結婚式は三部構成だった。
一部、ウェルカムパーティー。二部、披露宴。三部、二次会。一部と二部の間に、建物屋上のサンルームを使って挙式がある。チャペルではないけれど神父さんがいるので教会式だ。
邸宅ウエディングのいいところは、基本的に建物から出ることなく全てが完結するところで、『南仏のプチホテルを彷彿とさせる』と結婚式場情報サイトに掲載されていたその式場は、地上三階地下一階の建物を隅々まで使って居心地の良い一日を提供することをウリにしていた。普段はフレンチを提供するレストランで、個室が幾つかあり、ワインリストも豊富でミシュランで星をとったこともある。
だから、誰かの結婚式とかそういうことは関係なく、普通に食事に来るだけでも良い場所だった。
私自身がそれまでに参列したほぼすべての結婚式を『三万円払ってエキストラ参加した知人の晴れ舞台』としか思えなかったことを思えば、逆に私の結婚式に参列してくれた全ての知人にそう思われても仕方ない。
三万円払って労働していると思わされるくらいなら、せめて労働環境は良い方がいい。
だから、居心地の良さや、食事の美味しさや、酒の良さは重要だ。
まぁ、本当のところは、一般人のキスシーンや謎のセレモニーなんか見ず、職場の上司や同僚と同席することなく、気の置けない友人と食事を楽しみたいのだろうけれど。
とは言え、私の側の参列者には、別の楽しみがあるようだった。
職場で私はすっかり『担当先に取り入って医者との結婚を獲得した女』として認知されていたので、当然、新郎サイドの招待客はほぼ全員医者だろうと思われている。
課長と支店長室に行き招待状を手渡しする、という銀行内の伝統的な手順を踏むと、その日の昼には支店内に結婚式のことが知れ渡っていて、殆ど話をしたこともない窓口のお姉さまたちからは「二次会、ぜひお祝いしに行きたいな」「旦那さんの同僚のお医者さんって、皆もう結婚してるの?」というわかりやすい依頼と確認が入った。
下調べは既に済んでいて、教授などは既に妻帯者だが、山田仕郎の同僚はほとんど未婚か、もしくは離婚していた。つまり、事前の情報だけなら、出会える可能性あり、ということだ。
新郎新婦(私のことである)から得るものがないのは織り込み済みなので、それ以外で何かひとつでも役に立てる場所を提供できるのなら、それに越したことは無い。山田仕郎の同僚と会うこと無く結婚式当日を迎えてしまったが、まさか山田仕郎ほどコミュニケーションが取れないということもないだろう、と私は楽観的に考えていた。
さて、誓いのキスをどうするか、問題が宙ぶらりんになったまま私たちは控室に戻り、私は父と母にヴェールをかけられた。
「それではお母様、お母様が手伝う最後の身支度として、ヴェールダウンをお願いいたします」
プランナーさんは感極まった様子で促してくれているが、私も泣いていないし母も泣いていない。私は母の様子を観察してニヤニヤしていた。母はカメラマンと自分の角度を測っていた。写真に残るので、ベストな角度で撮られたいのだ。
このヴェールダウン、事前の打ち合わせでプランナーさんが語ったところによると、殆どの花嫁が採用する人気の儀式で、一般的には挙式の会場のすぐ外でゲストに見守られながら母親の手によってしめやかにヴェールがおろされるらしい。
「ヴァージンロードを歩きはじめる前に、それまで育ててくださったご両親、特に一番身近に見守って下さったお母様に感謝の気持ちを伝える最高のチャンスなんです。お式で新郎様がミナトさんのフェイスヴェールをあげますよね。その前に、お母様がヴェールをかけてくださるんです。ヴェールは魔よけの意味もあるんですよ」
そう説明してくれたのはプランナーさんだが、新郎との同居を開始していない私が式の翌日に帰るのは母が待つ自宅なので、これが最後の別れというわけでもない。
それに、魔よけのヴェールをかけてもそれを開けるのがあの新郎では、魔よけも何もあったもんじゃない気がした。
かくして特に感動も無く、ニヤニヤしているだけの花嫁にヴェールがかかり、私は父と腕を組んでヴァージンロードを歩いたのちサラッと愛を誓った。
神父さまの「誓いますか?」という問いに対し「ハイッ、誓います!」と答えた声があまりにもハキハキしすぎていて、参列者から笑いが漏れた。後から言われたところによると、職場の人々からは朝礼のようだと思われ、大学の体育会系サークルの友人たちからは昇段審査のようだと思われたらしい。
一方の山田仕郎は緊張から消え入りそうな声で「ハイ」と言い、誓うか誓わないかが飛んでしまったらしく数秒の沈黙の後、やはり消え入りそうな声で「誓います」と続けた。私は至近距離で観察しながら、発声がなってないな、と思っていた。
山田仕郎は常時極限の緊張状態だったようで、指輪の交換の際も、指先がぶるぶると震えて一発で私の薬指に指輪が嵌らなかった。私も神父さんもニコニコしていたが、参列者のうち、前から三列目くらいまでは途中から異変に気づき、山田仕郎の一挙一動を固唾をのんで見守っているような状態だった。
神父さんに促され、私が屈むとヴェールを上げるところまではすんなり行ったが、「誓いのキスを」とい誘導されてもまだ山田仕郎の目は泳いでいる。
私は首をかしげるようにして微笑んだまま参列者の方に顔を向けた。ギュッと目を瞑った山田仕郎の顔面が頬の方に寄ってくる。
位置的に、神父さんからしか見えない角度に山田仕郎の首が収まり、ヴェールが頬をかすめる程度の感触があった。と、神父さんが手をパンパンと打ち鳴らし拍手を始め、キスしたということになってしまった。
キスシーンNGの女優さんみたいだった。