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第十三回「俗に言う八百長」

菊池ミナト2016.02.29

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 ロビン先輩のお母様の友人というおばさまは、何と言うか、控えめに言ってボランティア精神の権化のような方だった。
 我々がようやくたどり着いた時には、見知らぬ女性4人が黙々とカレーを食べていて、聞けば4人が4人とも路上で拾われた帰宅難民とのことだった。ロビン先輩がいつまで経っても辿り着かないのを心配して、探しに出た路上で声をかけて連れてきたらしい。電車が動いていないのに駅まで行こうとしていたから、と事もなげに話していた。
 カレーをいただきながら、ご家族の話を聞いた。
 ご主人は既に他界、それから息子二人に娘が一人。息子は二人とも結婚して家を出てしまいベッドが2つ余っているそうだ。お嬢さんが、私はお母さんと一緒に寝ればいいから、と言いだして、それならベッドが3つ空くから2人ずつ寝てもらって6人泊まれるね、という話になったらしい。大鍋でカレーを作りながら、母子で話したそうだ。
 カレーは給食の味がした。懐かしい味だった。
 音量を消したテレビには、被災地の様子が映っていた。津波が破壊した何かが、暗い水面で静かに燃え続けていた。我々がおばさまと話している間、食事が済んでしまった4人は誰も何も喋らず、ただ虚ろな目でテレビの方を眺めていた。

 その晩、我々はお嬢さんの寝室をお借りした。ロビン先輩はすぐに寝てしまい、私はタオルを重ねて作った即席の枕に顔を埋めながら考えていた。
 ロビン先輩は、「他人に期待をするな」と言った。もし、私が初めから何も期待していなかったら、今こうしてこんなに虚しい気持ちになっていなかったんだろうか。
 私は母の怒声を思い出し、それから目をそらした課長の横顔を思い浮かべた。母にも課長にも、あんな風に取り乱して欲しくなかった。非常時にこそ「母」や「課長」としての顔を保っていて欲しかった。だが全ては私の勝手な期待だった。願望と言ってもいいかも知れない。母も課長も一人の人間で、それ以上のことを強制する力は、私にはない。私が勝手に裏切られた気持ちになっているのは、そもそも期待した私が悪いということなのだろう。

他人に期待しない。
母もまた、他人であった。極論、自分以外全員他人なのだ。

 それなら、夫もまた他人ということになるな、と私はぼんやり考え、山田仕郎の「緊急事態につき、不要不急のご連絡はご遠慮ください」という文面を反芻した。その文言は、ごく一般的な通達だった。「私は大丈夫です」という付け足しも、ごく一般的な報告だった。
 私はタオルから顔をあげ、暗がりの中でにっこりした。

 私は期待するのをやめた。仮に思考のスイッチがあったとして、「期待」の回路をオフにした。
震災後しばらくは電力の供給が不安定になり、電車は何の前触れもなく運転を見合わせたり再開したりした。行きも帰りも、駅員に当たり散らしているサラリーマンを何度も見かけた。私は、何も期待しないように努めた。電車は止まるもの、電気も止まるものだ。
 一度諦めてしまうと、逆に、期待を上回る何かが起こった時、感動にも似た喜びがあった。例えば、めちゃくちゃな人の波に飲まれて脱げてしまったパンプスを、見知らぬ人が拾ってくれていた時とか。
 社内では、通勤に不便が生じたせいで窓口のお姉さま方にはホテルが用意され、我々営業職は放置された。震災の影響で、支店ごとの成績やら何やらは当面凍結されることになったのだ。成績が関係ないのなら、営業が出勤しようとしまいとあまり関係ないのであろう。課長をはじめとする課員は皆不満げだったが、私はどうでもよかった。
 森羅万象に対して何も望まないことで、私は異常に平穏な気分になった。怒りや失望のない人生は無敵だ。
管理が曖昧になったのをいいことに、私は震災当日に作ったリスト先を訪問し始めた。株価がどうなるか、為替がどう動くか、ということを証券からの出向者と毎朝話してから出かけたので、意外と本来の職責も果たせた。ただし、課長はグータッチを廃止してしまった。どんなに実績をあげても、評価に繋がらなくなったせいだろうと私は思っていたが、実際のところはわからない。ロビン先輩は、「グータッチ無くなったね!」と喜んでいた。

 もちろん、恵美子さんのところにも行った。
 恵美子さんはこの混乱した状況で、まさかの、食事の予約を入れようとしていた。山田仕郎と私との、である。
「来月、ミナトちゃんお誕生日でしょう」
 釣書に書いた情報である。
「ちょっと早いけど、お誕生日も兼ねて仕郎と食事してちょうだい。仕郎には、その場で結婚してくださいって言わせるから」
 全てが自粛ムードの中、私なんぞのお誕生日を祝ったりしたら、石でも投げられる気がした。
 都内のほとんどは計画停電の範囲外という話だったが、物流やら何やらは以前の通りとは言い難い状況である。現に、私の地元では店頭からパンというパンが消えていた。そんな中で、普通に食事なんてできるんだろうか。
 私は諸々の懸念を込め「よろしいんでしょうか?」と尋ねたが、恵美子さんから返ってきた返事は「ちゃんと練習させるから大丈夫よ」という、山田仕郎ご本人を懸念する言葉だった。
「ミナトちゃんは、はいって言ってくれればいいから」
「あっ、はい」
 もう、俗に言う八百長である。
 恵美子さんに「仕郎から誘わせるから、ミナトちゃんはここでの話は聞かなかったことにしてね」と釘を刺されていると、隣室から酸素チューブを装着したお嬢さんが現れた。手に、男物のスーツを持っている。
「仕郎はこのスーツで行かせます!」
 ネクタイの色まで決まっていた。
 この調子では、当日の会話も全て決めかねない勢いだったが、会話はキャッチボールであって、片方だけがピッチングマシーンのようにボールを投げてきても、どうにもならない。打ち返すだけである。
 何もかもが不穏なまま、私は「地元からパンが消えました」という状況に同情した恵美子さんから食パン一斤を渡され、予定外の主食ゲットに嬉々として支店に戻った。

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菊池ミナト

菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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