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あの日から6年経って思うこと

中沢あき2017.03.17

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 今年もあの日が巡ってきた。忘れようがない、3月11日。6年経った後のこの日のことは、ドイツでもトップニュースの一つとして報じられた。津波で亡くなった人々への追悼、そして家を失った人々の避難生活がまだ続いていること、そして未だ収束の目処が全く見えない状態の原発事故のその後。特に原発事故のことについては辛辣だった。11日のお昼、1分にも満たないラジオのニュースの中で、安倍首相が追悼式の場で、復興は新たな段階を迎え、避難区域も解除と共に住民が戻れるようになったと話した一方で、ドイツ放射線防護協会会長であり、物理学者でもあるセバスチャン•プフルーグバイル氏は、汚染区域に住民を戻すとは言語道断であり、日本政府が安全と言うならば、それは嘘である、とのコメントを出したと報道された。政府の言葉が嘘、ということが全国放送で明言されたのには正直少し驚いた。同じような報道が日本の全国放送で流れることはおそらくないだろう。

 事故が起きた当国では未だ原発推進の方針を変えられず、複数の原発を再稼働させている一方で、遠く離れたドイツが事故のすぐ後に脱原発を表明し、以来ぶれること無く着実にその道を歩んでいる。日本の一部のメディアでは、ドイツの脱原発は夢物語だとかうまく行かないだとか書き立てたが、6年経った今、徐々に各地の原発の稼働停止を進め、現在稼働中の残り8基も2022年までの全停止が予定されている。それに代わる再生可能エネルギーの発電量は伸び続け、現在消費電力量の30%を超えて、逆に減り続ける原発の電力量の倍以上となってきている。原発をなくしていく代わりに石炭•褐炭電力が増加してしまったのは難点だが、将来的にはもちろんその割合を減らし、再生可能エネルギーを増やす方針だ。そしてそうしたエネルギー政策を支持する市民も、いまや全体の9割を超える。Fukushimaの事故後しばらくは、それでも原発推進派の意見は周りでもときどき耳にした。が、今ではその人たちもすっかり脱原発派である。

 世界で先だって脱原発を進めるドイツだが、じゃあだからドイツは安全なのかというと、残念ながらそうではない。日本と違って陸続きの欧州だから、近隣の国で稼働している原発が事故を起こせば、それはドイツにも当然影響が及ぶわけだ。

 私の住むケルンから西へ約70kmにあるアーヘンは、ベルギー、オランダとの国境に接する町だ。このアーヘンから更に西へ約70kmの所に、ベルギーのティアンジュ原発がある。この原発だが、70年代半ばから80年代にかけて稼働開始した数基があり、その老朽化が懸念されているだけではなく、実際にこの10年、故障による運転停止などが頻発し、問題になっている発電所だ。格納容器には数千個のヒビが見つかり、その危険性はなんと40%以上だという状況の中、ベルギー政府は当初の2025年の廃炉をエネルギー不足を理由に10年延長してしまった。もしここで深刻な事故が起きれば、その被害は国境なんぞ軽々越えて、ドイツまで及ぶことは想像がつく。当然他国とはいえ、ドイツやルクセンブルクなどの周辺国はベルギー政府へ稼働の停止の対応を求めているが、経済状況に余裕のないベルギーはそう簡単に脱原発へと舵を切ることができない。そうした中、一番近いドイツの町であるアーヘンでは、ティアンジュ原発の停止を求める反対運動やデモが活発で、同じ方向へ百数十キロ離れたケルンも、他人事ではない。

 つい先日、とある案件でベルギーへ行く機会があった。ドイツに近い小さな町の会社を訪ねたのだが、ケルンまで迎えに来てくれた女性社員の人と、2時間程の道中、いろいろと話をした。彼女の子供たちの交換留学の話や、彼女自身が参加した国際交流イベントの話。外国語を学ぶことや、違う文化の中での暮らしなど、異文化に関心が高くて大らかな人だなと感じた。そんな話をひとしきりした後、車窓の外の流れる風景に発電所の建物を見つけて、ふと彼女に訊いてみた。「そういえばティアンジュの原発はこの近くにあるんですよね」

 「そうね、もっと南の方だけど。ティアンジュだけじゃなくて、もう一つ別の原発もこの辺りにあるわよ」
私が更に質問をしようとしたのを遮るかのように、彼女は続けた。「しばらく前に夫とアーヘンに買い物に行ったのよ。そうしたら町中に、ティアンジュ反対!ってスローガンが貼ってあって、ビックリしちゃったわ!」ウンザリしたように語った彼女に、私は口を閉じた。その口調から感じたのは、おそらく彼女はティアンジュの原発問題にはそれ程関心がないようだった。なんでドイツ人があんなに騒ぐのかがわからない、とでもいうように。

 先程までの話で視野が広い人だとの印象を持っていた私は、軽いショックを受けた。こんな教養のある人だったら、きっと原発稼働には反対なんだろうと思い込んでいたのだ。でも一方でそれがこの国の現実でもあるのだ。ドイツのようにエネルギー政策を転換できる程の経済力はなく、例え事故が起きる危険性があると言われても代替策がないところに、原発ビジネスのロビーが居座れば、そこに稼働の理由はある。そして原発というリスクのあるエネルギーの真実もおそらくドイツのようには報じられず、話題にもなってないのではないだろうか。もちろんベルギーにも脱原発を唱える人はいるだろうが、彼女のような考え方がもしかしたらまだまだ一般的なのかもしれない。それはFukushimaの前のドイツや日本もそうだったのだ(日本は未だ、ドイツほど報じられているとは言い難いが)。哀しいことだけれど、人間は環境次第で思想がこんなにも変わるのだなということを目の当りにして、薄い絶望が心の中に漂った。

 その数日後の3月11日。義姉と甥っ子からメールが転送されてきた。それはグリーンピース発行のニュースレターで、現在のFukushimaを巡る日本の状況についてのレポートだった。その後かかってきた電話で甥っ子にこう話した。「まだあなたは小さかったから知らないかもしれないけど、6年前の今日、日本では大きな震災があって、たくさんの人が亡くなったり、家を失ったりしたの」「あ、Fukushimaのこと?」「そうね。津波や地震で亡くなった人や、そしてFukushimaやその周辺にはね、まだまだ苦しんでいる人たちがたくさんいる。でもそういうことを日本では大きな声で話し合うことがなかなかできない。でもその分、ドイツでは頑張って脱原発を実現させて、日本の人たちに見せてあげてほしい。皆の力で、脱原発は本当にできるんだってことを」

 ドイツが2022年に脱原発を実現するとき、そのときまでのあと5年で日本はどれだけ変わることができるだろうか?そしてドイツの周辺国であるベルギーやフランスはどうだろうか?次の大きな事故が起こるかどうかは、多くの市民がそのリスクを真摯に受け止め、自ら行動できるかにかかっている。件の彼女との話で、遠慮せずに何かもう少し話ができればよかった。Fukushimaの国の出身で、脱原発の国に住む私だからこそ、話せることがあったんじゃないかと悔やんでいる。

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© Aki Nakazawa

 毎年この日には、ロウソクを点して黙祷します。遠く離れた所に住む日本人も、日本人以外の人たちも、あのときの悲しみを忘れることはないでしょう。ドイツから日本へ向けられた原発政策への批判は、その思いと一緒であることを、多くの日本の方に知っていただきたいなあ。

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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