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第五十二回『何もしないんですか?』

菊池ミナト2019.06.01

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テレビを見つめる山田仕郎は地蔵のように静まり返っていた。
バスローブ姿の私も山田仕郎を凝視したまま静まり返っていた。
昔、何かの授業で習った。人間は視野が180度以上あって、目線が前に向いている時でも真横に何かあるのは認識できる。私と山田仕郎、更にテレビの3点を結ぶとギリギリ鋭角になる位置関係だったので、山田仕郎は視界の端に私の姿を見ている筈だ。バスルームから出てきた私が、そのまま突っ立っているのをわかっているはずだった。
「明日何時に起きます?」 
そう私が聞くと、山田仕郎はしばらく間を置いて、こちらを見ずに「ん~?」と言った。
どんな感情なのかよくわからない言い方だった。
なんで語尾が上がった? どうして質問したのはこちらなのに、疑問形で返ってくるんだ?
あまりにも予想外の声で、本当にどういう意図で出た反応なのか何もわからない。もしかしたら聞き返されたのかも知れないが、自慢じゃないが私の声はよく通るほうなのだ。「明日」を聞き逃しても「何時に起きます?」は聞こえただろう。

山田仕郎の返事を待つ数秒の間に私は無意識に腕を組み、両足の幅を広くとって仁王立ちしていた。
「はぁ」と山田仕郎はテレビを見たまま息を吐き出した。
「八時、八時、八時」
「八時ね、オーケー」
その面倒くさそうな言い方でわかった。さっきの「ん~?」は、「そんなことわざわざ聞かないでください」だ。まぁでも、同じベッドにいれば、何となく相手が起きた気配でこちらの目が覚めることもあるだろう。

「朝ごはん何食べようかなぁ、さっきサイト見たら、リコッタチーズがいっぱい入ったパンケーキが美味しいんだって」
「パンケーキが美味しいんですね」
気を取り直して朝食の話をしてみても、最後の部分だけを復唱されて話が終わってしまう。

私は腕を組み直して考えた。
今から一回セックスして、そのまま寝てしまうかもしれない。そうしたら翌朝八時に起きてお風呂に入って、もう一度セックスすればだいたい昼前くらいで、そうすればラウンジの朝食の時間が終わってメニューが切り替わる頃だ。
パンケーキは、朝食の時間帯には提供していないのである。

「寝ます?」
仁王立ちしていた足を閉じ、組んだままの腕をほどいてからそう聞くと、山田仕郎は「あァ、はい、はい」と言ってテレビのスイッチを消した。別にテレビを見ていたわけではないのだった。

おかしな話なのだけれど、私はその瞬間も、心の底から「結婚式も終わったし、この後セックスだ!」と信じていた。

テレビが消え、消した本人も地蔵のように硬直しているので、私だけが物音を立てているようで妙な心持がした。
旅行鞄の中をごそごそと探る手を止めると、空調の音しか聞こえない。沈黙し続ける山田仕郎は何をしているのだろうと思って振り返って見ると、腕組みをしてテレビの画面のほうを見ていた。もちろんテレビ画面には何も映っていない。
どうして腕組みをしているのかよくわからない。

そういえば私もさっきまで腕を組んで仁王立ちしていた。もしかしたら私が直前まで腕を組んでいたので、無意識のうちにそれを真似しているのかもしれない。

あっ、”Postural echo”(姿勢反響)じゃん、と大学の頃に英語の教材で読んだ言葉を思い出して、私は少し考えた。一緒に過ごしている相手のしぐさやポーズを意識せず真似してしまうのは、親しみや好意を表しているはずだ。姿勢反響とはそういうことだったはずだ。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。

「電気消します?」

そう声をかけると、山田仕郎は上半身をねじってベッドサイドを探し始めたのに、ものの数秒でまたテレビのほうを見てしまった。

「明かりはつけとく派?」
「消してください」

おそらく、スイッチがわからなかったのだ。
立っている私が電気を消すと、山田仕郎はシーツと掛布団の間に挟まれた状態からスライドするようにスッと横になった。よく見えなかったが、音でわかった。

私はスタスタ歩いてベッドまで行き、同じようにシーツと掛布団の間に納まった。そうしてそのまましばらく待った。一定の高さで響き続ける空調の音を聞きながら、山田仕郎の立てる物音に耳をすませた。
時間にすれば30秒程度だったかもしれない。
気がつくと私は、
「何もしないんですか?」
と言っていた。

隣の山田仕郎は眠っているわけではない。呼吸の雰囲気でわかる。
私は上半身を起こし、もう一度、暗闇の中で「何もしないんですか?」と言った。
返事はない。
けれど眠っているわけではない。
私が辛抱強く待ち続けていると、上から見下ろされているプレッシャーに負けたのか「ん~?」と声が聞こえた。先ほどの「ん~?」と同じだった。

