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母はその時、小さな「マモルくん」だった

牧野雅子2017.08.28

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夏になると、戦争について考えることが多くなる。終戦(敗戦)の日に合わせた特集が、テレビや新聞で展開されるからかもしれない。それ以外にも、個人的な出来事から、思いを馳せずにはいられないのだ。

10年ほど前の夏、母に癌が見つかり精密検査を受けることになった。小一時間で終わるはずの検査だが、わたしも病院に付き添った。じゃあね、と母は検査室に入っていき、わたしは廊下の長いすに座って本を読んで待っていた。

しばらくして、それまで静かだった院内に、ピアノ曲が流れ出した。突然だったので、不思議には思ったものの、病院で音楽が流れていること自体には違和感はなく、再び本を読み始めた。程なくしてあちこちから、わらわらと病院スタッフたちが走って来た。いろんな色や形の白衣――って言い方もおかしいが、おそらく様々な診療科の医師たちが、一斉にこちらに向かって走って来た。彼らは、皆、慌てて検査室に入っていく。まるで医療ドラマを生で見ているようだった。先ほど検査室に案内してくれた看護師が「うちの患者さん!」と叫びながら検査室に入っていったとき、ようやく気付いた。母に何かあったのだ。

30人を軽く越える医師たちが検査室に入っていったと思う。どれくらいの時間がたっただろう、「牧野さんのご家族の方はいらっしゃいますか」と呼ばれた。母は、検査の途中で心停止に陥った。幸い蘇生措置が功を奏したけれど、余談を許さない状態で、入院をして管理する必要がある、そういう内容だった。1時間もすれば終わってけろっと出てくると疑いもしていなかった検査が、まさかこんなことになるとは。病室に移された母は、何本もの管が繋がれ、顔も別人のようだった。

母の意識が回復し、視線がわたしを捕らえた後、「一度、死んだの、分かったわ」と言った。そして、おもむろに、一人語りのように話し出した。子どもの頃の、空襲に遭った時の話、戦争の話を。時折、「どうして、今こんなことを思い出したのか分からない」、そう言いながら、話し続ける。

その時、母はまだ5歳。そんな子どもが、大空襲を経験したというだけでも胸が苦しくなるのだが、そこでは母は子どもとして扱われてはいなかったようなのだ。傷ついた人たちを手当する救護班のような組織に組み込まれ、包帯や薬が入ったカバンを持って歩く役割が与えられていたという。大きくて重いカバンは斜めがけにしても引きずりそうで、大人の足についていくのは大変だった。その姿は、まさに「歩く薬箱」(この話をしたときに、高橋フミコさんが言った言葉)だっただろう。
銃後の守りという言葉がある。戦時中、兵士が前線に行った留守宅を――というより日本を――女子どもが守るということ。お国のために。幼かった母もまた、銃後の守りに組み込まれていった。お国のためと教えられ、そうするものと思って。母はその時、小さな「マモルくん」だった。

空襲で多くの人が亡くなった。道には、遺体が丸太ん棒のようにそこかしこに「転がっている」。何かが違っていたら、母も生きていなかったかもしれない。遺体を踏んだりまたいではいけないと、そのたびにぐるりと避けて、匂いや暑さに朦朧としながら何時間もかけて歩いたという。

「一度、死んだの、分かったわ」。死という言葉を使うしかないほどの身体の状態が、過去の、死が身近に迫った記憶を呼び起こしたのだろうか。この母の話の内容は、わたしがそれまでにも聞いたことのあるものだった。だから、「一度、死んだ」ことの影響で脳内で何かが起き、新しく物語が作られたのではないことは、わたしが知っている。

わたしは、両親から戦争の話を聞かされて育った。実のところ、それは疎ましい経験だった。今の子どもは贅沢だと、戦時中の話を引いて、何かを欲しがるとたしなめられた。食事中、嫌いだからと残そうとすれば、戦中・戦後は食べるものがなくてひもじかったという話をされ、無理やりに食べさせられた。みんなで食卓を囲んでいるのに一人でさっさと食べ終えてしまう父に「ゆっくり食べて」と言ったなら、「子どもの頃、戦争で満足に食べられなかった。早く食べないと兄弟にとられてしまう、そういう子ども時代をすごした」と言われて、黙るしかなかった。戦争の経験談が、子どもに言うことをきかせるため、親の行為を正当化するために使われているように思えて釈然としなかったのだ。
今なら、そうとしか、そのようにしてしか、戦争を語れなかった両親の心情に思いを馳せることができる。わたしを育てていた時の両親の年齢はるかに超えて、ようやく。

父もまた、戦争経験者だ。ある夏の暑い日、初めて飲むというハーブティーを一口含んだ父が「ああ」と言って目を閉じた。「これは……進駐軍に貰ったガムの匂い……」。父は目を閉じたまま動かない。進駐軍のジープに群がる子どもたち。ギブミーチョコレート。齢80を越える父の中には、今もまだ、ジープを追いかける少年が住んでいる。その少年の話を、わたしはただ頷きながら聞く。たぶんそれは、昔の話ではない。

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牧野雅子(まきの・まさこ)

龍谷大学犯罪学研究センター
『刑事司法とジェンダー』の著者。若い頃に警察官だったという消せない過去もある。
週に1度は粉もんデー、醤油は薄口、うどんをおかずにご飯食べるって普通やん、という食に関していえば絵に描いたような関西人。でも、エスカレーターは左に立ちます。 

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