近年、韓国の女性アナウンサーの衣装を見て、強い違和感を覚えることが増えました。身体に密着し、ラインを強調する短い丈、肩を大きく露出するオフショルダーのドレス。いわゆる「ホルボク(ホール服)」と呼ばれる様式です。動きにくく、実務に適しているとは言い難いこの服装が、なぜ「プロフェッショナル」であるはずの報道の現場で標準化しつつあるのでしょうか。
「ホルボク」という言葉は、本来、クラブで働く女性が着用する衣装を指します。韓国社会においては、長らく性売買や接客業と結びついた文脈を持つ言葉でもありました。その衣装様式がトレンドとして再包装され、いまや女性アナウンサーを起点に一般女性へと広がっている現象は、単なるファッションの流行として片づけられるものではありません。
そこにあるのは、「社会的に成功した女性」でさえも、性的に消費される存在として再配置したいという欲望です。知性や専門性、努力によって地位を築いた女性に、あえて性的記号性の強い衣装をまとわせること。それは、男性中心社会における歪んだ自尊心を回復させる装置として機能しているように見えます。
最近、ある人気女性アーティストをめぐる契約問題に関連して、「オンリーファンズ(OnlyFans)に転じれば違約金などすぐに払える」といった発言が男性側から発せられました。これは冗談でも皮肉でもなく、女性の尊厳を貨幣に換算し、屈辱を与えることで優位に立とうとする発想そのものです。
この構造は決して新しいものではありません。かつて韓国の集娼地では、性売買に従事する女性に「ウェディングドレス」を着せて営業を行っていた時代がありました。当時、女性にとって結婚こそが社会的成功とみなされていたからです。つまり、「最も価値があるとされた女性像」を金銭で所有できるという幻想が、男性の征服欲を満たしていたのです。
スポーツの世界も例外ではありません。2021年、ノルウェーのビーチハンドボール女子代表チームは、競技に不必要なビキニ着用を拒否し、罰金を科されました。身体能力を競う場においてすら、女性の身体は「見せるもの」として規定され続けています。
これらは一見、別々の事象に見えます。しかし根底ではつながっています。あらゆる女性をポルノ的視線で消費し、尊厳よりも性的価値を優先させる構造です。女性が何を成し遂げても、どれほど努力しても、最後には「見る側」に都合のよい形へと引きずり下ろされる。その繰り返しが、社会全体の感覚を麻痺させてきました。
韓国の女性アナウンサーの衣装問題は、単なる服装の自由や個人の選択の話ではありません。それが「当然」「美しい」「プロらしい」とされるまでに、どのような価値観が刷り込まれてきたのかを問う必要があります。女性が何を着るかではなく、なぜそれを着ることを求められるのか。その問いを避け続ける限り、女性の人権は形だけのものにとどまり続けるでしょう。
これは女性だけの問題ではありません。社会が成熟するとは、人を人として扱う想像力を育てることです。いま私たちに必要なのは、欲望を正当化する言説ではなく、その欲望が誰を傷つけ、何を歪めてきたのかを直視する姿勢なのです。














