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子どもの貧困をジェンダーの視点からとらえ直す

打越さく良2017.12.21

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子どもの貧困が政策課題になったものの…
 子どもの貧困対策法・大綱の設定にみられるように、子どもの貧困は政策課題として意識されるようになった。しかし、他方で、12月18日、政府は生活保護受給額を段階的に年1.8%削減する方針を決めた。母子加算は、平均2万1000円から同4000円減らし(約19%減)同1万7000円に下げられる(毎日新聞17年12月19日20時47分「生活保護費 年1.8%削減へ 18年10月から3年かけ」 )。決定前に、厚労省が8日示した減額案では東京23区で40代夫婦と中学生、小学生の4人家族は13・7%減(15万9960円)等と報じられた(朝日新聞デジタル「生活保護費引き下げへ 都内4人世帯で13.7%減との試算も」2017年12月4日 )。
 母子加算の削減といい、「そこには、十分に生きていく、十分に子どもを育てて自立させていくといった視点が欠けているように思える。」と慨嘆せざるを得ない(赤石千衣子「またも生活扶助基準と母子加算切り下げ 高齢化で受給者増はこれでは解決しない」2017年12月12日 )。

 なお、18日、政府は、大学や専門学校への進学を後押しし「貧困の連鎖」を防ぐため、来春の入学者から進学時に最大30万円の給付金を設けることを決定した(自宅生は10万円、1人暮らしは30万円、毎日新聞17年12月19日20時47分)。この点は朗報と思える。しかし、「貧困の連鎖」を防ぐなど、むなしいキャッチフレーズに響く。生活保護費引き下げ・母子加算切り下げと一層厳しくなる家庭の中で、18歳まで進学意欲を持ち続けることは難しい。
 そんな一時金よりも、幼いころからの成長発達を保障できる手当が必要だというのに。進学時の給付金という発想は、子ども貧困対策法において所得保障の観点は薄く学習支援が強調されること共通するものを感じる。それは、「勉強で頑張れば脱却できる」かのように個人の責任を強調し、勉強を頑張れた子どもには若干給付する、という考えだ。結局のところ、社会問題としてとらえるよりも、個人の意欲次第、としてしまうことは、「貧困の連鎖」についての社会の責任を不問にし、個人の責任に帰することとなる。

 『「子どもの貧困」を問いなおす: 家族・ジェンダーの視点から』(法律文化社・松本伊智朗編)は、編者の松本伊智朗は「序」で、子どもの貧困を社会問題としての貧困から分断して理解することと、家族責任・伝統的な家族規範の強調とは表裏一体の関係にあると看破した上、一般的に子どもの福祉・教育の関係者は、伝統的な家族規範をもつことが多く、「子どもがかわいそう」なので、「崩壊した家族」を嘆き、親を非難あるいは「指導」せんとすると指摘する。また、彼らは、ジェンダーの視点からの研究成果を摂取することに意欲的ではなかった(むしろ嫌悪しているかもしれない!?)、と。ジェンダーの視点を抜いて、子どもの貧困を理解することはできないのに。

 他方で、家族の貧困が子どもの不利を招くというだけでは、家族責任をより強調し親を追い詰めかねない。そうではなく、この事実は家族の貧困を緩和し、負担を和らげ、子どもが主体的な人生を形成していくことを社会が共同で支えることが必要だということを示すととらえ、家族という仕組みを相対化し、そこで女性が追ってきた社会的不利のありように立ち返って、子どもの貧困をとらえ直すべきではないか。松本は本書はその試みだという。各論文を読めば、その試みは成功したことがわかる。

家族主義の強化で克服こそ
 湯澤直美による第1章「子どもの貧困対策と家族主義の克服」は、1990年代後半以降の「子どもの貧困」という問題設定が、貧困問題一般の議論では埋没しがちだった子どもの声を可視化しえた等のメリットがある反面、「子ども」と「大人」を峻別し、自己責任領域に境界線を引く圧力にもなりうると指摘する。自己責任を免責される子どもの貧困対策は政治的合意を得やすい。

 その一方、大人には、新自由主義社会で、貧困を防衛する「自己責任」を強調されるままになる。そして、養育の第一義的責任を負うとして、自助努力による養育責任が要請されてしまう。そして、新自由主義的な政策展開を不問にしたままでは、所得再分配の強化や労働市場の変革は、子どもの貧困対策の射程外となり、大人である親の就労努力や家庭の教育力の強化など家族主義の方向へ向かいかねない。