「もしもし?」
「2回もやったし」
「はぁ?」
「2回もやりましたし、もういいんじゃないですか」

私は速やかに行動に移した。
山田仕郎の顔のあたりに手をのばし、あごをつかんで見当をつけると上から唇に唇をくっつけた。
けれど、山田仕郎は微塵も動かなかった。息もしなかった。口を開けろ、と思ったが、山田仕郎の全身が私を拒絶していた。
まるで死んだふりをしているみたいだった。

2回ってあれか、あの、キスした風を装ってごまかしたことを、2回とカウントしているのか。
『やった』とカウントできるようなことだろうか。
私は唇を離して再びベッドの中に納まった。山田仕郎は何も言葉を発しない。けれど、息を止めていた時間が長かったので、鼻がスピースピー言っている。
私は普通に息をしていたので、もしかしたら私の鼻息が顔にかかって嫌だったのかもしれない。

どうすればいい?
どうすれば、この惨事を伝えられるだろう。
伝えるって、誰に、と思い、私は恐らく生まれて初めて『全人類』のことを考えた。私以外の全ての人間に今日あった出来事を伝えたい。

突然、大学の授業で読んだ『藤十郎の恋』を思い出した。

役者の坂田藤十郎が、自分が演じなければならない『人妻との道ならぬ恋』をよりリアルなものにするために、それまで何とも思っていなかった旧知の人妻、お梶を誘惑する。役者の語彙と上手なお芝居で、お梶は夫を裏切り藤十郎のセックスに応じようと行燈の火を吹き消す。けれど、藤十郎はお梶を抱かず、その場に置き去りにして部屋を出てしまう。後日、お梶は首をくくって死ぬ。

私は、お梶の死は抗議の死だと思っていた。授業ではお梶の死について特に言及されなかったので一般的にどう思われているのかは知らなかったが、ともかく、藤十郎への抗議だと思っていた。
それを今思い出した。

オーケー、抗議になるのなら、今死のう。
結婚式があったその日の夜に私が死ねば、それなりの衝撃を残せるはずだ。
この、今日起きた全てのことに対する抗議として死ぬのであれば、今がいい。
絶対に、早ければ早いほどいい。

お梶は首を吊ったが私に縊死のノウハウはなく、丈夫な紐もない。切ったり刺したりするようなものもない。ガラス張りの風呂場でガラスを破壊することも考えたが、破壊した瞬間に物音で山田仕郎にバレるだろう。やりたいことは風呂場の破壊ではなく、ガラスの破片を使うことなので、現実的とは言い難い。睡眠薬も、酒もない。
となると、ホテルのバルコニーから落ちるのが一番適切なようだった。

決めてしまうとあとは山田仕郎が眠るのを待つだけだった。
起きている山田仕郎は、息をひそめている。眠った後の人間は、本人の意思と関係の無い寝息を立てる。まだ寝息は聞こえてこない。
待っている間、暇だった。
暇だけれど、今すぐ飛び降りるわけにはいかなかった。

山田仕郎は明日の朝、八時に起きて、バルコニーの下で冷たくなった私を発見しなければならない。ホテル側に説明しなければいけない。結婚式を祝ってくれたばかりの親戚、同僚、友人知人に至るまで、自分で説明しなければいけない。
たしか一定の階数以上から落下すればオーケーで、この部屋は明らかにその高さをクリアしている。大丈夫だ。

私が入っている保険の免責期間2年だった。契約してから既に2年は過ぎているから、自殺でも死亡保険金が受け取れる。大丈夫だ。死亡保険金は父が受け取るだろう。
そこまで考えて、私は相続手続きのことを思い出してしまった。むしろ、なぜ最初に思い出さなかったのかわからなかった。私はバカで、銀行員失格だ。もうすでに山田仕郎が配偶者なのだ。つまり私の財産の半分は山田仕郎のものになってしまう。半分とまではいかなくても、遺留分というものがあるので半分の半分で4分の1は確実に山田仕郎のものだ。

ダメだ。私がお金を稼ぐ原動力になったのはお花ちゃんで、私の蓄財の半分はお花ちゃんのおかげだった。
それが、たとえ一部分でも山田仕郎のものになってしまう。
お金に名前は書けないので、口座に入ってしまえば無力透明のカネである。私のものだったかどうかは、すぐにわからなくなってしまう。
そう思うと、途端に命を使って抗議する、ということがまったく魅力的ではなくなってしまった。
 
そうして、一度死ぬことに決めたというのに、私は口座の残高を思い浮かべ、そのまま眠りについた。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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