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禁断のフェミニズム Vol.8 怒り狂ってパンを焼く

相川千尋2020.03.23

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怒りとパン作りの関係なんて、考えてみたこともなかった。

 アメリカの老舗フェミニスト雑誌『Ms.Magazine』のサイトを見ていたら、『レイジ・ベーキング』(Rage Baking)という本が紹介されていた。英語ではオーブンで焼くことはぜんぶ「ベーキング」と言うらしいので、「めっちゃ怒ってパンとかケーキとかクッキーとかを焼くこと」という意味だと思う。これは、女性として感じるさまざまな怒りをパン作りで解消しようというコンセプトの本だ。

 この本では、50人以上の女性から集めたレシピが、その由来などとともに紹介されている。詩やエッセイ、インタビューなどもあり、センスのいい写真も添えられて、なかなか豪華だ(「ケーキは私の敵だった」「みんな、ダイエットなんてしていないと言う。うそだ」などと書いていた元摂食障害の女性のエッセイがよかった)。

 2018年にドナルド・トランプに連邦最高裁判事として指名されたブレット・カバノー高裁判事を、カリフォルニア州パロアルト大学のクリスティーン・ブラジー・フォード教授が過去の性的暴行で告発した事件があった。上院司法委員会で開かれた公聴会でフォード氏が証言したのにもかかわらず、賛成多数でカバノー氏の指名は承認された。序文によると、このときの怒りとやるせなさがきっかけで「レイジ・ベーキング」が生まれのだという。つらい日々のなかで、夜中にキッチンに立ってアーモンドケーキを作ったら心が落ち着いた、と著者のひとりは言っている。

 「へえ」と思った。「おもしろいなあ」と思った。なんかわかる気もするし。それで、おもしろそうだから書評を探してみたら、この本にとんでもないスキャンダルが持ち上がっていることを知ってしまった。

 「レイジ・ベーキング」というコンセプトを最初に考えたのは自分だと主張する女性が名乗り出たのだ。その人はタンジェリーン・ジョーンズというアフリカ系アメリカ人の女性で、2015年から #RageBaking というハッシュタグを使い、SNS上で活動していたという。

 この本が出るまではRage Bakingというキーワードで検索すると、検索結果にトップ表示されるのは彼女のホームページだったそうだ。本の著者ふたりとはフェイスブック上での共通の知り合いもおり、それ以外の状況から考えても自分の存在を知らなかったはずはないのに、名前がクレジットされておらず、本が出版されるにあたって何の連絡も受けていなかったという。

 詳細は省くけれど、メディアを通してジョーンズと著者たちのやりとりを追いかけているうちに、私は著者側に対してどんどん不信感がつのっていった。たとえば、著者たちはSNSのダイレクト・メッセージでジョーンズに個人的に謝罪したけれど、出版社と連名で出した公式の声明には謝罪の言葉はない。たとえ悪気はなかったとしても敬意もない感じがすごく伝わってきた。

 このことがとりたてて問題になるのは、ジョーンズが黒人女性だからだ。黒人女性にとっての安全な場所だったキッチン。そこから生まれた「レイジ・ベーキング」を白人女性のフェミニズムに奪われた、と言ってジョーンズは怒っている。彼女は、「ミディアム」というアメリカ版noteみたいなブログ・プラットフォームに「怒りの特権」という記事を投稿して、訴えた。たぶん、本の話だけだったら、私は「へえ」で終わっていたと思う。でも、ジョーンズの言葉を読んで、自分自身と台所の関係について考えてしまった。

 ジョーンズはこんなふうに言っている。

「2015年にレイジ・ベーキングを始めた。正直に言うと、ほかにどうしたらいいかわからなかったから。私の悲しみ、絶望、怒りをどうにかするために、ありとあらゆることをやってきた。これ以上どうすればいいのかわからなかった」

「私はキッチンに向かった。そこは私にとって、祖先たちと気持ちを通わせることのできる場所のひとつだったから。私は南部で生まれ育った黒人女性だ。キッチンは私にとって、神聖で力に満ちた場所。そこは、歴史と癒し、コミュニティと人とのつながり、抵抗と革命、変化と真実の場所だった」

「キッチンは家の心臓であり、それが集まってコミュニティの鼓動になるのだと教えられた。私にとってキッチンは魔法と再生の場所だ。私のキッチンは、泣いて、パン生地にパンチをして、何かを焼いたりする安全な場所だった。そのおかげで、外に出てクソみたいな世界に立ち向かい続けることができた」

「ただ怒りと痛みとフラストレーションを発散したかったのではない。それらをよい方向に向かわせて、乗り越えたかった。心を正しくもって、希望を取り戻し、前に進む道をみつけたかった」