 湯澤は、本稿で家族制度そのものが本質的に資源の不平等性を抱え込んでいることに無批判のまま、家族責任を強調する考えのことを「家族主義」ととらえる。その上で、子ども貧困対策法に基づく子どもの貧困対策の特徴として、教育支援の重視と、所得再分配の強化や雇用労働の改善が検討されていないことであるとし、体系そのものが家族主義的な性質があるとまとめる。
 家庭の教育機能を重視する潮流は、家庭教育への政策的介入となり、あるべき家庭像や親像を規範化する方向を強めていき、生活基盤が脆弱な貧困層ほど追い詰める危険性がある。そして、家族の責任が強調されるということは、結局女性がケア役割を引き受けるという要請となり、役割を引き受ける女性の経済的な自立の基盤を喪失させる。

 子育てというケアの目標が子どもの自立の達成であるにもかかわらず、その役割を負った女性が自立の基盤を失うというパラドクス。子どもの貧困の解決には、ケアの脱家族化、社会化、家族主義の克服など、ジェンダー平等を進めることが求められる。

反貧困とフェミニズムが新自由主義の抵抗軸
 藤原千沙による第2章「新自由主義への抵抗軸としての反貧困とフェミニズム」は、学習支援や子ども食堂の広がりは、現実問題として重要とはいえ、貧困問題を解消しない。支援の広がりとは裏腹に、子ども手当に対する「バラマキ」批判や生活保護バッシングなどにみられるように、一般貧困対策には非難すら浴びる。
 これは、哀れみや同情の対象としての「子ども」の貧困と、軽蔑や敵意としての「大人」の貧困を区別し、選別しているのではないか。貧困の元凶となる社会構造を問わず「救済に値する」人々を特定の価値基準で選別し、貧困がもたらす悪影響を緩和する支援に終始することは、貧困を生み出す元凶にとっては都合の良い態度である。

 2013年の税制改正で、「直系尊属から教育資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税制度」が創設され、「富裕の連鎖」が強化された。子どもの貧困対策法の基本理念「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのない社会を実現する」(1条)が、虚しい。

本論文は、元凶、すなわち新自由主義の統治姓に着目する。子どもが「努力すること」を応援し、親に「適切な育児」を教育し、そうした働きかけを通して「地域でつながる」「周囲で支え合う」ことは、新自由主義が称揚する思想でもありうる。とすれば、新自由主義が賛美する価値意識で子どもの貧困対策に取り組むことは危険であり、むしろ対抗していく取り組みが必要ではないか。抵抗軸となりうるのは、反貧困とフェミニズムである。

「小さな政府」を是とする新自由主義を支える保守派の思想
 たとえば、日本では親が働いていても貧困から抜け出せないのは、新自由主義的経済のもとで企業収益が増加しても賃金の増加につながらないことを指摘しなければならない。企業は、官民で立ち上げた「子供の未来応援国民運動」に寄付するよりも、労働者に生活できる賃金を渡すべきではないか。さらに、現役世代に所得再分配がほとんど行われていないという税・社会保障の問題に切り込む必要がある。

 そして、これまた24条改憲の危険を阻止したい私としては重要な指摘として、保守的な規範・価値観が新自由主義の政治的プロジェクトを支える不可欠な要素である、ということ。経済的合理性を重視する新自由主義を古色蒼然とした保守主義が支えるのか。どちらも「小さな政府」を是とする。そして、新自由主義は、格差の拡大する社会で智辻を維持しつつ市場経済を安定させるために、亀裂や分断を許さず、国民統合を安定させたい。右派の思想はそのためのツールとなるのだ。貧困対策も、「エビデンス」よりも、保守的な道徳規範や価値観に影響される。早寝早起き朝ごはんにみられるように、「適切な育児」はミドルクラスの母親の育児を規範化したものとなり、それから外れた母親は教育されるべき対象となる。そして、親の行動を変えよという貧困対策は、現金給付と違ってさしたる財政負担は不要である。保守主義が新自由主義には有益なのだ。

依存を包摂する社会に必要なことは
 このような新自由主義への抵抗軸となるフェミニズムは、能力主義に絡め取られてはいけない。「性別にとらわれずに」登用、「意欲と能力に応じて」処遇、といった能力主義的な解決策は、新自由主義的なそれであり、格差や貧困の解消には結びつかない。

