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モテ実践録(19)どうして私たちはパートナーが欲しいと思うのだろう?

2021.03.31

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緊急事態宣言の間、昔の禁酒法、あるいはイラン革命後のパーティーのように、都心にある友人の家に数人で集まって、距離を保ちながらおしゃべりをする機会を多く持った。デパートなど、いつもよりちょっといいところで買ったおいしいものを互いに持ち寄り、ワインのボトルを何本も空けながら、友人のプロのようにひとひねりある手料理を味わう(ありがとう)。話の内容は、最近見た映画からマスターベーションの方法まで多岐にわたる。ある夜、その場にいた友人の一人が「一人でいて満たされているのに、どうしてパートナーが欲しいと思うんだろう?」と口にした。その言葉が、何か私がモヤモヤと具現化できないままに抱えていた感情とあまりに似通っていたので、私はすぐに携帯のメモ帳に書きとどめた。上の文章は、そこからコピペしたものである。

そう、どうして私たちはパートナーが欲しいと思うのだろう? この気持ちは、学生時代などにとても近くにいた友人たち、20代のうちに結婚して私の羨望を受け続けてきた彼女たちが、最近になって離婚をしなければならない状況になったり、こちらからは「モラハラでは?」と思われるパートナーからの言動に遭っていたり、それなのに経済的にはずっと夫よりも弱くて(彼女たちは本当に素晴らしい人たちなのに)単に別れればよいという状況でもなくて、そんな様子を見ているうちに、何度も浮かんできた疑問である。私が一目不乱に「パートナーがいるって幸せ」と、そこを目指してきたゴールであるはずの彼女たちの状況が、いつの間にやら、なんだか雲行きが怪しいものになってきてしまったのだ。30代半ばまで結婚せず、パートナーもおらず(2年近く異性との身体的接触がない)、何か自分にダメなものがあるんじゃないかとさえ思っていた自分の状況が、かえって彼女たちからうらやましがられるものになってきていた。なぜなら私は、彼女たちから見て、はるかに自由だからだという(そんなことないと思うけれど)。経済的な優劣はともかく、仕事のキャリアは中断されることもなかったので、一応は(カタツムリのあゆみで)進歩をみているのは確かかもしれない。

私は昔から「運命の人❤️」などと夢みがちな面があり、だけれども、その人にはいつ出会えるかわからないので、映画「めぐりあう時間たち」のメリル・ストリープのように、精子提供か何かで一人でも出産したいと考えてきた。しかし経済的にはいつ安定するのかわからなかったので、長い間、それはあくまで夢物語にすぎなかった。それが、今度の転職で、(契約社員なので1年目は制約があるけれども2年目以降は)ある程度には制度的にも保障されることになったのだ。(上の名言を発した友人も、仕事上できりが良い来年には妊娠したいと話していた。)

こんな話を、海外在住の友人にしたところ、「面白そうだから」喜んで精子提供をしてくれるという。私は彼にとっては友人の一人であることは間違いないけれども、人付き合いが得意でない私にとっては自分のどうでもいい近況を毎日のように報告できる貴重な相手であり、恋愛感情のようなものはよくわからないけれども、人間として尊敬している。恋よりも深い友情で彼のことをとても大事に考えているので、彼に対して子どもの父親として責任を持ってほしいという感情は全くないしそんな道理もないけれど、もしも彼の子どもを産んで育てることができるのならば、それは今までのところ私にとって一番良い選択肢だとも思える。

話はズレるけれども、とある映画の中で彼の国の人が結婚しない、それは税制がシングルのほうに優位にできているからというセリフがあったので、実際にはどうなのかを聞いてみたところ、結婚したいと思う気持ちを理解できないと話していた。彼にとって、人生に必要なのは恋愛よりも長期に持続する友情だという。そして制度的な縛りつけがなくても大事な気持ちを持ち続けられる相手というものは存在すると話していた(一方で私の苦しんでいる友人は、選択的夫婦別姓が導入されないがゆえに、しかたく事実婚を選択していて、それが今度は夫から関係を大事にしない理由として使われているのだ。身近にはそんな例が複数ある。くやしい。)