 ジョーンズが黒人女性として背負っている差別の歴史のなかでは、キッチンが安全な場所になるという指摘にハッとした。キッチンくらいしか安全な場所がないという状況はとても問題なのだけど、キッチンがポジティブな意味合いを持つということが私には新鮮だった。なぜなら私にとって、台所はずっと葛藤の場所だったから。

 結婚していたころ、毎日の食事の準備がほんとうに負担だった。フルタイムの仕事に行って帰ってきて、食事を作って翻訳をしてという生活のなかで、自分の分だけでなく、ふたり分の家事を担うのが苦痛だった。食事について元夫は「作ってほしいとは言ってない」と言っていた。でも毎日外食はお金がかかるし、買ってきたものばかりでは体に悪い。私は、夫にも相応に家事の負担をしてもらった上で、私が思うちゃんとした食生活をしたかった。なんどもけんかをしたし、当番制にしてみるなどの工夫もしたけれど、うまくいかなかった。フランス人である元夫は「男女は平等であるべき」だという建前は持っていたがそれはあくまでも建前で、簡単にはいかないのだった(建前も共有できないのよりは、ましと言えばましだけど)。

 この話をしたら、「得意なほうがやればいい」と言う人がいた。そうじゃない。私は私の時間が奪われることを言っているのだ。私の時間だけが、無償で反復的で生産性のないことに奪われていくことが嫌だと言っているのだ。そのことが苦しかった。
 そう、私はどうしても家事を「無償で反復的で生産性のないこと」と思ってしまうのだった。女がやることになっている活動は価値がないものと、私自身が強く思ってしまっている。料理とか家事とかの、いわゆる女性的な活動の価値を認めると、「じゃあ、一生それをやっててね」と言われるんじゃないかという、先回りした警戒心がある。

 また、私の心のなかには「夫を喜ばせたい」という気持ちも同時にあった。結婚した相手にそう思うのはある程度自然な感情だと思うけれど、この気持ちがあるからほんとうは作りたくない食事を作ることにこだわってしまっていた。それに夕飯を作れば、いちおう喜んでくれているような気がした。

 今思うと、こういうことはぜんぶ私の思い込みや決めつけだったのかもしれない。家事をすることで相手を喜ばせようなんて、それが愛情表現だと思うなんて、ばかげてると私も思う。もっと、何もしなくてもよかったのだろう。別れた後に元夫からも直接そう言われた。自分ばかりが家事をやらされるという状況に加えて、偏見や決めつけのせいで苦しんでいる部分がたしかにあった。そういう偏見を持つのが、私個人のせいじゃないのもわかっているけど、わかったところで心は自由にならなくて、とらわれてしまっていた。

 桐島洋子の「ガールズ・ビー・アンビシャス!」というエッセイがある。近代ナリコ編『FOR LADIES BY LADIES 女性のエッセイ・アンソロジー』(ちくま文庫、2003年)に入っている。

それは、こんなふうに始まる。

「料理の本を書いたら、びっくりするほどよく売れた。それは嬉しいのだが、会う人会う人に『あなたのようなヒトが料理好きだとは意外でしたねえ』とアイサツされるのには、いい加減ゲンナリしてしまう」

 そして、自立した女も料理をする、現に「私の本の題名通り『聡明な女は料理がうまい』のだ」と書いた後で、素敵なあの人もあの人も料理が上手だ、という例が3人分くらい続く。本心を言えば私だって、この文章がほのめかしているみたいに「自立していても私は料理が好きで得意です。なぜなら私は真に自由だから男女の領域の区別を乗り越えた上で、さらに女側にまた越境するのも自由だからです。素敵だなって思うことを素直にやって、心の赴くままに生きています。その結果、私は料理が好きなのです」と言ってみたかった。でも、できなかった。そういうことができる人もいるのかもしれないけれど、私には無理だった。

 そういうわけで、とにかく、私にとって台所は葛藤の場所なのだった。なのに、ジョーンズはその台所に全然違った世界を見ていて、力の源にしていて、そのことをあんなふうな言葉で表現できる。アーティストでもある彼女は自分のキッチンを解放して、友人たちとレイジ・ベーキングをしながら自分たちの経験を分かちあう活動をしてきたそうだ。2016年からはクラウドファンディングで資金を集め、作ったケーキやクッキーをほしい人に配り、2018年には週に1回、作ったものを非営利団体の職員に提供していたという。

 パンだとかお菓子だとか、計量が必要なものは集中力を要するから頭をからっぽにできてストレス解消になるというのはわかる。自分が食べたいものを作るときは、私も情熱を持って作る。それに、パンやお菓子を焼くことが怒りの表現や抵抗になるなんて、ユニークだし、かっこいいなと思う。でも、私にはジョーンズみたいなまっすぐな気持ちで料理に向き合うことができない。自分ひとりのためではなくて、人との関わりのなかで料理をするときに、私はどうしても、ややこしいことを考えてしまう。

 

 

FOR LADIES BY LADIES―女性のエッセイ・アンソロジー (ちくま文庫)

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