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ゲイの飲み友達に酔うと人を叩くひとがいます。それは、陽気に頭や背中を平手ではたくといった感じです。彼は、それを嫌がる人にはそういうことはしない、と言います。そして、それは愛情表現の一種なのだ、と主張してきました。

けれど、いくら陽気で愛情のこもっている表現だとしても人を叩くのは良くない、というゲイバーのマスターの説得が功を奏して、最近は酔って人を叩くことがほとんどなくなりました。人を叩かなくても楽しいお酒が飲めるはずだ、ということを地道に言い続けてきたマスターの教育に驚きました。

彼が人を叩くたびに、それを見ていたマスターが「痛い!」と叫び、「叩かないで」と彼に言います。すると彼は先ほどの「愛情表現」の言い訳をします。するとマスターは、「それを見ている私が嫌な気持ちになるからしないでほしい」というようなことを言うのです。このやりとりが何回されてきたことでしょう。何度も彼とマスターはこのやりとりを繰り返してきました。そしていつのまにか、彼は酔っても人を叩かない人に変わっていました。

と書きつつ、先週私は酔っ払ってマスターの前でその彼の頭をはたいていました。実を言うと、私も酔うと人(男)を叩きます。それもあまり陽気ではありません。頭や背中に加えて顔や胸元にもむかいます。もちろん拳ではありませんが、手のひらか甲を使います。それはもちろん愛情表現ではなく、言葉に詰まったときの攻撃であり甘えであり、良く言って、突っ込みの一形態です。

彼と一緒に飲んでいても、彼に叩かれたり彼を叩いたりするので、周囲にしてみれば、ハタ迷惑な酔っ払いたちでした。

彼とマスターのやりとりを側で聞きながら、そうね、人を叩くのは良くないわ、と思いながら、また叩いているという状態です。そして、彼の「叩く人を選んでいる」という発言にも頷いていました。たしかに、叩いて即座に怒り出す人や嫌がる人、あるいは暴力そのものへの恐怖を感じる人、叩き返されたらすごく痛そうな人、私が叩くことによってそういう状態になりそうな男には、どんなに酔っ払っていても手を挙げることはしていない、と思っていました。

けれど、しょせん酔っ払いの判断です。しかも、自分勝手な想定だけで、叩かれた本人が実際のところどう感じているのかはわかりません。

今の仕事に就いて、スタッフの人たちと飲みに行くようになって、その中に、私と同じように酔って人を叩く男子がいて、私も彼を叩いて、そういうことをしているうちに、周囲にそれが飛び火して、周りの人たちが嫌がって気持ちが離れていくという経験もあったせいか、私もマスターの言葉のおこぼれを貰いつつありました。せめて、酔って人を叩く、私と同じような男しか叩かない、というヘンな言い訳をしながら飲んでいるところでした。そんなわけで先の彼にはそこから一抜けされてしまいました。

そういえば、酔っていなくても、私には、好きな男を叩くという癖もありました。
さかのぼれば高校生の時に、私は好きな男子を叩いてばかりいました。本当は触りたいだけなのに、人の目を気にしてそれが出来ず、会えば嬉しくて叩いていました。彼にしてみれば、痛いし、意味がわからないし、散々だったと思います。そうしているうちに、今度は逆に、私がラグビー部の主将に会うたびに蹴られるようになって、私を蹴る時のその嬉しそうな顔が、私は怖くて嫌で仕方がないという状態になりました。どう考えても、奴は私のことが好きだったんだろう、と今でも思います。類が友を呼んだのでしょうか、というより、奴を友と呼びたくない辺りが、まさしく似ていたところかもしれません。私は奴が大嫌いになり、そのうち口もきかなくなり、全てを避けて、そうして蹴られることもなくなりましたが、私が叩いていた男子は、私に手を挙げることはいっさいなく、かといって口をきかなくなるということもなく、私の暴力を交わしながら付き合ってくれていました。今はもう叩くことはありませんが、今でも細々と連絡を取り合うくらい、長く付き合ってくれています。
二十代の半ばには、当時勤めていたノンケのバーのマスターの顔をよく叩いていました。二人で飲んでいるときによく叩きました。マスターは私を叩き返すことはいっさいしないで、「おう、幾らでも叩け」とむしろ顔を突き出していました。「ちっとも痛ないわ」と言いながら、翌日には、「なんや今日はやけに顔が痛いと思ったら、おまえのせいやないか」と頬を冷やしながら笑っていました。若い人たちに慕われていた人でした。そんなマスターの顔を叩く若手は私しかいなくて、そのことを良くは思わない人や面白がる人から、「なんであの人を叩けるの?」と聞かれて、「甘えているだけなんよ」と答えになっていない答え方をしていました。

マスターは、「愛情のある暴力はあっていい」と断言する人でした。私は、「そんなものはない!」とまたマスターの顔を叩くという毎日でした。

こうやって書いていると、私は日常的に男を叩いてきたように思います。甘えや苛立ちからとか、言葉に出来ないからとか、と言い訳を書いていると、男女や親子間でDVをする幼い男と変わりません。その人が好きだから、という理由はいちばん最悪の言い訳のように聞こえます。

先日「タイガー&ドラゴン」という何年か前に放映されたテレビドラマをみていたら、「どつき漫才」の夫婦が出てきました。妻役が清水ミチコで夫役が古田新太です。漫才の舞台で、妻がぼけて夫に「どつかれ」ます。それが笑いとなる設定です。ドラマで漫才だ、ということがわかっていても、ミッちゃんが新太に「どつかれる」たびに、私は笑えませんでした。関西に長く住んでいて、相方を「どついて」突っ込むという様式には慣れていたはずなのに、どうしたことでしょう。妻役がはたく大助花子(じっさいの漫才コンビ)は好きだったのに、この設定が笑えないのは、やはり叩かれるのが女だからか、と思いました。以前、NHKの「英語でしゃべらナイト」のパックンが、アメリカのコメディアンは人を叩いて笑わせるということはしない、と言っていました。たしかに、男同士とはいえ、最近の私はダウンタウンの浜ちゃんの「どつき」にも消化不良を感じています。

男を叩かなくても、言葉で突っ込んで笑いをとったり、好きな人に甘えたり、言葉に出来ない気持ちを察してもらったり、それこそ愛情を表現することができる世界を私は選びつつあるのかもしれません。

この正月に紋付を着たクロ(いきなりの登場でスミマセン、彼氏です)に、畳んだ扇子で軽く頭をはたかれたときに、私は嫌悪と恐怖を感じて引いてしまう、という事件が起こりました。クロにしてみれば、おみくじで凶を引いて落ち込んでいる私を、落語家の風情で慰めるつもりだったのが、私がひどい形相をしたため、慌ててはたいたところを撫ぜようとしました。私は、まさしくDV男だわ! とその手を避けました。それは、クロがあのラグビー部の男子と同じように思えたからで、私が男を叩くスパイラルから脱しているからかどうかは、まだ疑わしいところです。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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