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幸せな毒娘 Vol.9 愛ではありませんでした ④ もしかしてあなたもDVされてませんか?(上)

ジャユビョル2023.02.10

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DVと言うと身体的な暴力と思いがちですが、もちろん身体的な暴力だけを指すわけではなく、精神的・情緒的な暴力も含まれます。しかしこういった暴力は形として残るものではないため、自分がそういった虐待にさらされていると気づかない場合も多いでしょう。なので、多くの精神的なDVの被害者が虐待者に関して口をそろえて言うのは「でも私のことを殴ったりはしないし、人は良い人だよ」という言葉です。そのため、自分に自信が持てなくなり、自尊感情が徐々に下がって、深刻なうつに陥ってしまっても、何が原因でそうなっているのが分からなくなってしまいます。今回は彼らの手口をいくつか見ていきたいと思います。

まずは貴方を他のコミュニティーから孤立させることです。ターゲットが自分以外の人間関係を築かない方が虐待者の意のままにコントロールしやすいからです。私の人生は毎年引っ越しばっかりで幼馴染などの友人関係が一切なく、そもそもが家庭内暴力から逃げにくい環境でした。友達の家に遊びに行くこともほぼなかったので、自分の家庭が普通じゃないことに気付けなかったのです。しかし子供は育つにつれて自我を持つようになり、そのおかしさに徐々に気づくようになります。それから親に対抗することも増えてきますね。実はこれが日韓で言う思春期と言うものです。目上の人に口答えせず従うことが礼儀だと思っている文化圏ならではの言葉で、角度を変えると目下の気持ちを尊重しない――子供たちが非常に虐待にさらされやすい環境とも言えるでしょう。

私にやっと出来た友達の話をすると父も母もその友達のことを貶し一緒に遊ぶことを反対していました。より勉強の出来る子だったり、家庭環境の良い子でないと友達にしてはいけないと言われていたのです。私は勉強の頭と家庭環境はその人の人間性と比例しないと思っていたため、親の気に入らない友達とばっかり付き合っていました。私宛に届く全ての手紙や宅配を開けられたり、*電話を盗み聞きされたりするのは日常茶飯事でしたし、手紙の内容を突っ込まれたり、勝手に破られて渡されなかったりもしました。ある夜は失恋した私を慰めてくれようと電話を掛けてくれた友達に母がぶち切れ説教をし、その友達との関係が疎遠になったこともあります。本当に心の寄りどころがない20年でした。そもそも類は友を呼ぶと、こういう環境で育った私が何の苦労もしていないお嬢でエリートな人たちとばっかり群れられるわけがないじゃないですか。共通点がないと話題も広げられませんからね。(*当時韓国の家庭には有線電話と無線電話どっちもがおいてあって、どっちか電話を使っていると他の受話器からも会話が聞こえるようになっていたのです)

だから母の彼氏の事件も父(虐待者)からしたらチャンスでしかなかったと思います。まず私から母を離すことが出来、妹との関係も自由自在にコントロール出来るようになりましたから。私と妹は最初はとても仲が良く、互いに頼り合う関係でしたが、父が妹を引き取り別々に暮らすようになってからは、妹には私の悪口を言い、互いの関係を疎遠にさせられました。そのため妹を一日でも早く日本に連れてきて、親から離させ姉妹二人で暮らすという夢も壊されてしまったのです。

話は少し変わりますが、私は中学生になってやっと自分の部屋が持てましたが、自分の部屋に鍵を掛けるのは禁じられていました。鍵を掛けると酷く怒られていたので、プライバシーがあるようで全くなかったのです。父は子供を養ってあげている側なので、常に子供のスペースに入る権利があると言う「特権意識」をもっていたのです。

その特権意識は経済的な束縛にも繋がり、私が大学生になって留学生活を始めた時も変わりませんでした。成績が落ちるという理由でバイトをすることに反対し、毎晩何回にも渡る確認(監視)の電話が来ました。電話に遅く出たり、出られなかったりするとまた怒られるという繰り返しでした。とはいえ決して余裕が生まれる生活費が渡されたわけではありません。私が留学を始めたタイミングで運悪く始まった円高は倍にまで上がってしまいましたが、父から送られる金額(ウォン)は全く同じで、私は半分の金額で全ての生活費を調達しなければならなかったのです。家賃と交通費を払うと手元のお金が無くなり、100円のおにぎり一つで一日の食事を済ませることが何か月も続きました。それでも父は私が贅沢をするからお金がないんだと私のことを責め、自分の虐待の責任を転嫁しました。

もう十分分かっていらっしゃると思いますが、虐待者たちは決して犠牲者のことを同じ人格を持つ人間として尊重しません。なので「駄目出し」が挨拶替わりです。持続的に相手を貶し、否定することによって、被害者に自分を愛すことを忘れさせ、自立する力を奪います。特に親に否定されると子供は世の中の全ての人から裏切られたかのように酷く傷つきます。私も他人からはどう言われようが気にしないポジティブで明るい人でしたが、親の言うことだけは聞き流せませんでした。

その駄目出しとは例えば、私が小説家になりたいと言った時はそれはお金にならない職業だと貶し、じゃあ親が望む通りにお医者さんになると話すと、お前なんかが医者になれると思っているのか、とバカにするのです。初めて自分の心に耳を傾けることが出来た日、素直な気持ちで決めた最初であり最後の「夢」であった声優という夢を父に語った時は、「お前の声、変だぞ」とまで言われました。それから15年間、私は自分の声がコンプレックスになり、楽しく歌う気持ちも忘れて過ごしました。

しかしあなたがどれだけ必死に努力し、自分を彼好みに変えていっても、虐待者を満足させることは出来ません。私の場合は自分の外見が嫌いになったのも父のせいでした。父はいつも道を歩く綺麗な女性たちを見ながら、「女はああでなきゃ」と私に聞かせていました。そこで私はお金がなく、食事がちゃんと摂れず健康に悪い痩せ方をしていたにもかかわらず、これならきっと父に認められると喜んでいたのです。父の望む有名な大学に進学し、体もほっそりと痩せた完璧な娘。しかし父は次は「お前はなんでそんなに顎が長いのか」と私の他の外見を貶してきました。その日私は初めて自分の顎が長いことに気がつきました。もちろんそれは父だけの意見でしたが、事実がどうであれ父にそう言われてからにはずっと気になってしまうのです。私はそれから鏡を見ることも嫌いになり、全ての自信をなくし、自分のことが愛せなくなりました。最初は整形にも肯定的だった父は、整形費用を知ってからはコロッと態度を変え、顔のことを気にしすぎる私が病気だと言うようになりました。今思うと自分にそっくりな娘の外見を貶すなんて、仰向けになって唾を吐いてるような状況ですけどね。

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