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モテ実践録(9)モテは生死に直結する――就職活動について

黒川 アンネ2020.02.12

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モテなくても生きていけると言うが、

「モテは生死に直結する」

と私は急に思った。

ここ最近のことである。

現時点で職場のあらゆるレベルの「選択」に決定的に関われないことが多くなり、しかも、明言はされないものの、何らかの私に対する能力の足りなさを理由にしているようなのだが、それは私が女性であるからということに起因するかのようなモヤモヤとした見下しが原因なのだと少しずつ気がつきはじめた。

ちょうどこの間に、私は自分の能力について、客観的に説明できるような「実績」を積み、自分の適性について今の職場にいては活かせないという気づきをあらゆる場面で重ねてきた。

なので、そうだ、そうだ、転職しよう! と軽快に思い、ここ最近、何カ所か履歴書を出してみたが、結局は男性面接官に面接でマウンティングされるなどして、すり減る思いをするほかなかった。

私は留学もして大学院も出ているが、それはいずれも、就職が決まらなかったからの選択である。リクナビ、マイナビ等々で何百もエントリーし、届きまくるメールの中から情報を見つけて学内外の説明会にも出席して、リクルートスーツも2着、クリーニングを繰り返して薄くなり、パンプスの底は擦り切れゴムを足し、化粧をして、髪を結び、就職対策本を何冊も読み、就職支援室に相談に行き、就職セミナーに申し込む。
合同面接会に行く。
地元を含めて100社近くの企業も受けたけれど、結局はどこにも就職が決まることがなかった。

当時、私は「自分がダメだからだ」と思い、電車の中で泣き出してしまうことさえあった。高校の同級生で常に一番だった女の子も、東京の大学に出てきていたが、就職活動に疲れて精神を病み実家に帰ったと噂に聞いた。それほどまでに私たちは自分たちをすり減らし、それでも懸命に受け入れられようとしていた。

しかし、当時の私は今よりも断然英語が話せ、TOEICは900点近くあった。留学後はドイツ語もペラペラで、試験にも受かっていた。体力もあり(剣道二段)、隠居した好きな作家さんの行方を追いかけて娘のように可愛がってもらってもいた。留学生支援の活動もしていたので高等教育を受けている友人が世界中にいて、自身でもインドを含め旅行をした。今よりも「スレて」いなかったので、もっと純粋なモチベーションにあふれ、好奇心を持ち、何よりも行動力があった。

まったくというほど就職が決まらなかったので、私は、自分の「業績」でなく、自分の性格、私が私であることが問題なのだと思った。

自分のことがどんどん嫌いになった。

鬱のようになり、メールを開くことが苦痛になった。

未読メールはすぐに数百となる。大学の同級生には「自分の就職が決まらないからって、雰囲気を悪くしないで」とか、「自分のせい」と言われる。よく生きていられたな、と思う。

今回またも「拒絶」を何度も受け、そういった当時の状況を思い出したことが、冒頭の気づき、「モテは生死に直結する」につながるのだ。

つまり、学部生の時に、あるいは留学から帰ってきて就職が決まらなかったあの頃(そして面接官に謎のマウンティングを受けた現在)を思い出すと、面接官が私を拒絶したことも、「モテ」との関連があるように思えたのだ。

面接官(だいたいの場合、男性)が見ているのは、見ていたのは、自分がうまく扱えるかどうか、自分(がフロントとなっている会社)との相性であったのだろうと感じる。

つまり、そこでは、面接官に対して「モテ」とも通底するアピールをしなければいけない。どんなに英語が話せたって、どんなに友達が多くたって、特に受ける側が女性の場合、たとえば見た目、たとえば扱いやすさ、たとえばその子が自分より劣ったものと思えるのかどうかのほうが、多くの意味を果たすのだ。

私はそこで働く人間として劣っていて欠陥があったのではなく、私の見た目が判断に果たした役割のほうがずっと大きいようだった。

そうした古き、悪しき「モテ」がはびこっていることに、今は怒りさえ感じる。

その基準は論理的なものではない。そういった曖昧なもの、漠然としたもの、「フィーリング」によって、私は自分の人生が否定されたように感じた。
もちろんそうではない企業も多いだろう。けれども、私はこうした「否定」の連続によって、「選ばれたい」という執念のような気持ちを切実に抱くようになった。そしてそれは、生活に、生に(裏返して言えば死に)直結するものだったのである。

ここ数年、海外との仕事が増え、去年は1カ月ベルリンの語学学校に通い、老若男女のドイツでの就職希望者に囲まれるうちに、私は、「モテ」に迎合しなくても就職できるんだということに気がつき始めた。

たとえば海外の出版社の人たちと仕事で話していると、私がどれほど大きな出版社で働いているかよりも、そこで試されるのは私の英語力であり、教養である。私の体型よりも、私のファッションに注目してくれる。大きな会社で働いているから偉い、というような、日本にいるとつい陥りがちな意識は、そこでは通用しない。

海外の出版社と働く際には、直接に担当者と話せる英語力や度胸、一緒にディナーに行った時に話せるような、とっておきの話、日本のことについて端的にわかりやすく説明できる、あるいは国際情勢について話すことのできる教養や、自社の本や業績のプレゼンテーションの仕方(なかには本当に素晴らしいストーリーテラーがいて、聞いていると作品世界の中に紛れ込んでしまう)、あるいは、たとえばパーティーに誘われた時(誘われるのも能力の一つである)に一緒にお酒を飲んで輪の中で盛り上がることができるかどうか、ということのほうがもっと大切なのだ。

そうやって培った人脈は、たとえば「推薦状」という形で、次のキャリアへも国際的な視野で結びついていく。目の前の面接官に向かってヘコヘコする必要も、「君は〜〜については知らない」などとマウンティングされる必要もない。

日本の「モテ」が海外では通用しないのと同様に、就職活動についても、私はとても限られたローカルルールの中で、自分の人生が否定されたように感じてしまっていたのである。

もったいなかったなと思う。

今では、このまま就職が決まらなければ、海外に行ってしまえばいい、そのほうがずっと稼げると考えている。
「モテ」に惑わされない就職活動を経たならば、私はようやく、そこで求められているものと自分の人間性や人生すべてとを切り離して考えることができるようになるだろう。

そして、何か嫌な目にあった時も、それについて考えることに体力を取られるのではなく、「はい、次」と、何も自分の中に傷を残さずに進むことができるようになるのだろう。まだ私がそこに至るまでには時間がかかるだろうけれども。
もし、これを読んでいるあなたがたとえば就職が決まらなくて、とてもつらい思いをしているのだとして、それで自分のことを批判する必要はまったくないです。

あなたはとても素晴らしい人で、ちゃんと評価もされる日がきます。
どうか視野を広げてみてください。

でも同時に、どうして生まれた場所で、他の人と同じように評価されないんだろうという悲しみを、私も一緒に抱えていますし、それについて忘れないようにしましょう。

でも、そのために、あなたが自分をすり減らす必要はまったくないことです。

――「モテは生死に直結する」、それほどの深刻な問題であること、忘れないようにしたい。

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