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世界の分断

中沢あき2017.01.27

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 この年末年始は日本で過ごした。家族や友人と賑やかに楽しく過ごした一方で、日本からドイツに戻ってきた途端、ほっとした。空港から乗り換えた電車の中で、見知らぬ乗客同士が話をしていたり、目が合えば、会釈や微笑みを交わしたり。勿論私もその中に加わることもあるし、そうでなくても、その様子を見ているだけでも心が和む。そう、その場を共有し合う和やかな空気がそこにはある。
 実家が東京にあるので、帰省の際は東京に居ることがほとんどだ。東京の電車の中は、ズバリ一言、怖い。車内はとても静かで、友人や家族、同僚と話をしている人はいても、基本的には皆、口を閉じている。その目はほとんどの場合、閉じられているか、手元のスマホを見つめているか、だ。ふと顔が上がって、他人と目が合おうものなら、すぐに逸らす。万一私が微笑みかけても、返ってくるのは戸惑いの表情だ。まあ、わからないでもない。普段からそういう出来事がない上に、下手すれば、精神的に不安定な人に絡まれる話だって、たびたび起きることなのだから、余計なトラブルを招かないための護身でもある。  どこからか声が聞こえるな、と思えば、それは誰かが一人で呟いている声だ。会話じゃない。気のせいだろうか。この数年、電車の中で、独り言を呟き続ける人を以前にも増してよく見るようになった。何を言っているのかはわからないが、視線は虚ろで、途切れなくずっと喋り続けている。静かな車内に小さく響くその独り言はなんだか哀しく、異様で、私は身をじっと潜める。  大晦日に夫と鎌倉に出かけたときの電車で、向いに座った男性は、ずっとひたすら財布の小銭を手のひらに出しては数えて財布に戻し、また手のひらに出し、とチャリンチャリンと硬貨を鳴らし続けていた。何の事情があるのかは知らないが、どこか切羽詰まったその姿は、のんびりと今年最後の時間を家族や友人と楽しむ他の乗客とはあきらかに違っていて、年を越すための手持ちのお金がギリギリなのか、それとも何かお金に執着しなければならない心の闇があるのか、と想像を巡らせしまった私の心も重くなった。
 年明け三が日。都心の地下道を夫と歩くと、混雑していた人の流れが急に変わって、何かと思ってそちらを見ると、壁に並んで展示されたアニメだかゲームだかのキャラクターに皆が一斉にスマホを向けて、ひたすら写真や動画を撮っていた。よくわからないが、どうやら人気のキャラクターらしく、そのファンの人たちや通りすがりの人たちも集まっているらしい。友人連れや中にはベビーカーを押した家族連れもいる。中には小走りにあちらこちらを移動したりと、その人たちが皆、興奮気味に同じ方向へスマホを向けているのだ。そしてそのスマホの先には、動かないキャラクターたちが並んでいる。アニメやマンガやゲームを否定するつもりはないし、架空のキャラへの愛、というなら、生身のアイドルへの愛だって、似たようなものなのかもしれない。けど、生身の人間とは目が合ったり(しなかったり)とか、言葉を交わせたり(しなかったり)とか、そういう駆け引きのコミュニケーションがある。でもこの壁に並んでいるキャラクターからはそういう反応は返ってこない。友人連れで来ている人はともかく、横隣になる他人とのコミュニケーションもない。皆一人一人バラバラに、スマホと壁のキャラクターの世界に入ってしまっている。彼等の背中を見ながら私は思わず口の中で呟いた。いったいどこに行っちゃってるの?あっけに取られるくらい、すぐ目の前にいる人たちがものすごく遠く感じられたのだ。なんだろう、これ?
 もちろんわかっている。この人たちの全てがそういう人たちじゃないであろうことも、そしてここに書いたこと全てが、今の東京や日本じゃないことも。でも、この人たちを見て思っていたのだ。今、一緒にこの時空間に存在している筈なのに、彼等は私と同じ世界にはいなかった。目の前にいても、どこか遠い世界に行ってしまっていた。いったいこの人たちはどこの世界に居るんだろう?もしかしたらこれは、日本の外に住む私の思い込みなのかもしれない。けれど、目の前の人たちと切り離されたような感覚になったそのとき、もし今この人たちと社会や政治や世界の話をしても、通じないんじゃないだろうかとさえ思ったのだ。この地下道の先に段ボールを重ねて寝転がっているホームレスの人や、この地下道の真上で憲法改正反対を訴える声は、この人たちの目や耳には全く入ってこないんじゃないだろうか。  ふと、なぜ日本の選挙の投票率が低いのかも、なんだかわかる気がした。もしかしたら、そういうことなのだ。別の世界に生きているのだから、この世界で起きている社会や政治の事に関心なんか持てる筈がない。自分の居る世界の事じゃないのだもの。スマホを覗く人も、お財布の小銭を数える人も、それぞれの事情はどうあれ、自分自身だけの世界に住んでいる。認めたくはないけれど、なんだか世界の分断を感じて、うっすらと諦めのような気持ちが心に広がったのを感じた。
 こんな暗い話を新年早々書きたくはなかったのだけど、年末年始に日本に居たタイミングで、こんな話になってしまった。世界を見回しても、新年から幸先いいスタートとはいえない状況のこの頃だ。でも前を向いていかなければ、と思う。そうだそうだ。悪いことばかりじゃなかった。何てことない小さな会話を、どこかの店員さんやタクシーの運転手さんと交わすこともあったじゃないか。友人や家族との賑やかな時間もあったじゃないか。そうやって、身の回りの小さな日常から、コミュニケーションを広げていけばいいじゃないか。
 と、暗い気持ちを振り払って、いつもの朝市のおばちゃんたちや近所の人、はたまた知らない別の買い物客と話を交わしたり、電車の中で隣同士の人と話したり、なんていうドイツでの日常に帰ってくると、心と体の緊張が緩むのを感じたのだった。
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© Aki Nakazawa
12月の半ば過ぎから点灯していた渋谷のイルミネーション。キラキラと輝くそこは、夢の世界のよう。一角にはイルミネーションを背景に素敵な写真が撮れるベストポジションが設けられていて、そこで写真を撮りたい人たちの長い行列には、色々と日本らしいなあと思って笑ってしまいましたが、友人や家族連れで賑わうあの場は、ちゃんと現実だったなあ。皆であの夢の世界を共有している感じがありました。ドイツに帰ってきてからも、東京の事について、ときどき振り返っては考えるこの頃です。
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中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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