすい人物ということでもある。そういう人が1位になって、ファン層とファンじゃない層がひとつになってしまった感じがした。
 選抜総選挙で1位になった人は、次の新曲でセンターで歌うことができる。指原莉乃のセンターの曲は、衣装がピエロみたいな、サーカスみたいなゴテゴテした服で、今までの水着やら女子高生の制服を模した生々しい感じがない。老若男女が「国民的」なものとして受け入れやすい、AKB48の今までの曲に比べるとオタク色の薄い、“おとなしい”曲だ。
 そして6月の終わりから、NHKの朝ドラ「あまちゃん」で、海女さんになりたがっていた主人公が急にアイドルを目指す展開になった。
 総選挙で指原莉乃が1位になったことを、あまちゃんが後押しして、「アイドルを応援する」という行為が、一気に国民的行事みたいな意識になったと思う。別に意識的にみんながそうなったわけじゃなくて、「AKB嫌い」と言う人の「嫌い」が柔らかくなることで一気に浸透していくような形で、AKBの「気味悪さ」が薄まった。私自身も急にAKB48に対しての興味がなくなってしまった。異質なものとしての興味だったから、興味自体がなくなったということは、世の中で「普通」のものになってしまったということだ。
 居間にグッズを散らかし、ワケのわからない凶暴さを持つ“息子”が、急に結婚すると言って彼女を連れてきたみたいな感じ。彼女は猫耳を付けていて、アニメ声で、話していることもよく分からないが、“お母ちゃん”の前でも堂々と息子と何やらよく分からないグッズなど見てキャッキャと楽しそうだ。結婚するのなら、居間に散らばったグッズも片してくれるのかと思いきや、むしろ彼女が持ってきた分まで増えてしまった。でもまあ、“息子”が以前ほど凶暴ではなくなったように思う。それは、近所の人たちも「あんなに困っていた“息子”さんにお嫁にきてくれるだなんて、ありがたいじゃないの」と、“息子”たちをあたたかく見守り始めたから、“息子”も丸くなったのだろうか。でも、私があの時感じた恐怖や嫌悪感も事実なんだけどなあ…でも、まあ、これでいいのかもなあ…。
 そうやって“お母ちゃん”は、頭がボーっと、させられていく。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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