フェミニストは、依存という概念に注目してきた。依存は、人間誰もが生涯で一定期間経験する、誰かがケアしなければ生命の維持が難しい状態のことである。女性はケアの役割を引き受けることで、男性との実質的な平等の利益を得られなかった。とすれば、平等になるには、ケアを放棄しなければならないのか。ケアを放棄できなければ、家にいることは個人が選択したことであり、そのために経済力が得られないのは、自己責任になるのか。依存者が依存を自ら選択したのではないように、依存者の生存の必要に応える行為も、個人の選択とはいいきれない。
 依存を認識しない社会での「女性の活躍」では、女性は産まないか、サービスを買うしかない。女性たちが階層化され分断し、男女の不平等は覆い隠される。フェミニズムが目指す、ケアの必要な者もケアを担う者も平等から閉め出されない、依存を包摂する社会は、子どもの貧困克服のためにも目標とすべきなのである。

 依存を包摂する社会に必要なことは、すさまじい長時間労働をせずとも必要年収に達することができる賃金の保障。さらには、所得再分配として、一部現金給付をすることである。これを新自由主義のもと「バラマキ」と非難し、削減することは、子どもの福祉を阻害する。適切な家庭教育を支援の名の下に親に「教育」する前に、ケアする時間を保障すべきなのだ。

あらゆる領域での取り組みを
 阿部彩による第3章「『女性の貧困と子どもの貧困』再考」は、「子どもの貧困」と「女性の貧困」という二つの事象の重なり合い具合を検証する。子どもの貧困=母子世帯の貧困ととらえることは間違いであるし、勤労年齢の女性は子どもをもっているとは限らない。重ならない部分も大きい。ひとつひとつの社会問題として直視する姿勢は、母子世帯の増加を子どもの貧困の背景としてとらえる議論に対する反論となる。

 フラン・ベネットによる第4章「イギリスにおける近年の子どもの貧困対策から学べること」では、イギリスの歴代3政権がとった子どもの貧困対策を踏まえて、子どもの貧困を「困難を抱えた家族」という特定の集団の問題としてとらえるのではなく、構造的な問題としてとらえるべきこと、教育を成果の面からだけみるのではなく、包摂的な社会を生み出す要と位置づけるべきこと、貧困対策を個々の政策課題として分離して取り扱うのではなく、文化政策等あらゆる領域で最優先の課題として取り組むべきこと、等と、まさに日本にもあてはまる提言がなされる。

 ここまでで第Ⅰ部「子どもの貧困と政策」中の論文群である。その他に、第Ⅱ部「生活の今日的特徴と貧困の把握」に収められた3本の論文、第Ⅲ部「ジェンダー化された貧困のかたち」に収められた5本の論文も、熟読に値する充実したものだが、紙数が尽きた。

 上記の通り、生活保護費の削減は約160億円の見込みと報じられる一方(「政府 生活保護費を3年間で160億円削減へ」2017年12月19日5時29分NHKニュース)、1機1,000億弱のイージス・ショア機2機の導入が閣議決定された(「陸上配備型迎撃ミサイル「イージス・アショア」導入を閣議決定 北朝鮮のミサイルに対応」ハフィントンポスト2017年12月19日12時06分 )。

 いったいこの国は人の、子どもの、命と生活をどう考えているのだろうと危機感が募る。これらの論文の示唆が、政策に反映されてほしい。厚労委員会、内閣委員会、文教委員会、憲法調査会に所属する議員や、関連官公庁に配って歩きたいほどだ。これらの論文が指摘する子どもの貧困が解消される方向性とは全く逆の方向へ向かう政策が実施されている中、広く深く読まれるよう、切実に願う。

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打越さく良(うちこし・さくら)

弁護士・第二東京弁護士会所属・日弁連両性の平等委員会委員日弁連家事法制委員会委

得意分野は離婚、DV、親子など家族の問題、セクシュアルハラスメント、少年事件、子どもの虐待など、女性、子どもの人権にかかわる分野。DV等の被害を受け苦しんできた方たちの痛みに共感しつつ、前向きな一歩を踏み出せるようにお役に立ちたい!と熱い。
趣味は、読書、ヨガ、食べ歩き。嵐では櫻井君担当と言いながら、にのと大野くんもいいと悩み……今はにの担当とカミングアウト(笑)。

著書 「Q&A DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで」日本加除出版、「よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて」共著 朝陽会、「今こそ変えよう!家族法~婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える」共著 日本加除出版

さかきばら法律事務所 http://sakakibara-law.com/index.html 
GALGender and Law(GAL) http://genderlaw.jp/index.html 
WAN(http://wan.or.jp/)で「離婚ガイド」連載中。

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