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第十七回 「いつまでも可愛い私の仕郎」

菊池ミナト2016.06.27

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 一度も振り返ることなく、駅構内へと続く階段を下りていってしまった山田仕郎を見送って、私は「助かった」と思った。
 ひとまずこれで結婚できる。口約束ではあるが、確かに本人の了承を得た。あくまでも口約束ではあるが。
 帰路につく為には私も山田仕郎と同じ階段を下りなければならなかったが、何となく、階段の下で迷っている山田仕郎の姿が思い浮かんだのでそのままビルの外に出た。もし万が一鉢合わせでもしたら、向こうが反応に困るだろう。目が合っても特に言葉を発するでもなく、その場に佇む山田仕郎の姿が容易に想像できた。私は多分、「あら、さっきぶり!」とか何とか適当に挨拶してしまうだろうし、先方も困惑するだけだろう。
 外に出ると、そこはちょうど食事をしながら眺めていた場所だった。ビルとビルの間に中庭のような空間があり、見上げると私が先ほどまで座っていた辺りの窓が見えた。午後になって、体感温度は昼前より更に暖かく、大変いいお出かけ日和だったが、やはり人ひとり見当たらない。
 ふと気がつくと、中庭に面したカフェの店員が遠くからこちらを見ていた。おのぼりさんのようにぽかんと上の方を見ている自分が恥ずかしくなって、私は慌てて下を向いた。

 「結婚は家同士の問題だから」というのが母の口癖だった。そしてその発言が、母の実体験によるものだということもよくわかっていた。母の言う「家同士」というのは、つまるところ「嫁と姑」ひいては「嫁と義理の実家」を意味していた。
 嫁姑と言っても、私にとっては実の母と実の祖母でどちらも血の繋がりのある身内である。物心ついてから社会に出るまでは、母が個人的に姑と折り合いが悪いことしか知らなかったし、どちらかと言うと母が一方的に祖母に噛みついているように見えることも多かったので、何がそんなに気に入らないのかさっぱりよくわからなかった。人生経験も足りなかったし、想像力も共感力も欠けていたのだろう。
 銀行員として顧客の懐に潜り込むようになると、それは突如として世間一般の話として認識されるようになった。嫁姑は基本的に不仲、という事実が浮き彫りになっていき、その女性たちの半分以下の年齢だった私は、自分の乏しい人生経験に照らし合わせて、元カノ同士が仲良くなれないのと同じようなものかなと思っていた。
 年齢を重ねたご婦人たちの口から語られる四、五十の息子の話というのは、いつも不思議な乳臭さがあった。嫁も姑も、「私がいなければこの男はダメだ」と思っているふしがあるように感じられた。
 ロビンちゃんとマミーポコの三人で食事をした時にも思ったことだが、私は一人でも生きていける自分になって、同じように一人でも生きていける人間と結婚したかった。
 今日の、エスコートされ慣れた様子と、有無を言わさず金は払うというスタンスは、彼氏という過程をすっ飛ばして結婚するにはむしろ有難いような気がした。

 まぁ確かに、恵美子さんやお嬢さんからしたら、あれこれと世話を焼いているがゆえに「いつまでも可愛い仕郎」でなければいけないのかも知れないな、とも思う。
 恵美子さんがおっしゃっていた、「仕郎の部屋に書き置きを残した」という一言、あれは恵美子さんが山田仕郎の部屋に週3の頻度で通っていたことを意味していた。つい数日前の勤務時間中に、恵美子さんの口から判明したのである。
 四十近い男の一人暮らしの部屋に、ほぼ2日に一遍掃除と洗濯をしに通う恵美子さん。可愛い孫の為と言えばそれまでだが、客観的に見たらそれほど簡単な話ではない。本人の口から語られたわけではないが、山田仕郎がこれまで誰とも付き合ったことがない、という情報の信ぴょう性が一気に高まる話だった。だってそうだろう、週3もおばあちゃんが掃除洗濯に来てゴミをまとめ、冷蔵庫の中身を補充していくとなったら、恋人の入り込む余地はない。

 冷蔵庫の件は、恵美子さんが「仕郎の好きなジュースを入れておいてあげるの、果汁100%でなければ駄目よ」とにこやかに説明してくれて、私はそれを聞きながら、一般的な見合い相手だったらドン引きして終わるだろうな、とぼんやり考えていた。
 けれど、私は山田仕郎よりも先に恵美子さんの方を存じ上げていた。
 それに、恵美子さんのことは、山田仕郎を知る前から好きだった。
 最初に好きになってしまえば、狂気の沙汰の部屋通いも特に問題にするようなことではない。好きな人がしていることは絶対に正しい。これは、お花ちゃんと付き合いながら私が身につけた思想だった。
 私は簡単に人を好きになったりしない。だから、簡単に人を嫌いになったりしない。

 本人の意思確認もとれたところで、私がまず最初にすべきことは、会社への報告だった。
 本来はあまり望ましくない手段なのだろうけれど、その日の夜のうちに課長にメールを送った。「週初から申し訳ありません、月曜のお時間ある時に面談お願いいたします」と。
 単身赴任で土日は遊び歩いていると豪語していた課長からは、翌日の朝に「おはようございます 了解しました」と返信が来ていた。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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