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ドラマ『弟の夫』はLGBTやシングルペアレントも包み込む「本当のホームドラマ」になりそう…

高山真2017.12.06

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 キャスティングが発表された段階で「あ、これは製作側がものすごく有能だ」と判断できる。そんなドラマがあります。

 高い演技力と多くのファンを同時に持っている俳優を押さえたとか、高い視聴率を記録した作品をいくつも手掛けてきた脚本家を押さえたとか。それは確かに、ひとつの正解です。しかし、キャスティングの醍醐味はそれだけではありません。

「ああ、これは、制作側が原作を深く読み込んで、深く理解して、『この役をやるのは、この人しかいない』というピンポイントのキャスティングをしたんだな」と即座に理解できるような、そんな配役のドラマにも大きな期待をしてしまう私です。

「当て書き」という言葉があります。「その役を演じる役者を先に決めておいて、その役者(およびその作品)がもっとも輝くような脚本を書いていくこと」という意味になるでしょうか。原作があるのに、まるで当て書きのように見える…。それはひとえに製作側のセンスにかかってきます。

 私がここ10年ほどの日本のドラマで、そういったセンスをもっとも強く感じたのは、速水もこみちが主演を務めた『絶対彼氏』(2008年・フジテレビ)。ここで当時、私が『絶対彼氏』について書いた文章を少し…。



イケメンというイケメンがしのぎを削る芸能界にあって、ひとりだけ「生き物として種類が違う」とまで思わせるほどの総合力。なんかの番組で木村拓哉と横並びで椅子に座っている様子が映ったときは、木村拓哉に同情すらしたもの。いや、「木村拓哉の顔がデカい」「木村拓哉ともこみちの座高が同じ。“公称”の身長差は10センチなのに」って言うよりは「もこ、顔小さすぎ」「もこ、脚長すぎ」という印象ばかりが残った、という感じね。

 で、もこみちは、現在の若手男優陣の中でも指折りの大根です。って、ここでハッキリさせておきますが、単に「演技力がない」という意味での「大根」なら、大根じゃない若手俳優を探すほうが難しいくらいよ。そうではなくて、大根って、「その俳優が演じているシチュエーションを、見る側に“リアル(っぽい)”と感じさせることができない」ということ。相手役の女優よりはるかに顔が小さくて体型のバランスも素人離れしている、生物として「美しい」もこみちが、いくら相手役の女優(同い年くらいで、突出したキャラ設定もされていない女子の役)に惚れている役柄を演じたとしても、そこにリアリティが発生しないのよ。この組み合わせなら、夢中になるのは女子のほうだろう、と。あんまりイケメンなもんだから、フツーの「恋するオトコ」の役ができないわけ。

 そういう意味で、『ぼくの魔法使い』はよかったわ。「おれ」が「おで」に、「オムライス」が「オムダイトゥ」になってしまう、壊滅的なまでに滑舌の悪い役。そういう足かせをもこみちに課した唯一の作家・クドカンは、なんだかんだ言っても役者の光らせ方を知っていると思うわ。

 さて、そんなもこみちの新しいドラマ『絶対彼氏』。恋人として設定された女子に無条件で献身的な愛を注ぐロボット「ナイト」の役。やけっぱちなまでに「リアル」からは遠い役柄だけど、皮肉なことに、いままでもこみちが演じたどの役柄よりも「リアル」だったわ。よすぎる体型は「ロボットだから」、棒読みなのは「ロボットだから」、相手役の女優に献身的に尽くすのは「そういうプログラムを施されたロボットだから」で、きちんと説明がついてしまうの。いやー、すごいとこ持ってきたわね。

 原作の漫画のファンの子たちには、大きく変わってしまった初期設定(主人公が女子高生ではなく製菓会社の派遣になっているため、登場人物たちすべての背景が違う)が不満かもしれないけれど、少なくとももこみち、漫画のナイトよりはるかにロボットっぽいです。そして、萌えのツボをことごとく刺激してきやがります。これ、もこの一番の当たり役だわ。

