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「体の仕組みと人間関係」

田房永子2016.07.14

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 NHKの片桐はいりと武術研究家の甲野善紀の対談(「SWITCHインタビュー達人達」)すんごく面白かった。
 武術研究家の甲野さんが、「座っている人を片手で引っ張って立たせる技」を教えてくれるシーン。座っている甲野さんが、立っている片桐はいりの右腕につかまってる状態。片桐はいりが普通に引っ張っても立たせられないんだけど、甲野さんに言われた通りに右手の指をギューッと組んで引っ張ると、なぜか軽々と立たせられた。
 甲野さんは理由を説明した。
「人間は手が器用だから何でも手でやろうとする。そこで指をぎゅーっと組むことによって前腕の力を使い果たしてる状態にすると、前腕が使えなくなる。そうすると手が単なる連結器になって、それより遙かに力のある腰とか背中の出番になる。だからラクに立ち上がらせることができる。手は無意識のうちに自分が働こうとする。手は何かあれば自分の出番だと思ってるから、いつでも『俺が一番』と思ってる。器用だからとても便利だけど、それだけに“できない元凶”を作っている」

 わーーッ!! って興奮した。まさに母と子の関係じゃん!
 「手」は、子どものことになるとすぐに出しゃばっちゃう母。母親がなんでもかんでも前に出て子どものことをやりすぎると、子どもが自分の本来の能力を発揮する場面をなくしちゃう。
 他人に何かを質問された自分の子どもがモジモジもごもごしてると、つい横から入って「この子が好きな食べ物は、ハムです!」とか答えそうになっちゃう。
 実際に答えちゃったりすると、「お母さんに聞いてないんで、黙っててください」とか返されちゃったりする。分かってるのにどうして割り込んで自分が答えちゃうのか。
 もし上司とかだったら絶対そんなことしないのに、子どもだとしちゃうのは、やっぱ子どもを自分の一部のように捉えてるから。子どもがパッと受け答えできないと、「母親のしつけがなってない」とか思われるんじゃないかっていう不安を、一方的にしかも無意識に感じて、そのプレッシャーに耐えられず、その気まずい空間で自分の子どもが答えを出す時間を待つことができず、つい自分が答えてしまう。
 この時、やっぱり『手』は黙ってなきゃいけない。子どもにどう答えさせるかしつけるよりも、まずはその空間のプレッシャーに耐えられる自分を鍛えるほうが、大切なんじゃないか。子どもが世間と接してる時は、単なる連結器になれるのが理想だな。

 それに、母親(手)にずっと前に出られる人生を過ごしてると、自分の能力をどう使っていいのか分からなくなる。そもそも、「自分(腰・背中)には母(手)より大きな力がある」ということすら知らないで育ってしまう。だから大人になっていきなり(手)がいないことが当たり前の生活になると、ものすごくテンパってしまう。
 私は19歳の時、バイトを探すのがものすごく大変で、アブラ汗と冷や汗を流しながらアルバイト情報誌を凝視してた。どのバイトにすればいいのか分からなくて、何人もの友人に「私がやってもいいバイト、合っているバイト」を聞いてアンケートをとって確認しないと気持ちが落ち着かなかった。だけど他の友人達は「これにしよ~」と軽く選んで面接を受けに行く。衝撃を受けた。どうして自分はバイトを選ぶだけでこんなに他人を巻き込んで大がかりな事態になってしまうのか。
 それは小さい頃から、着る服もやることもすべて「何を選ぶか」を母が知らない間に決めてしまう、さらに自分で何か決めてきたことに対してほぼ全て「何ソレ、おかしい、変」とツッコミを入れられて潰される、という環境にいたからだ、って気付いた。他の人は、自分の手があるのに、私の手はお母さんになっちゃってる。だから自分がどうしたいのかが、自分で分からない。
 自分にも手があること、自分にも自分で決められる能力や権利があること、自分がやりたいことをやっていいってこと、を20歳から自分に教え直さなきゃいけなくて、本当に大変だった。
 しかもそれに取り組んでいる時、私の「手」をすぐやろうとする実際のお母さんを自分の人生に入ってこさせないようにすることも必要だった。普通に生活とか仕事とかする前に、まずは心身に染み込んだお母さんとリアルに接触するお母さんを自分のテリトリーから追い出すという作業をしなきゃいけなかった。
 もしこの「生きる基本」をちゃんと10代が終わるまでに習得することができてたら、自分の人生はどう変わっていただろう、という悔しさが20代後半に爆発して、それを処理するのも大変だった。
 お母さんが手となって私のことを全部決めてしまうことで何が生み出されていたかと言うと、お母さんの心の中の「安心」だけだったと思う。そこに私の存在は一切なく、関係がなかった。お母さんの世界の話だから。だけどお母さんの理屈では「子どものため」だった。
 甲野さんの言葉「見当はずれな努力とがんばりが、ますますできなくしている」が染みる。

 さらに甲野さんのレッスンが面白かった。
 甲野さんが、片桐はいりを両手で押そうとする。片桐はいりはその手を払いのける。普通にやると、払いのける側のほうが力が強い。
 だけど、押す側が「相手の後ろに穴があって、そこに吸い込まれる」と思い込んでドンッと押すと、相手は払いのけるヒマもなく簡単に倒れてしまう。端から見ると甲野さんの押し方は何も変わらない(何かセリフを言ったりするわけじゃない)から、どうして片桐さんが突然倒れまくってしまうのか、片桐さん本人も「??」となっている。
 甲野さんが言うには、「『相手をやっつけよう』と思うのではなく、『あ、あなたの後ろに穴がある! あなたと一緒に吸い込まれる! 巻き込んでゴメンナサイ!』というのを本気で演じきると相手が簡単に飛んでくれる」んだって。

 なにそれ~~~『洗脳』と同じシステムじゃん~~~~って思った。
 洗脳も、本当にかけるのがうまい人は「洗脳してやろう」って思ってないと思う。「この化粧品以外の商品は毒なんです」とか「お母さんの言うこと聞いて何か悪いことになったことある? ないでしょ? だから黙って言うこと聞いてればいいの」とか「どうするの、すでにこのためにたくさんの人が動いちゃってるんだよね、その人達に迷惑かけられる? あなた一人のわがままでみんなの努力を無駄にするの?」とか、その場だけだとしても、その時は本気でそう思ってる感じがする。その場だけじゃなくてずっとそう思ってる、その人自身が洗脳されてる場合もある。どっちにしても本気で思ってる。
 その際、セリフとか言葉はあくまで「押す手」であり、力があるのは「そう思い込んでいるその人の気迫」のほうだ。演じきってない場合、言葉でいくら言われても言い返したり逃げたりできる。

 そういう“演じきる”人のターゲットになってしまった時、そこから自力で抜け出すのはかなり難しい。周りから見ると「ただ両手で押されてる人」にしか見えないから。「あんなの跳ね返せばいいじゃん」って、周りの人はどうしたって思っちゃう。「押されるのは自分の力がないからでしょ」ということになる。「結果的に自分が選んだことじゃないの」ということになる。
 本人はどうしても抗えなかっただけなのに、それが周りに伝わらない、自分でも何が起ってるのかよく分からないというのも、この技と「洗脳」はソックリだなと思った。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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