制度的なところは整った。精子提供してくれるという相手がいて、私も彼の子どもだったらとても良いなと考えている。そこで、問題はコロナですよ……。彼がいつになったら日本に来られるのか、あるいはいつ私が彼のところに行けるのか、見当がつかない。ドイツの留学時代の友人たちは各国で次から次にワクチンを接種しているので「なんで日本はこんなに遅いんだよ!」とイライラとさえしてしまった。

これは、私一人に限った問題ではなく、少し前だけれども、英紙ガーディアンには、コロナ禍によって母親になる機会が奪われたと感じる女性たちについての記事が出ていた。

ただでさえ、30代半ばになって、ここからデートの約束を取り付けて、何回か会って、相手を見極めかつ見極められつつ、関係を進展させていくこと自体が面倒でしかたないのに、感染する/させるかもしれない、それをとがめられるかもしれないと思うと、家で缶ビールを飲んでNetflixを見ていたほうが、たとえ一人でいても満足度が高いのではないかと思えてしまう。Amazonプライムで「さよなら2020年」という、2020年のお葬式を模して英米の女性コメディアンたちが2020年に失われたものをスピーチする番組)を見ていたところ、在宅勤務なのでズボン(今風の言葉で言うところの「パンツ」)を履かなくなった、などという声に混ざって、「カジュアルセックスができなくなって辛い」というコメディエンヌがいた。確かに、よく知らない人とセックス目的で会って、そこからコロナに感染したといったら、その後が恐ろしくてしかたない。でも、今、とても、カジュアルセックスに憧れる。失われたカジュアルセックスを求めて。

私は、とても夢見がちで、上に書いたように「いつか王子様が」のような思考に取りつかれている)ので、最初に異性の身体に触れたのも20代に入ってかなり時間がたってからのことだった。その頃、私は、接触を複数人に広げるのが怖かったので、機会があっても逃すことが多く、それが自分にとって良い選択であると思ってきた。でも、そこからさらに時間が経過して、今では、感染症などにさえ気をつけていたら(というのも私はHPVポジティブなことが最近発覚したので、感染させる可能性がある側だからなのだが)、別にカジュアルセックスをしても良いのではないかと考えている。夢みがちな面は変わらないけれども、リフレッシュとしてのセックスが転がっていたら、そこに大した意味がなくても飛び込みたい。関係性が続かなくても、相手の名前さえ知らなくても、(あくまでセーファーセックスで)楽しい一夜が過ごせれば良いと考えるようになった(残念ながらまだ機械には恵まれていないけれど)。こんなふうに考えるようになったのも、コロナの影響なのだろう。

ドイツでは「coronamüde(コロナ疲れ)」という単語が生まれたらしい。確かにもう1年以上が経過し、飲食店で知らない人も交えて集まっていたのが遠い昔のようだ。疲れている面、嫌になる気持ちも大いにあるけれども、同時にドイツではコロナ文学なるものが登場し、在宅勤務のパートナーとうまくいかなくなる女性の小説がベストセラーとなっている。早くコロナ禍が終わりを迎えてほしいけれども、今この状況下だからこそ見えてきたものを大事にしたいとも考えている。

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(沼ZINE主宰)

沼ZINE主宰。https://numazine.themedia.jp

大学4年生の夏、内定が出ず定員割れの交換留学に申し込む。翌年、全く話せない状態でドイツへ向かい、毎日サービスデーのバーを回る「居酒屋ドイツ語」と呼ばれる勉強法で語学を習得。帰国後、大学院を経て都内の出版社に勤務しながらドイツ語翻訳を行う。2018年、友人とウェブマガジン「沼ZINE」を開始。趣味は映画・演劇・美術鑑賞、へっぽこ旅。

翻訳したドイツ語コミック「マッドジャーマンズ 」が第22回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品、第4回日本翻訳大賞二次選考対象作品に。

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