 現実には、こんな都合のいい生き物、というかロボットなど存在しないので、「新種の白馬の王子様物語ね。これはこれで危険だわ」と思うけれど、ま、そのことさえ理解したうえで鑑賞するなら、「萌えドラマ」としては一級品でしょう。もこ、可愛いわ……。



 …とまあ、もこみちの「演技者としての能力の欠如」と「ルックスのある種の過剰さ」のミックス具合を(私なりに愛情を込めて)書いたのですが、現在のもこみちが、俳優としてはむしろ料理タレントになり(←演技者からの脱却)、そして「オリーブオイルをドバーッ&塩を高みからファサーッ」(←過剰さの追求)で人気を博しているのが、何やら感慨深いわ。

 さて、私にとってはほぼ10年ぶりに「製作側のセンスを如実に感じたドラマ」が、2018年の3月からNHKのBSで放映されます。ゲイエロティックアートの超巨匠・田亀源五郎氏が(余談ながら私の友人のヘテロセクシュアルの漫画家にも田亀氏の圧倒的な画力を絶賛している人が何人もいます)、一般誌『月刊アクション』に連載していた『弟の夫』(双葉社・全4巻)が原作です。この作品は、2015年文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞しています。

 ストーリーは、「主人公の弥一には双子の弟がいるけれど、ほぼほぼ絶縁状態。その弟がカナダで亡くなり、彼の同性婚のパートナーのカナダ人男性・マイクが、弥一と娘の夏菜がふたりで暮らすアパートにやってきた。共同生活を送った3週間の間に、弥一の心に深く根を下ろしていた偏見が、ゆるゆると溶け始める…」という感じでしょうか。

で、マイクは筋骨隆々で、まあゲイの間でよく言われている表現を使えば「ヒゲ熊」なのですが、そのヒゲ熊マイクを、元大関の把瑠都が演じるとのこと。このニュースは私の周りのゲイの友人たちの間で「針の穴を通すようなキャスティング!」「久しぶりに膝を打った!」と瞬時に共有されることになりました。「確かに、把瑠都出されたのは盲点だけれど、見れば見るほど『これしかない』ってチョイスよね」と唸るばかり。こういう「配役の妙」って、やはり楽しいものです。

 ちなみにこの『弟の夫』の原作、現代の日本のLGBTへの偏見・差別のありようを見事に描いています。宗教をベースにしたバッシングや弾圧ではなく、「腫れ物扱いで遠巻きにする」とか「単なる『知識のなさが原因の誤解』を『真実』のように勘違いしたまま、苦笑と冷笑を浴びせる」といった感じの「空気感」をきちんと描写している。また、シングルペアレントの家庭や、外国人に対する「なんとなく、しかし苛烈」な偏見も、非常に丁寧に描いている作品です。そして、最後にきちんと「希望」を描いているのもグッときます。

 個人的にどうしても忘れられないのは、第2巻。夏菜の同級生のお兄ちゃん、中学生の一哉が、生れて初めて、他者(マイク)にカミングアウトをするシーン。そのシーン、セリフは一言も書かれていないのに、いえ、書かれていないからこそ、一哉が話していくうちに大粒の涙をボロボロとこぼしていく描写で胸が詰まってしまって…。まあ、どうしたって思い出しますよね、自分の昔のことを。私にとっても、あれほどの決死の思いは、後にも先にもありませんでしたから。

 把瑠都がキャスティングされていなかったとしても、私はこの作品がテレビドラマになることを当事者としてとても喜んでいます。そして、このドラマがシングルペアレント家庭の問題にもきちんと踏み込んでいる点をもって、このドラマが日本で最初の「本当の意味での『ホーム』ドラマ」というか、「本当の意味での『ファミリー』劇場」になるはず、と期待をしているのです。

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