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幸せな毒娘 Vol.6愛ではありませんでした ①

ジャユビョル2023.01.20

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今回は私が20年以上に渡って受けていた家庭内暴力に関する話です。似たような経験をしたことのある方はトリガーになる要素があると思うので、閲覧にご注意ください。もし途中で気分が悪くなったり、うつになったりする場合は直ちに読むのを止め、気分を喚起することをお勧め致します。

私が19歳になったばかりの頃、日本の大学受験に失敗した日でした。大学に落ちたのは正直、成績が悪かったのが原因ではありませんでしたが、私がどれだけ留学生試験で*良い結果を得ていたと説得しても父は私を信じませんでした。(*実際総合科目では受験者の中トップ2という素晴らしい成績でした)

大学に受かってもいないのに、見栄っ張りな父は周りの人に私が日本の名門大学に受かっているかのように自慢話をしていたのです。私を過度に責めたのはきっとそのせいだったでしょう。受験不合格の通知を確認した後、父は親戚の前で私に色んな暴言を吐きました。私が無能だから落ちたんだとか、人間性が悪くてそんなんでずっと落ち込んでいるとか。受験失敗からたった二日も経っていない時でした。順番はあまり覚えていないのですが、「あなたの人生は終わったから体でも売った方が良いよ」と言われた瞬間、ガタンと心の中で何かが壊れたような気がしました。「私の人生が壊れれば満足するのね?」みたいな感じで怒鳴り返した気がします。そして暴力は始まりました。

暴力はその時が初めてではなかったので、正直怖かったです。痛いのは大嫌いでしたし、楽に死ねたら良いのに、と何度も何度も思っていました。だから、私は私を庇おうとする母が私の身代わりになっていても、私が母の盾にはなれなかったのです。恐怖心で母を守れない自分をみっともないと思いながらも、殴られるのが私じゃなくて良かったと安心する自分がいて吐き気がするくらい自己嫌悪が湧いてきました。

当時父はまだ中国でビジネスをしていたため、翌日から中国に帰えりました。正直ほっとしました。もう当分会わなくて良いのだと、安心したのです。しかしその平和も長くありませんでした。それから約二ヶ月が経ち、部屋から出てきた私は背筋が凍ってしまいました。父がまた家に帰ってきていたのです。私はその二ヶ月間、ショックで誰と話すことも出来なくなり、父との電話も拒否していました。そしてそれが気に入らなかった父は速攻韓国への飛行機を予約し帰国してきたのでした。私は取りあえず何も見なかったふりをして風呂に入り、お湯がキンキンに冷めるまで身を潜めていました。でもいつまでも隠れてはいられません。今リビングに出たらまた姿が消えてますようにと、祈りながら風呂を出ました。でもその願いは叶うはずがなく、リビングには黙ったまま私をジッと見つめる巨大な存在がいました。ドキドキする心臓が止まりませんでした。手と背中には冷や汗流れ、2、3秒ほど「今逃げ出せば助かるんじゃないか」という想像をしました。しかしそんな私に返ってきたのは、再びの無慈悲な暴力でした。

声を出すともっと殴られるため、いつもは声を殺すのが習慣になっていた私ですが、その日だけは違いました。誰かが私の声を聞いて助けてほしかったです。そうでもしないと助からない気がしたので。殴られながら全ての力を絞って叫びました。そんな修羅場の中でも、「こうすれば蹴られるのは思ったより痛くないかも」とか「このタイミングで叫んだ方が良さそう」とか色んなことを考えていたのを未だにはっきりと覚えています。

しかし物事はそう上手くはいきませんでした。マンションの一階で、絶対隣人に聞こえたはずなのですが、どれだけ叫んでも助けは来ませんでした。今思うと、正直人が来たところで何かが変わったとは思えませんけど、韓国の全ての人が憎かったです。当時の韓国社会は「家庭のことは他人が関与してはいけないもの」という特有の文化があるので、警察を呼んでも相手にされないことが多かったですし、そもそも家庭内暴力を警察に通報することも中々ありませんでした。

「あ…このまま殴られて死ねたら良いな」

と思い、全てを諦めた瞬間、父が受話器を手に取りました。ちょうどお出かけをしていた妹と母を呼び戻し、皆を燃やして殺してやると言いました。母の兄さん夫婦もそういう結末だったため、それだけは止めなきゃと思い、必死に父の脚にしがみ付きました。そうすると今度は攻撃の対象を変え、電話の線で自分の首を絞めつけるのでした。

本音を言うと、その時私はとても安心しました。このまま父が自殺すれば全てが終わると。父を止めなければ私は二度と殴られなくても良いと。そう思い父を止めるのを少し躊躇しましたが、流石にそれは私がイカれてしまったんだと、元を辿れば私が悪かったから起きたことなんだと思い、「お父さん、やめて」と棒読みで二回くらい呟いた気がします。

それからまた何度も蹴られ、頭を踏まれたりしました。そこで思いっきり頭を蹴って殺してくれれば良いのに、と思ったのですが、そういうことは起きませんでした。父が私の頭を大けがはしない程度に力を加減しながら踏んでいるのが伝わった時は、「呆れる」を超える何かの感情が頭を真っ白にさせました。心身のトラウマで胃酸を吐いている私に父は「お前が頑固で性格が悪いからそんな症状が出るんだ」と、また私を責めました。その夜私は病院に運ばれましたが、精密検査を行ってる私が聞いたのは、「医者には風呂場で滑って倒れたと言いな」と焦りが混ざっている父の囁きでした。初めて父の存在が卑屈でむしずがはしった瞬間でした。

検査が終わった後、父は既に姿を消していました。家に戻ったら父が寝ていた布団がそのままとしいてあって、父の不在がより身近に感じました。もう父がいないという安心感と同時に訪ねてきた寂しさに泣き続けた日が何日も続きました。今にでも電話をして謝った方が良いのかなと何度も悩みましたが、幸い生存本能が勝ったため私から連絡をすることはありませんでした。

私の対照的で理解しがたかったこの感情が、全て虐待からのトラウマ反応だったことに気付いたのは、それから大分時間が経った後でした。

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ジャユビョル

ジャユビョル(じゃゆびょる)

日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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