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私の友人Jは、そんじょそこらの芸能人が霞んでしまうほどに整った顔立ちをしている。

数年前、私がとても好きだと思い込んだ人がいて、それが様々な事情でうまく行かなかったとき、Jは、ファーストフード店で、延々と話を聞いてくれた。そこでJがくれたアドバイスは、ともかく人に会うこと、ということである。

Jが言うには、(それを『東京タラレバ娘』で読んだらしいのだが)たくさんの人に会うことで、その中にいい人がいるかもしれない、という他に、二人で会うというのはエネルギーがいることだけれども、回数を重ねると緊張しなくなる以外に、相手を見る目も肥え、自分が何を人に求めているのかも余裕を持って見えてくるようになるという。

一人に執着してはダメだよ、次に行かなきゃ、と言い、Jは私の携帯でアプリまでダウンロードしてくれた。1年に100人と会え、という。その後すぐ携帯の容量が足りずアプリを削除してしまったが、自分なりにJの言葉を意識して、気になる人がいれば、二人で会うことが何度かあった。しかし、今年に入ってからは全くデートらしいことをしていなかったので、飲み仲間のうちで独身のYさんを誘ってみることにした。

*   *  *

 

Yさんは、清潔感があって、会話も面白い。仕事にも一生懸命だ。知人も「Yさんは何も欠点がない」とお墨付きを与えていたので、10連休の最中にデートに誘ってみることにした。私は、早々に東京に戻ってきており、暇で、特に予定もなかった。

Yさんを誘いたい。しかし、どう誘おうか。そこで知人に相談すると、まずは「いつ空いてる?」と聞く。最初から「遊びましょう」「飲みに行こう」と誘ってはいけない。それだと相手が身構えてしまうから。空いている日にちの連絡が来たのなら、もう向こうは断りようがない――等々と詳細なアドバイスをくれた。その通りに連絡してみると、さっそく翌日の夕方に会えることになった。

しかし、会ってみたものの、相手は特に私に興味がなさそうで、私はあまりに泥酔してしまい、割れた瓶で指を切って帰宅した。家に着くと、まだ夜10時台だった。

どうして私には好きになってくれる相手がいないんだろう。どうして魅力がないんだろう――。そんなことを考えてしまい、私は部屋で号泣してしまった。これもYさんのせいではなく、私はこういった思いに、何度も出くわしてきたからである。誰かに選ばれた、好きになってもらった、という記憶がない。いつも自分から追い求めて、そして拒絶されることの繰り返しである。きっと私は永遠に誰かに大事に思われることなど、ない。

あまりに辛いのでSNSにその旨を書き込んだところ、何人もの素敵な女友達が連絡をくれた。それはとても嬉しかったけれど、それが根本的な解決を導いてくれるのかは、正直わからなかったので、私はティッシュを1箱消費するほどに泣いた。繰り返すがYさんが原因ではない。私は、自分の愛の対象である異性から、自分が必要とされないことに泣いたのだ。これは今までも繰り返されてきたし、今後も繰り返されると思ったのである。

最終手段として、私は「エマージェンシーノート」こと、18歳の時からつけ続けているのに、いまだに10ページぐらいにしかならない読書ノートを取り出して、ベッドの上でページをめくり始めた。このノートの記述が少ないのは、私が本当に必要としている言葉を、しかも長めの言葉を書き写す時にしか使わないからである。

2017年、私は家族が亡くなったことの精神的なショックもあって、1年間に5回も溶連菌に感染した。その度、40度を超える熱が何日も続くので、仕事どころではない。

そのうち「こんなに溶連菌にかかるのは何か意味があるに違いない」とさえ考え始め、私は溶連菌=猩紅熱で死んでしまったベスのことを唐突に思い出した。『若草物語』のマーチ家の3女、のことである。『若草物語』を読んだことはあったけれど、さらに、3巻、4巻は読んだことがあったのに(というのも世界名作劇場の「ナンとジョー先生」が大好きだったからだ)、ベスが亡くなる2巻だけは読んだことがなかった。

そこで読み始めた『続・若草物語』はしかし、自身の気難しさから、伯母に連れられるはずのヨーロッパ旅行に行けなくなり、挙句、あんなにも互いに思い合っていた隣人のローリーは別の人(しかも末妹)と結婚してしまった、さらに、自分の存在価値をかけて命の灯火を守ろうとした妹のベスも死んでしまった、そんな次女のジョーが、自分が選ばれないという思いに悩む内容だったのである。

泣き続けた10連休最中の夜、私の気持ちを救ってくれたのも、ノートに書き写した、この『続・若草物語』の一節だった。絶望の淵のジョーが部屋で泣いていると母親が様子をみにくる。少し冷静になったジョーは、「それは私があの時より少しでも多くあの人を愛しているからではなくって、あの人がいなくなったころに比べると、愛されたいという気持ちが強くなっているからなんです。」と自らを語る。そこで母親は「それで安心しました。ジョー、それはあなたが進歩したしるしですよ。あなたを愛してくれるひとはたくさんいますよ。」と、慰めてくれるのだった。

確かに、私はYさんを好きでそれが叶わないことに泣いたのではなく、「誰か」を求める気持ちが強まっていて、それは私の「進歩」なのだ。しかも、素晴らしい女性たちが、私のことを心配してくれている。ノートを枕元に、私は鼻をすすりながらも眠りに就いたのである。

*   *  *

 

翌日は、比較的最近お友達になったMちゃんと会う約束をしていた。MちゃんはSNSを見て、私のことをとても心配してくれていた。そして私が昨夜の様子を説明し、つまり、相手が私のことに関心がない様子(例えば私は携帯電話の待ち受けを、ニューヨークで輝く30代の草間彌生ちゃんの御顔に設定していたが、それについて聞かれることもなかった)を知ると、Mちゃんは言った。

「ユーキさんは、モテないって言いますけど、それは魅力がないからだと思っている、なんてことないですよね? 逆ですよ。魅力がありすぎるから、なんです。」

そして、お友達の名言として、自分が相手のことを好きな気持ちよりも、相手が自分のことを好きな気持ちの方が上回った方が良い、と教えてくれた。なぜかといえば、その気持ちの差は、セックスの時に現れるからだという。私は、へえ?、と感心してしまった。

たとえば結婚して、あるいはパートナーができて、傍目には幸せの概念にあてはまろうとも、自分の方がより尽くすセックスが延々に続くのであれば、それこそ死んでしまうような気がする。相手は、リーヴ・ストロームクヴィストの『禁断の果実』をちゃんと読んで、膣オーガズムの上位性を廃して、クリトリスを礼賛してくるような人じゃなきゃ。

そのうちMちゃんが、でもそのYさんっていう人、まさかサッカー好きでもあるまいに、どうしてそんなにまでも合わないんだろう、と話していて、そのまさかだったので、私はMちゃんの神通力のようなものに恐ろしくなった。というよりも、そこまであからさまに合わなさそうな対象に突撃されてYさんも困ったはずだが、それにしては優しかったなと思う。

とりあえずのところは、冒頭に書いたJのアドバイスを生かして、いちいち落ち込んだりすることがないように人と会う「訓練」を重ねつつ、自分を好きになってくれる人の到来まで待ち構えるしかないのかなあ、と考えながら5月を過ごしている。

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