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医療の暴力とジェンダー Vol.10 性暴力からうまれてきた私たち

安積遊歩2021.05.31

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性暴力について考えるようになってから、もしかしたら世界の夫婦の少なくとも半分は夫から妻への暴力的なセックスのなかでうまれているのではないかと思うに至った。つまり私自身も父が日本の軍隊でアジアの人々に対してとんでもない加害者として存在したことは紛れもない事実である。その上彼はシベリアにも抑留され、今度は被害者として過酷な暴力の中を生き延びた。

帰国してすぐに母と出会ってプロポーズしたわけだが、母親は全く結婚したいとは思っていなかった。最愛の妹が結核で死の床についていたのだから、結婚しないで済むということができれば、絶対に彼女は結婚しなかったろう。しかし彼女にはそれが許されなかった。

12歳の時から児童労働で軍需工場で働かされ、家族に仕送りをした。といっても、貧しい家族出身の彼女にはそれ以外の選択肢はなかった。結婚もまたその延長で、親の願いに楯突くというようなことは、発想すらなかっただろう。

父も父で、満州で両親が死に、シベリアで4年半抑留された後は自分の親の生存や、兄弟がどこにいるのかもほとんど分かっていなかっただろう。東京を経由しながら郷里の福島に帰ってきたわけだが、戦争という凄まじい暴力の中で、全てを失ったことでの大混乱と孤独感は想像を絶するものだったに違いない。そんななか、暴力とは無縁に優しく助け合っていた家族のなかに育った、無垢で純粋な母に出会ったわけだ。

父は、全てを失ってのシベリア帰り、母は戦前の小作農、貧困家庭に育った2人だったから、結婚生活の新居も農家の窓もない納屋を借りてのスタートだったという。想像もしたくないことだが、板敷の上にむしろに煎餅布団を敷いての初夜が母にとって幸せなものであったとはとても考え難い。1度だけその新居の惨めさを話をしてくれた母の目に涙が滲んでいた。「できることならすぐにもおじいちゃんとおばあちゃんのところに戻りたかった」とも言った。

しかし戦後数年を経たその時代、凄まじい天皇制は象徴天皇制と名前を変えただけで、人々の中には家父長制が強固に残っていた。女性解放は東京のトレンドのようなもので、地方に暮らし、ただただ家族のために働いていた母にとっては、離婚や出戻りは親不孝以外の何物でもないと泣きながら、その暮らしを始め諦めていったに違いない。

その後父はアルコールに依存しながらも仕事はしていたので、母もそれ以上は望むべくもなかった。戦争で男性が兵士とされ、結婚適齢期の男性が少なかったから、父は飲み屋の女性たちに大モテだったと言いながら、午前様で帰ってくる父からの酒臭いセックス。特に兄が生まれ私が2 歳までいた家は、襖を開けると隣の家という本当に貧しい長屋だった。そんな中での父とのセックスは母にとって暴力以外の何者でもなかったと思うのだ。

私が障がいをもって生まれたために、母は私と自分を救うために女の子を望み、思い通りに私の妹を出産した。その妹の妊娠だけは、彼女の意志と主体性に満ちたものだったろうと思うが、兄と私の受精のときには、父の精子はアルコールにまみれていたに違いない。もちろん妹の時にもアルコールが切れていたとは思えないから思いやりのない暴力的なセックスで私たち兄弟は誕生したのだ。あまりに悲しい現実で、それに向き合うのことを避けてきたが、書くことによってなぜこの社会がこんなに歪なものなのかの理解したいと思うので、もう少し書き続けよう。

父は酔うと母に卑猥なことを言って母を困らせていた。後年、中国をはじめとする女性たちに対する日本兵による性奴隷制を知ってから、父のそのいやらしさがそこに居ただろう父を彷彿とさせて私は逃げるようにいつもその場を去った。
ところで医療はアルコールの害にはあまりにも寛容だ。真に人々の命を守るというところでもし医療が機能するのであれば、アルコールについての厳しいキャンペーンを医療の側からももっと行うべきである。それなくして対等で気持ちの良いセックスなどというのは、なかなかに実現し得ないだろう。

戦争で甚大な加害と被害を繰り返しながら、その暴力の巨大さにひれ伏し、経済成長を続けた日本というこの国。人口の3分の1は家父長制の影響の下、暴力的セックスの中で生まれたであろう人々が権力を握っている国。そのために原発や愚かな農業政策や、そして今コロナの感染によって多くの人の命が追い詰められようとしている。にも拘らずその危機感に抗うことのない国、日本。

そんな中私の希望は、暴力的でないセックスで生まれたであろう若い人を見、知ることだ。

今から30年ほど前、私は20代の友人がセックスをする前にお互い裸になってしみじみとお互いの体を見つめ確かめてからセックスをしたという話を聞いて仰天したことがあった。そしてその5年後、私自身もアルコールも差別も不安もないセックスの中で娘を妊娠したと直感できるセックスをした。そしてその直感は現実となり、娘を出産した。娘の存在は私のそれまでの思い込みを覆し、暴力とセックスに何の関係もないことを明らかにしてくれる希望となった。

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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