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第七回 センチメンタル過剰

菊池ミナト2015.08.10

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社員の通勤時間は、1時間半以内と決まっている。それ以上かかる場所に配属になると、婚姻関係が無ければ独身寮に入寮できる。ただし、三十歳の誕生日までには退寮しなければならないという鉄の掟があり、何となく言外の圧力を感じさせた。ちなみに、寮費はべらぼうに安く、光熱費込で1万円程度らしい。三十歳未満、独身という、条件オールグリーン状態で入寮している同期が教えてくれた。寮は食事つきだが洗濯はセルフだ。

一方私は、会社からの所要時間40分の実家住まいで平日は何も家事をしない、上げ膳据え膳のダメな奴である。

一度乗り換えはするものの、一番長い路線では始発駅から終点駅まで乗っているので、帰宅ラッシュ時でも、先発の電車を2本も見送れば座ることができた。

通勤時間は大体、音漏れしない程度の爆音でメタルを聴きながら、呆然としている。呆然としながら考え事をしている。聴いているメタルは英語とかドイツ語とか北欧のどこかの言葉だったりするので一切の歌詞は聴き取れず、従って歌詞を覚えていない曲だと、聴いているこちら側に対し何を訴えているのか全然わからない。元はお花ちゃんの趣味に無理やり合わせようと聴きはじめたのだが、何年もしぶとく聴き続けた結果、騒音の集合体にしか聴こえなかった楽曲にはきちんとした旋律があり、抒情的な歌詞には一種諦めにも似た人生の悲哀が漂っていることを感得した。感得したはいいが、お花ちゃんに都度更新してもらっていた携帯型デジタル音楽プレイヤーiPodにはアルバム1500枚分もの楽曲が入っており、歌詞を把握している曲はその一割にも満たず、やはり何を歌っているのかわからない。結果として特に思考を持っていかれることなく、呆然と考え事をするのに最適なBGMなのであった。

上野駅から郊外のベッドタウンへと帰宅ラッシュに混雑する電車内で、端から二番目の席に座り、窓枠の窪みに頭を乗せながら、すべきことの優先順位を考えた。

恵美子さんに言われた釣書だが、ネットで調べたところによると、どうやら親きょうだいも含めた情報を書かなければならないらしいので、お見合いの話があることを両親に言わなければならない。父は仕事上時差のある相手と交渉をする機会が多く、平日の夜はほとんど顔をあわせる機会がない。長年そうだったので、私から何か報告がある時は、まず母へ、そして母から父へ、というルートになることが多かった。

血の繋がりのある家族とは言え、個々人の情報は立派な個人情報である。家庭内個人情報漏えいをやらかすわけにはいかない。それから、お花ちゃんと別れたことも報告しなければならない。ただし、昨晩お花ちゃんと飲みに行ったことは、母は知らない。父も知らない。というか、お花ちゃんといつ会っているかを両親は知らない。付き合っている事実は周知のことだったが、私の好意まで含めて、お花ちゃんという存在自体が丸ごと触れないようにされてきた。

これまでの慣習から、自宅で夕食をとらない夜はどこで誰と会っているのか、不文律ながら報告義務が課せられていたが、お花ちゃんとに限って言えば、大概が虚偽報告であった。

恐らく母は、お花ちゃんと別れたと知ったら喜ぶだろう。そしてヨリが戻ることを恐れるだろう。私が一方的にお花ちゃんにフラれ、24時間以内にヨリが戻る、というバカバカしく下らない騒動は前例がある。

お見合い話とセットで報告すれば、まぁ大丈夫だろう、と思った。いつ別れたの、と聞かれて、その時の母の様子で嘘をつくかつかないかは決めればいい。報告さえ済ませてしまえば、あとは週末で釣書を書きあげて、週明けに恵美子さんのところに持っていけばいい。

耳元の爆音が次の爆音に切り替わり、地鳴りのような咆哮の向こう側に抒情的な旋律があった。もうこのiPodは更新されないんだな、と思うと少しセンチメンタルな気分になりそうだったが、電磁的記録としてのCDは然るべき店に行き、然るべき金を払えば買える。1500枚分のアルバムが収録されていようと、実際に私自身が把握しているのはその一割弱で、たかが知れている。過剰なセンチメンタリズムは無用だ。私は目を閉じて150枚分のCDを揃えるのに必要な代金を試算し、一括で買ってやらぁ、と思った。


結論から言うと、母は喜んだ。

「ちょっとお話があるんですけど」と言った時には神妙な顔で配膳の手を止めたが、「今日お客さんからお見合いの話をいただきまして」と続けると、「あらぁ、よかったじゃない!」と手放しで喜んだ。お花ちゃんのことは1ミリも出てこなかった。

「ママ当てちゃうわよ、ちょっと待って、あの……この前事務所に行ったって言ってた、弁護士の先生!」

「その先生はね、残念ながら下はお嬢さんしかいないですね」

「じゃ、湯島にマンション持ってるおばあちゃん?」

「えっと、そこは養子取ってらっしゃるくらいだから、私が入るとややこしくなりますね」

私は箸を手に取って汁椀から味噌汁を一口啜った。ちなみに母は、19時以降何も食べないという信念のもとに生活しているので、とっくの昔に食事を終えて、お茶を飲んでいる。

「ママわかんないわ、勿体つけてないで教えてよ」

「ええとですね、支店の近くに、元々大名屋敷だったところに建てたお庭が立派なマンションがあるって話、前したことありますよね」

「なんか、そんな話聞いたかも知れないわ」

「そこにお住いの恵美子さんていうお客さん経由なんですが、お孫さんを紹介していただけるみたいなんですよね」

なお、我が家では、基本的には親にタメ口で話してはいけないことになっている。にも関わらず、私は敬語を使うのを止めた。

「えっ、ねぇ、ちょっと待って。私、付き合ってる人いたよね?」

「花森先輩ね」

「そうそう、それです」

「認めてないもの」

そう母はきっぱりと言い放ち、澄ました顔で湯呑に口をつけた。

私は、昨晩から色々なことがありすぎて、その瞬間に湧き上がった漠然とした気持ちを爆発させるだけの気力が残っていなかった。それに、空腹でもあった。

目線を落として食卓のぶり大根を眺め、目立った骨を箸先でつまんで一気に引き抜くと「それで、釣書を持ってくるようにって言われまして」とお見合い話を続けた。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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