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翌朝は、自分がセットしたアラームが鳴るより早く目が覚めた。外はすでに明るく、もちろん窓の外では誰も死んでいない。

携帯電話で時間を確認するとそのままアラームの予約を解除し、ついでにメールを見た。参列してくれた会社の同僚や同期、友人たちから届いていた昨夜の結婚式の感想のメールに並んで、お花ちゃんの名前がある。件名はなく、本文には「18日のライブのチケットってお前が持ってる?」とだけ書いてあった。私が発券したので私が持っている。お花ちゃんはいろんなものをすぐなくすので、手元に見当たらず不安になったのだろう。

ダブルベッドを揺らさないよう細心の注意を払って隣を見ると、まず枕が見え、その向こうに山田仕郎の後頭部が見えた。もともと枕は4つあって、位置的には、私と枕1、その隣に枕2、枕3と枕4の間に山田仕郎の後頭部だ。遠い。おそらく今日、この頭部がこれ以上至近距離に近づいてくることないな、と思いながら枕の下にもぐり、「こっちで2枚とも持ってるから安心しな!」と返信した。それから、私はベッドを抜け出した。

私たちが結婚式を挙げた日はもともと国民の祝日で、なおかつ土曜日だった。だから今日は結婚式翌日の私たちだけじゃなく、参列してくれた同僚もみな休日である。「自分だけ休みだからって、こっちは出社してるっつうのに私用のメール送ってこないで欲しいよね」「何考えてんだって感じ」という、かつて更衣室で聞いた会話が幻聴として耳元で再生される。いやいや大丈夫、今日は銀行は休みなので、メールを送っても誰の迷惑にもならない。

バスルームは快適な個室だった。部屋全体が乾燥していたのか、浴室は床も浴槽も夜のうちにすっかり乾いていた。私は未使用のバスタオルを大理石の浴槽の縁に置き、その上に座って持ち込んだペットボトルのお茶を飲んだ。それから洗面所に戻って、壁のソケットに携帯型デジタル音楽プレイヤーのiPodを差し込んだ。この客室のバスルームには、浴室音響システムとでも呼べばいいのか、バスルーム全体で音楽が聴ける設備が整っていて、私はお花ちゃんが作ったプレイリストを小さな音量で再生した。それから、音楽を再生したまま洗面所を通り抜け、ベッドルームに戻った。

ベッドルームでは、山田仕郎のいびきと空調の音だけが聞こえる。オーケー、バスルームの音は聞こえない。

私は安心してバスルームに戻り、音楽を聴きながらお茶を飲み、届いた順にメールの返信を打ち、それがすべて終わると顔を作った。顔を作っている時にお花ちゃんから電話がかかってきて、私は着信画面を見て少し考えた後、普通に電話に出た。

「あっ、ババァ出た」

「そりゃ出るよ。電話、鳴ってるんだから」

私はたいてい、すぐに電話に出るのでお花ちゃんは違和感を感じたのかも知れない。

お花ちゃんが平然と電話をかけてきたのは別に偵察でも宣戦布告でも何でもなく、そもそも私はお花ちゃんに結婚式の日取りを伝えていなかった。つまり、お花ちゃんにとって今は普通の日曜の朝なのだった。

「俺チケットなくしちゃったかと思ってさぁ」

「私持ってるよ」

「ババァやるじゃん」

「まぁね」

携帯電話を耳にあてた状態で化粧水を顔につけるのは至難の業だった。

けれどさすがにスピーカーホンにする勇気はなく、肩と耳で挟んだり、左手に持ち替えたりすることでどうにか化粧を続けた。もし話し声で起きた山田仕郎が突然入ってきたら、普通に「おはよう」と言えばいい。結婚式の夜にセックスに誘われて、応じることもできないような男が、電話の相手が誰かとかそんなことまで突っ込んで問い詰められるはずがない。

電話の向こうのお花ちゃんは流れる音楽に気づいて「お前スピーカー買った?」と不思議そうな声を出した。

「買ってない、もともとあったスピーカーに差し込んだの」

「ふーん」

私は昔、「バイト先のコンビニの冷蔵庫から電話をしている」と主張するお花ちゃんの声の聞こえ具合に違和感を感じ、実は居酒屋のトイレから電話していることをズバリ白状させたことがあった。白状させた翌日、「メールの履歴を見せろ」と強硬に主張し、女からの「朝まで一緒にいてくれてありがと」という文面に激昂して携帯電話をアスファルトに叩きつけたことがある。今思えば、器物損壊だ。

