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姑の呼ばせ方

田房永子2013.09.19

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 私の姑は、無趣味で無欲で無害という印象だ。もしパート先で同僚として会っていたら、円満に働けそうな気がする。パート同士の内戦があれば、お互いひっそり身を潜めるタイプだと思う。だけど2人になった時、こちらが気を許して「あの人はこうですよねえ」と、他のパート仲間には言わない穢れた本心を打ち明けても、「まあ、人それぞれあるからねえ」と、かわされそうな気がする。わざわざ帰りにお茶する仲にもならない感じ。
 そんな物欲も自己顕示欲も自己承認欲求も感じさせない姑だけど、一つだけ頑なに主張することがある。「孫に『ばあば』とか『おばあちゃん』と呼ばれたくない」「他の呼び方で呼ばせてほしい」という。「何て呼ばせたらいいですか?」と聞いたら「それはそっちで決めて」と言う。
 めんどくさっ!

 でもやはり、何も要求してこない姑が言うんだから、尊重はしないと…と思い、呼び方を考えた。「ばっちゃん」が可愛いと思うが、「婆」の意味入っちゃってるから「ば」自体がNGワードなのかな。
 姑の名前「みつこ」から、「みつこさん」でいいかなと思ったが、うちの親戚に「みつこさん」が既に2人いて、紛らわしいのでやめにした。そしたらもうなんと呼ばせればいいのか分からなくなり、呼び方問題は放置することにした。
 姑は、22歳の時に第一子を出産したらしい。その話を、姑はキリッとした顔つきでハッキリと言っていた。そんな姑を見たことがなかったので、「ああ、それがこの人のアイデンティティになっているのだな」と感じた。姑のお母さんも出産が早く、42歳で祖母になったため、「おばあちゃん」と呼ばせていなかったという。「だから私も呼ばれたくない」と言っていた。
 でも、姑にとっての初孫(私が生んだ子)は、姑が62歳の時に生まれたわけだから、普通に「おばあちゃん」だと思う。でもなぜか、姑は「私を42歳でおばあちゃんになった人」として扱ってほしい、みたいな風情を漂わせてくる。そう主張されると、どうしても私は「ウッ…」と言葉を発したくなくなる。
 工事現場とかでバリバリ働いてる感じのおじさんに「あたし、女の子になりたいから、女の子の名前で呼んで!」と言われたら、「どう呼んであげよう」と思う前に「ぜんぜん女の子じゃねえだろ!」って言いたくなると思う。でもそれは言っちゃいけなくて、でも「じゃあ『まみこ』でいい?」とサラッと言ってあげられる広い器が自分にはない。それらをいっぺんに認めなければならず、結果的に沈黙の時間になってしまう。
 それと同じ現象だった。「私は若い」って言われると、「いや、若くないんで。ばあさんなんで。」と、かたくなに否定したくなる。どうしてなんだろう。私は姑のことが好きでも嫌いでもなく、人としてはすごく苦労してる人だから、「夫が死んで一人になったら南の島に住む」と言う姑を私は全肯定している。その先で、運命の男性に会えたり楽しく暮らせたらいいね、って思う。
 だけど、姑が「私は若い」というのはどうしても受け入れられない。「そうですね」ってウソでも言えない。
 ネットでは、「美魔女」や「40代が『女子』と自称すること」が厳しく批判する人を多く見る。私は「どうしてそんなにイラつくんだ?」と思っていた。だけど、姑の「若いってことにしてくれ」という要求に、全く同じタイプのイラだちを感じる。姑を「若い」として扱うなんて、絶対絶対ヤダ。なんで??

 自分の心に聞いてみた。この姑に対しての気持ちに込められた、私のメッセージとは?
 「わきまえろ」
 だった。
 身の程わきまえろ。老人は老人らしくしてろ。すっこんでろ。「おばあちゃん」をやってろ。
 そういう凶暴な感情が私の中にあった。介護施設内の老人同士の恋愛事情を追ったドキュメンタリーを見て「すごくいい! 老人も恋愛すべきだよ!」ってはしゃいでたのに、実際には老人に対してすごく冷たい。老人と呼ばれたくない人に向かって「お前は老人なんだよ!」って言ってやりたい衝動があることを認めざるを得ない。

 他人に対してこういう感情があるっていうのは、私自身が普段、自分で気付いてないだけで、無意識にすごく「わきまえてる」からじゃないのかなと思った。そういえば最近、服を買う時「これは私には若すぎるかな?」と、判断基準にサイズとか値段とかデザインの他に「若すぎないかどうか」が加わった。他にも、自分でも気付かないうちに「30代らしく」喋ろうとしてたり、「この年ではもうできない」と諦めたりしてることもあるような気がする。
 年齢に“見合った”言動をしない人を批判するのは、生理的反応だと思う。それぞれの年代の枠にハマって「その年齢らしい言動」をすることは、世の中の秩序と人々の心を安定させる働きに繋がってるんじゃないかと思う。年齢に“見合った”言動をしない人は、わきまえてる”人にとっては、世の中のコントロールを乱す脅威の存在だ。

 娘の1歳の誕生日に姑からプレゼントが送られてきた。同封の手紙のしめくくりに、「若いばーばより」と書いてあった。
 今までで一番、イラッ! とした。
 この件を、人に話してみた。すると、「『おばあちゃん』と呼ばれたくない」と姑や母親に主張されることは、スタンダードなことらしい。「うちも母親が嫌がるから、和子って名前だから『かずちゃん』って呼ばせてる」とか、「うちは孫と出かけた先で店員さんから『おばあちゃん』と呼ばれるのも嫌がる」とか、たくさんの家庭で起こっていることらしかった。
 そう考えてみると、自分ももしかしたら、息子や娘やその配偶者に「おばあちゃん」って実際呼ばれる瞬間が訪れたら、「ちょっと待って!」って思うのかもしれない。そう呼ばれることで一気に老け込んでしまうような。でも、自分からこう呼んでっていうのは照れくさい。そういう気持ちかあ。
 それに対して「わきまえろ」はひどいかもしれないな、と思ったら、急に「若いばーば」と書いてきた姑へのイラだちが消滅した。

 話してくれた人たちのアドバイスを活かし、姑の名前 「みつこ」から、「みいちゃん」と呼ばせることに決めた。姑と1泊旅行で久しぶりに会った時、娘に「みいちゃんにこんにちわして~」とさりげなく言って、定着させていく作戦を立てた。夫とも打ち合わせして、そう決めた。
 しかし、実際本人を目の前にして呼ぼうとすると、なぜか「ウッ…」と息がつまって「みいちゃん」の「み」の字も出てこない。なぜ…。ものすごく抵抗がある。でも呼ばなきゃ……み…み……ダメだ、私にはできない…頭痛がした。1泊2日一緒にいて、何度も何度も「呼び方は『みいちゃん』に決めました」と言おうとしたのに、言えない。だって宣言しても「みいちゃん」なんて呼べる自信がない。やはり私の中にはまだ「わきまえろ」精神があるのだろうか。
 そして未だ、姑の呼び方問題は放置されている。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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