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「ニィキュッパ」

茶屋ひろし2010.07.09

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扁桃腺がはれたせいで、熱を出して、布団の中でうなされていたら、世界が分裂しました。テレビをつけっぱなしのまま、暗い部屋に転がっていたのですが、突然テレビの中の声がみんな、「2980円」と言っていることに気がついたのです。木村拓哉も篠原涼子も(たぶん月9の最終回、一度も見ずに終わりました)その他のコマーシャルの人たちも。それぞれべつの言葉を発していることくらいはわかりましたが、けれどその内容はみんな「2980円」なわけです。それは強迫的な感じではなく、むしろDJが巧みに操作してくれているように、小気味よく言葉たちが絡み合って目の前でダンスしている感じです。苦痛からの逃避で意識が飛んだのか、私はとても開放的な気分になり、「そうなんだ、誰が何を言っても、ニィキュッパなんだ、それでいいんだ」と楽しくなってきました。
そのあとも開放的な気分は続き、もうとっくに26歳ではないのにすっかり26歳だと思い込んで、26歳の自分がどこにもいない、なぜだろう、それは私自身がすでに存在しないからだ、じゃあこの体はなんだ、なんでもないんだ、存在してないんだ、なんだそうだったんだ、じゃあ苦しむこともないじゃないか、とわけもわからず自由になっていきました。
あとで、なぜ26歳だったのかと思いましたが、とくに26歳の自分や他人に思い入れはありません。2980円と同じくらいの無意味な数字の並びだったかもしれません。
そのあとは、私は一枚の毛布になりました。それは様々なジャンルの人を統合しているような毛布で、けっきょく全員、自分なのですが、例えば、警備員の自分という毛布になると、数人の違う顔の警備員が代わる代わるその毛布に投影されて、けれど全部自分だということはわかって、警備員になった場合の自分の、いろんな状態が見えているのかと思っていたら、次は小学六年生の毛布に変わって、そこには女の子もいて、でも全部自分のことで・・といった感じで、毛布で人格早変わり、みたいな経験をしました。どのカテゴライズに入っても変わらない何かを感じて安心しているようでした。
そこら辺で深い眠りについたようで、朝目覚めて、汗だくのまま、唾を飲み込むとかなり痛かったので、身支度をして病院に向かいました。行き先は耳鼻咽頭科です。
総合病院の初診外来は待たされます。受け付けを済ませて診察病棟に書類を渡したのが9時半、担当の看護士さんが顔を覚えてくれたことに安堵して、うとうと居眠りをしていたらすでに11時を過ぎていました。喉の痛みのせいで、本を読む気も何か飲む気にもなれませんでした。先ほどから見かけていた、グレーのオカッパ頭の男性が隣に座りました。聞き取れませんが、ひとりごとを言っています。普通に腰掛けているわりにはなんだか距離が近い、と感じましたが、席を移動する気力もありません。うつむいて目を閉じていたら、「眠いなー、眠い」と言っています。椅子の下で両足をブラブラさせて、ずっとひとりごとを言って、少しも眠そうではありません。へんなの、と再び眠りに入ろうとすると、「今日はわりと空いているなー」と言います。うそ、もう二時間以上待っているよ、私、と、それでもうつむいていると、にゅっ、と下から覗きこまれました。
うわ、話しかけられていたのか、ずっと。
驚きを隠して、余計に寝たふりを強行すると、その意志の強さが伝わったのか、反応があったと気づかれたのか、また顔を覗き込んできて(嫌です、やめてください)、「ずいぶん、待つでしょう」と明確に話しかけてきました。私は無言で鞄からタオルを取り出して、顔の汗を拭いました。「予約してきたの?」という質問に、マスクをつけるついでにうなずいて、目を閉じました。
ようやく話しかけるのも足をブラブラさせるのもやめた男性の横で、うっすらと目を開けて周りを見ていると、歩いている高齢の男性が、目の前の同じくらいの年代の女性の肩をぽん、と叩いて、「よ、しばらく。ほーら、これで三人目だ。ここに来ると、一人知り合いに会うと必ず三人は会うんだ」と嬉しそうです。
二丁目の昼間を見ているようです。まだ出勤していないのに出勤している気分になりました。看護士さんの応対に感心します。さっき道を説明して送り出したのに、また戻ってきて道を尋ねている女性には丁寧にもう一度、忘れ物を取りに来た男性には「もう(ナントカ)カウンターにお届けしました。気づかなくてごめんなさいね」と送り出す速さ。目元の動きしかわからない職員全員着用のマスクにヒントが隠されているのか、とあてずっぽうをしているとようやく名前を呼ばれました。
なにか一定のテンションで次々と他人への対応をコンスタントにこなしていかなければ勤まらない大病院です。けれど患者はそれぞれ固有の痛みを抱えていて、それには個別の対応が必要かと思われます。私には勤まりそうにないダブルバインドです。
「お会計受け付け」カウンターのマスク女性の一人はついテンションがアガるようで、呼んでも姿を見せない患者に、彼女以外はほとんど使用していないマイクをけっこう頻繁に使って、患者を呼び出していました。そのカウンターでマイクを基本的に使用していないのは、おそらく隣の「お会計お支払い」カウンターの女性たちが必ずマイクを使って呼び出すので、それとかぶらないようするためだと思われます。
けれど、わかるわー、彼女、と思いました。私もすぐにマイクを使ってしまいそうです。
二丁目で、年々、接客以外での他人への接し方がぶっきらぼうになっていく自分を思います(接客もすでにそうかもしれません・・)。熱にうなされて一度壊れたせいかもしれませんが、まあ、それでもいいか、なんて思ってしまいました。愛想よくしてくれる人もたくさんいるし、話しかけやすいひとに話かけたらいいよ、と例えばグレーのオカッパおじさんに思います。あなたがグレーのオカッパなのと同じくらいに私はぶっきらぼうなだけだよ、そこはすれ違うしかないよ、とか。
薬の処方が効きはじめて声が出るようになってきた私に、職場のポチが、「茶屋さん、僕はこれから自分に楽しいことしかしません」と言いました。宣言が好きな人です。「いいんじゃない、それで」と私もいつものように適当です。「だから僕は・・」と、続けようとするポチの台詞を遮って、「あなたは自分に厳しいのよ、だから周りに敵をつくらないとやっていけない、だってそれは、周りに敵がいないと自分が敵になるしかないからでしょう。そんなの苦しいもんね。そんな敵なら端からいらないよ」と矢継ぎ早です。
ポチはため息をついて、「茶屋さんは本当に僕の話を聞いてくれませんね。声が出ないままのほうが良かった。それに、僕の敵は茶屋さんだけですから」といつもの恨み節で終わりました。「だから僕は・・」の続きは、「2980円です」だったのかしら、まさか。
扁桃炎がポチの呪いだった、とは思いません。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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