今は逆の立場だったが、お花ちゃんは特に何も聞いてこない。

欲しいシャツがあるとか、セールになるまで待とうか迷っているとか、お花ちゃんは結論の出ない話を続け、私は「でもお金使うと楽しいよね。買い物最高」と言った。

「何、ブタちゃん何か買ったの?」

昨日買ったのは「結婚式」だ。

私は左手で携帯電話を持ち、右手で眉を引きながら「何も買ってない。前に買った高い買い物を思い出しただけ」と答えた。お花ちゃんと話すことで私は自分の状況を忘れようとしていたが、どうにもうまくいかなかった。もしかしたら、本心では、お花ちゃんに問い詰められたいのかもしれない。 

「顔できたから電話切るね、ばいばーい」と言い、お花ちゃんに「ババァ!」と謎の切られ方をして、携帯電話の時計を見ると八時をかなり過ぎていた。もう山田仕郎は起きているかもしれない、と思いベッドルームに戻ったが、特に起きる気配はない。

そう言えば、以前、恵美子さんとお嬢さんに誘われて一晩泊まり、山田仕郎と布団を並べられた時の起床時間も八時だった。あの時、「仕郎をよろしくね」「明日は、私たち八時までこっちには来ませんからね」と言い残し、恵美子さんとお嬢さんはベランダから隣の部屋へ消えて行ったのだった。

今日は八時になったからといって窓の外から恵美子さんたちがあらわれるわけでもなく、山田仕郎は自分でアラームをセットしていた様子もない。

そして私は、山田仕郎をゆすって起こす気さえ起きなかった。

気がつくと私は昨晩と同じように腕を組み、大股を開いて仁王立ちをしたまま山田仕郎の後頭部を見下ろしていた。他人を朝起こすのが嫌いなわけじゃない。寝ているお花ちゃんを起こすのは好きだ。

でも今は、正直起こす義理も感じない。けど、昨日ウキウキしながら「明日何時に起きます?」と聞いてしまったし、「八時」と言われたのを「オーケー」と了承してしまった。

「オーケー(起こします)」と受け取られているだろうし、口約束でも反故にするのは気分が悪い。
私は仁王立ちをやめてベッドの逆側まで歩いていき、バチン! と音を立ててサイドランプをつけた。

それから、思い切り勢いよくカーテンを引いた。部屋がいっきに明るくなる。窓の外、遥か下のほうを走る車をチラッと見てからリモコンでテレビの電源を入れた。もうこれ以上、立てられる音はない。

そのままソファにどかっと座り、携帯電話をいじっていると、山田仕郎が目を覚ました。一声は「はぁ」で、続いた言葉は「疲れた」だった。
そのままのろのろとベッドから這い出し、私の前を素通りして洗面所に行こうとしたので微笑んで「おはよう」と言ってみた。

朝の挨拶の習慣がないのだろうか。

「『おはようございます』はないんですかぁ?」と微笑んだまま尋ねると、「オハヨウゴザイマス」とこちらを見ずに言い、そのまま洗面所に行ってしまった。

朝食に山田仕郎はホテルメイドのオムレツを食べ、私は予告通りパンケーキを食べた。朝食のメニューになかったので提供していないかと思っていたのだが、言えば作ってくれるのだった。作っておいてもらってひどい感想だが、わりと普通だった。シチュエーションが違えばもっとおいしかったのかもしれない。

私はパンケーキを食べている間はパンケーキを見つめ、紅茶を飲んでいる間は紅茶を見つめた。食べ終わってしまうと、ぼんやり外の景色と他の客を眺めた。

普通に家に帰るんだな、と思った。

父と母が待つ自宅に帰るのである。この期に及んで、私と山田仕郎はまだ新居を決めていない。決めていないというか、決まっていない。山田仕郎に自分で新居を探す気はなく、恵美子さんが見つけてくるのを待っているのだ。だから今日のところは、私は私の実家に帰るし、山田仕郎は山田仕郎の実家に直行する。

食事が終わると部屋に戻り、荷造りをしてチェックアウトした。
駅で「お疲れ様でした」と言われ、私は瞬間的に殴りかかりそうになったのだが、今殴ったところで何の解決にもならない。気分はすっきりするだろうけれど、それじゃあただの暴力だ。

「恵美子さんとお嬢さんによろしくお伝えください」と笑顔で言って、駅で別れた。

母に「今から帰ります。昼食は家で食べます」とメールしたら「あらまぁ、了解」と返事が来て笑ってしまったのだが、実際に帰宅するともっと笑える展開が待っていた。

母のところに、恵美子さんとお嬢さんからお詫びの電話があったらしい。
いわく、「うちの仕郎ったらミナトちゃんをご自宅まで送り届けることもなくホテルからそのまま帰ってきてしまって」とかなんとか。
「それで、なんて返したんですか?」
「知らないわよぉ、よくわかんないから、『うちの娘はひとりで帰れますので大丈夫です』って言っといたわ」
「へぇ」

今頃山田仕郎は恵美子さんとお嬢さんもいる実家でふてくされて寝ているのだろうな、と思った。

どうせなら、私が叱り飛ばしたかった。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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