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ストリートの民主主義『BPM ビート・パー・ミニット』

三木ミサ2018.04.13

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金曜夜、安倍政権下で起きた公文書改ざんに対して、抗議に集まった人たちからくり返されるシュプレヒコールの波。

「民主主義ってなんだ」

ここ数年、デモや抗議活動で民主主義が根幹から問い返される場面に幾度も出くわすが、「これは民主主義じゃない」というのはハッキリしていても、「これこそが民主主義」というイメージを明瞭に持つことは、案外難しい。

カンヌ国際映画祭グランプリ受賞『BPM ビート・パー・ミニット』は、さすが命がけで民主主義を勝ち取った国フランス、徹底的な議論と抗議活動の様子が印象に強い。

1990年代初めのパリを舞台に、HIV感染への差別と闘う実在の団体「ACT UP Paris」の活動を通して描かれるストーリーは、観るものを鼓舞する感動歓喜の内容というより、むしろ全体を通して、かなりシビア。

感動の物語として消費することを回避するように、ACT UPの活動を粛々と描く。

デモや抗議活動の場面は絵的には盛り上がる見せ場となるが、それは映画を構成するほんの一部分。
多くは、ACT UPで週に1度開催される、ミーティングの様子を克明に描くことに割かれている。
このミーティングは、誰でも自由に入ることが可能なオープンなものなのだとか。
学校の教室なのか、公民館のような場所なのか、殺風景な室内で延々くりひろげられる会話は絵面こそ地味だが、表からは見られない、このミーティングこそがACT UP の活動の根幹だったことがわかる。

立場も境遇も様々なメンバーは、その多様性ゆえに活動方針を巡って対立することもあるが、多数決で性急に結論付けたりせず、あくまで話し合いで、合意形成を取っていく。その過程は観ているだけでも本当に骨の折れる作業で、これこそが多様性に開かれた民主主義の本質、一朝一夕で手に入れられるもんじゃねえな・・・と思う次第。

メンバーの死を悼む場面でさえも、遺骨をどのように分配するか議論しているんだから、恐れ入りました、という他ない。

「過激」と言われる抗議活動も、実際には、こうした議論を地道に重ねて戦略的に行われていたこと、そして、政治的な思想や医療的な知識も、メンバー同士で、意見を交換しあいながら獲得していったことがよくわかる。
時には新薬のデータを出し渋る製薬会社に押し入り血糊をぶちまけ、時には高校に侵入してコンドームを配布する啓蒙活動を行い、時にはゲイプライドのパレードでチアガール姿で訴える。
これらACT UPの活動の元となっているのが、ミーティングというわけだ。

とは言え、作中でも他団体からACT UPの活動が非難される場面が描かれていたように、デモや抗議活動への忌避感が強いここ日本では、「主張はわかるけどやりすぎ」と感じる人も、少なくないのかもしれない。

そうした空気への配慮なのだろうか、彼らの抗議活動が、必要以上に「過激」と形容されているような気がしてならない。
映画を見ればわかることだが、過激に見える表現も、非暴力が貫かれていて、実は個人を傷つけるようなことはしていない。たしかに「大胆」ではある。が、これが「過激」とまで言われてしまうのは、どうなのだろう。
大企業や国家に対して声をあげても抹殺されてしまう側が、暴力に頼ることなく訴えた表現を、非対称な権力勾配を度外視して、過激と判断するのはちょっと早急過ぎやしませんか。

自らの権利を放棄する人間は、やがて、他人にも権利の放棄を迫るというのが常。
生きる権利を、情報を知る権利を、デモをする権利を彼らはしっかりと手放さないようにしているだけ。
民主主義への不断の努力とはこういうもの、日本人はもっと彼らを見習うべき、くらい言ってもいいんじゃないの。

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三木ミサ

三木ミサ(みき・みさ)

神奈川出身。元シノラー。学生時代にフェミニズムに目覚め、男子学生たちがオンナに抱く幻想を打ち砕くべく目の前で放屁をするなどの実践を試みるも、のちに、ジェンダーの問題ではなく、人としてのマナーの問題だったことに気づき反省。フェミニズムをゆるやかに模索する日々。出来れば、猫を産みたい

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