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チップさん

茶屋ひろし2011.10.05

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地デジ化に乗り遅れて二ヶ月が過ぎました。二十歳で家を出たときに買った19型のブラウン管テレビは砂嵐を映すだけになりました。一年ほど前に急にアナログの電波も入りにくくなって、見られるチャンネルが三つくらいになったとき、私の住んでいるビルのアンテナがデジタルに切り替わったのかしら、と思いました。大家に確認はしていません。フェイドアウトのようにテレビが見られなくなっていき、今年の、しかも私の誕生日に、まったく映らなくなりました。
こうなることはもちろんわかっていたのですが、なんとなく手を打つ気にもなれませんでした。お告げなのか、流れなのか、怠惰なのか、貧乏なのか、これまでテレビがない生活をしたことがなかったので、してもいいかも、とラジオと新聞、たまにインターネットで世の中を知る生活が始まりました。けれど、ひとつきも過ぎたころ、それにも飽きてきました。テレビが見たい。
夏の終わりに臨時収入があり、これで新しいテレビを買おうと思いました。チュ― ナーを買えばブラウン管でも見られるだの、ケーブルテレビに加入している人はそのまま見ることができているだの、デジタルテレビを買うなら32型くらいの大きさはないと、など、いろいろな情報を人づてに聞きながら、職場のオーラちゃんにそのお金を託して、「テレビを買ってください」とお願いしました。
オーラちゃんはオーディオ通なのです。時々、電気屋に勤めているのではないかしら、と思うほど、商品の流れを説明してくれます。九月から十月はちょうどセールの合間だから一つ前の型のなんとかというなんとかがこんなに安く買えるはずだよ、みたいなことでしょうか。ふんふんと聞きながら、左から右へ抜けていく一方なので、一任することにしました。
ところが秋の初めに思わぬ出費が重なり、その月の生活に危機を覚えた私は、オーラちゃんに託して一週間で、「お金を一時、回収させてください」と頭を下げることになりました。テレビを一台買うことが、こんなに生活を逼迫させるとは思いませんでした。数回飲みに出ることを我慢すればいいだけの話なのですが、それは出来ない相談です。けれど、なるべくそのお金は使わないでひと月を乗り切ろうと、封筒に入れたまま、ない神棚にそなえる気持ちで、本棚の隙間に放置しました。
そんななか、ひさしぶりにチップさんがお店に現れました。一年ほど姿を見せていなかったわ、と思い出したら入院していたそうです。七十歳を越えているでしょうか、昔からのお客さんです。ビデオを買ってくれたあと、別途にお金をくれるチップさんです。
いやいやいや、けっこうです、と断っても、ん、んっ、とお札を手渡そうとされます。
受け取って、ありがとうございます、と頭を下げると、にっこりと笑います。いろいろな人に秘密にしておきたい出来事です。
チップさんは来店し始めると、毎日のように来てくれます。昨日買ったビデオを今日売って、またビデオを買ってくれます。一週間もすると、チップさんが好きなジャンルのビデオはたいてい見尽くしたことになってしまいます。そうすると、今度は一度見たものを、再び購入されます。線路は続くよ、どこまでもです。
ビデオを選びながら、チップさんはいろんなことをしゃべります。
「昨日も三時間しか眠れなかった」「ずーっとビデオを見ていて、さっきまで見てい たんだ、何か見ていないと寂しくって」「あせもができた」「ぶどうがいちばん好き。大きいのじゃなくて小さい粒の」・・。一人暮らしで、「お金には困ってねぇ」そうです。地デジ化は済んでいますが、テレビはプロレス以外見ないそうです。
チップさんは人ごみが苦手です。狭い店内にお客さんが増えると、一時的に店を出て行きます。空いた頃にまた戻ってきます。狭い通路で、背後に人が通ると、大きく肩をすくませて触れないように背伸びをします。少しでも相手が触れると、ちっ、とか、けっ、と心から嫌そうな顔をして、相手が出て行った後に、「ぶん殴ってやろうか」と恐ろしいことを言います。嫌いな奴は嫌い、とはっきりと言って、こないだま
で通っていた他の店の店員が、気に入らないことを言った、もう二度と行かない、とそこのポイントカードを、私の前で破り捨てたこともありました。
ナイーブで気性が激しい面があります。これが江戸っ子なのかしら・・、と私は気をそらしてみますが、いつ、私を嫌いになるかわからないわね・・、と緊張もします。
ともあれチップさんのくれるチップで飲みに行くことができて、気持ち神棚に置いた封筒のお金に触れることなく、ひと月を終えることができそうでした。よく考えたら、チップさんのチップを使わずに貯めておけば、もうとっくに買えたかもしれないテレビですが、なぜそうしなかったのかは自分でもわかりません。
ある雨の夜、仕事を終えた私は、今日はチップさんも来なかったし、お金もないし、真っすぐ帰らなければ、と思って、でも本当に財布の中身がなかったので、職場の近くのコンビニのATMでお金をおろしました。店を出てビニール傘を開いたちょうどそのとき、チップさんが目の前を通り過ぎました。顔は合わせていません。スタスタと通り過ぎたチップさんの手にはいつものウチの店のビニール袋が提げられています。
声をかけそびれました。後姿を見送って、でも方向がいっしょだわ、とあとをついていく形になってしまいました。チップさんは思わぬ動きをしました。急に角を曲がったかと思うと細い路地に入り駐車場に出てしまって、ただまっすぐ歩いていた私のほうを見て首をかしげました。横に十メートルくらい離れていたでしょうか。私は気づかなかったふりをしてしまい、そちらに傘を少し傾けて歩き続けました。
しまった、しまった、と直後に後悔が襲いました。もう、あの人は店に来ないかもしれない、と思いました。それから一週間たち、二週間がたった今も、チップさんは姿を見せていません。
オーラちゃんは、テレビを注文してくれました。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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