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前回の続きです。

今回の舞台で唯一の男性の役者が登場した時に、このひといらない、と思ってしまったのは、登場の仕方が怖かったからです。それは怖いものに対する拒絶でした。
一幕のセットでは舞台中央に小さなお寺と境内がありました。舞台は夜中で、厨子王役と思われる彼は、寺の後ろから人目をしのぶようにコソコソと現れて境内の下にもぐりこんだり、這い出てきたりして辺りをうかがいます。その様子はまるで不審者です。しかも海坊主のようなヴィジュアルの巨体です。

後日そのときの感想をゲイ友達に話すと、そういう人がタイプなゲイの観客は喜んでいたかもしれないね、と笑いました。
そうですか、そうですね、と思いました。

人のことは言えませんが、ゲイ男子で中島みゆきを好きな人は多いと思います。ゲイバーのカラオケで聞くことはそんなにありませんが、カラオケボックスで誰かが歌ったとたん、その場にいる人が次々とみゆきの歌を歌い始めるという経験は何度かしています。なので、「夜会」にもゲイの観客が相当数いるだろうな、とは思っていました。幕間の休憩時間に、ロビーに出て人々を観察していると、探すまでもなくゲイカップルを何組か発見しました。着流しでたたずんでいた青年にも、そういう目でチェックしました。

けれど、逆に中島みゆきからゲイたちへの直接的なメッセージは私の知る限り聞いたことがありません。私は、中島みゆきは超ヘテロセクシュアルな女性だと思っています。海坊主は彼女の趣味のような気がします。みゆきは男好きだと思います。そこがゲイと重なったとしても、みゆきがゲイだというわけではありません。このあたりが、一時期ゲイよりゲイらしかったマドンナやユーミンと違うところかもしれません。

私にとって海坊主の登場は、中島みゆきの世界に浸りたいのに浸らせてくれない異物の登場でした。タイプの男性(全体的に弱い感じの人)だったらまた違ったのでしょうか。しかも彼は歌も歌います(嫌なのか)。もう、しょうがないなー、という気持ちになりました。
私にとって中島みゆきの世界とは、異性愛者の女性が、いわゆる「男社会」の中で、どんなふうに傷付き苦しみ、それでもこんなふうに生きている、という実践の世界です。彼女は歌の中で様々な女性を演じてきました。

70年代から80年代の歌は、数々の「わかれうた」にのせて、特に「男社会」のなかで傷付く歌が多かったように思います。そんな女がいるの? というくらい極端にフィクション化された自虐する女が、それは生身の男なの? というくらい形骸化された男に惚れて泣いていました。それは男と女の恋愛ごとの体をなしていましたが、やはり「男社会」という、非常にざっくりとしているくせに明確に思える社会の中で歌っていたのではないかと思うのです。

橋本治が新刊で、「男は女を差別しない、自分の好きな女だけが大事で、あとの女はどうでもいいだけなのである」というようなことを言っていました。(「あなたの苦手な彼女について」ちくま新書 2008)

「男社会」のなかで、男たちにどうでもいいとされてきた女たちは、だから一人の男に認めてもらうことに必死になったし、男も自分の好きな女だけはどうでもよくないので必死になって、それで成立したのが恋愛だったのかもしれません。

そして中島みゆきは、その生存に重要な恋愛の場面でさえ、相手にとってどうでもいい女になってしまうことばかり歌います。むしろ、早く目の前の男にとって、「どうでもいい女」になってしまいたいかのようです。そうでないと、いつまでたっても落ち着いた生活ができないからかもしれません。なぜなら恋愛以外の場面では、やはり女はどうでもいい存在だからです。
「あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ」(「ファイト!」)
ということだったと思います。

ところが(ということもありませんが)、90年代に入り、中島みゆきの歌には、「男社会」で生きている男性への応援歌も増えてきました。前回少し触れましたが、「わたしの子供になりなさい」というタイトル曲では、「男には女より泣きたいことが多いから」と泣いている男に寄り添い、「もう愛だとか恋だとかむずかしく言わないで わたしの子供になりなさい」と歌います。宗教か、と当時は突っ込みましたが、実はそうではなくて、みゆきが男になってしまったのではないか、と今は思います。

この歌の中の女性は自分の中の男性にそういうことを言っていて、「男社会」で生きるために必要だった「男」としての自分を慰めている歌ではないかと思ったのです。他者としての男性は登場していないような気がします。中島みゆきはいつも一人でそういう世界をつくりあげてしまいます。

だから、やっぱり海坊主はいらなかったんじゃないか、と思うのです(まだ言う)。
「男社会」の中で異性愛者の女性であることはとても困難なことだと思います。中島みゆきは、その中でずっと歌の商売を続けてきて成功して、恋愛以外で男に認められる女、すなわち「男」になったのかもしれません。

「今回の夜会は今までよりもさらに難解だって評判よー」とゲイバーのママが、見に行ったゲイたちの感想を伝えてくれました。そう、中島みゆきの世界を分析したがる男たちはセクシュアリティーにかかわらずとても多い気がします(自分のことは棚上げです)。
私にとってももちろん「難解な舞台」でしたが、それでもわからないなりに盛り上がって、わからないなりに最後にオチがついたことはわかりました。その経験が楽しかったように思います。

吉田拓郎との曲の交換から、企業戦士の男たちへの応援歌「地上の星」のヒット、そして「背広の下のロックンロール」という歌までつくってしまう(そこには他者としての男性がいます、難解ではない、とてもストレートな表現です)、もう平然と「男」である自分を引き受けてしまったかのように見える中島みゆきですが、そうして男の観客をひきつけておいて、「夜会」という場所で、一人の女がつくり上げた世界をぶつけているようにも思います。そこにいるのは、「わからない」という男に対して、「そうですか」と、平然と「女」でいる中島みゆきかもしれません。
そしてチケットは2万円です。堂々と喧嘩を売っている気がしないでもありません。
公演が終わって表に出たときに、車体の長いリムジンが観客の誰かを待っていました。その誰かに走り寄って、「あなたはなぜこの喧嘩を買ったのですか」と聞いてみたい気持ちになりました。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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