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幸せな毒娘 Vol.16 被害者からサバイバーへと⑥ 夢と現実 (中)

JayooByul2023.04.03

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ある日偶然オプラ・ウィンフリーのトーク番組を見ました。その時彼女はこう言いました。

「レイプでもセクハラでも、その傷の大きさは変わりません。同じく魂の殺人なのです」と。

私はそれまでに「せいぜい、セクハラや痴漢しかされてないくせに」大げさに反応しているのではないかと、自分を責める気持ちがありました。周りの人が誰も親身に聞いてくれませんでしたから。しかし強姦でもセクハラでも同じく深刻な性犯罪であって、その傷の大きさを比べる事はばかばかしいと、ズバリ言ってくれたオプラの発言は、私を誤った罪悪感から逃がしてくれました。

しかし彼女が住んでいる世界と私が住んでいた世界は全く違うものだったようです。2008年、私は日本語学校のスピーチ大会に参加させられることになりました。主題は自由。自分が皆の前で話したいことがあれば何を話しても良いとのことでした。それで私は私のような女性に声を届けるため、私が日本に留学を始めた経緯と多くの女性たちの性犯罪被害について語ることにしたのです。しかし私の原稿を見た先生の顔は段々と暗くなりました。

「ビョルさん、こういうのはちょっとね・・・重すぎるから皆の前で言うのはよろしくないかも」

同じ女性にそう言われてしまうと、やっぱり私が間違ってたのかな、と恥ずかしくなりました。当時はMe Tooもなく、女性がフェミサイドや性犯罪被害について語ることすら暗黙的に禁じられていました。個人的にも団体の中でも、そういった被害を訴えることは暗いし、重いし、周りの雰囲気を害するから適切な話ではない―と、そう思われていたのです。要するに空気が読めない社会不適合者扱いですね。

それから約半年後、秋葉原でダンスの練習をしていた時でした。何か視線を感じて振り向くと、そこには中年の女性がニコニコとしながら立っていました。そして「素敵な舞だったからついつい見とれていたわ」と声を掛けてきたのです。恥ずかしがりながらも「ありがとうございます」と礼を言ったら、急に「日本では見ないキラキラとした目だと思った」と言い出したんです。当時は今よりも嫌韓が酷く、差別に疲れていた私はその言葉がとても嬉しかったです。それで少し言葉を交わしていたら、「留学をしているなら色々大変なこともあると思うし、とても偉い人を紹介してあげるわ。きっと将来何かがある時に役立つわよ」と食事に誘ってきました。

その時までも私は「代価のない優しさ」があると信じていたので、何も疑うことなく食事に付き合うことになったのです。その偉い人は30代半ばの男性でした。その男性は自民党の議員の身近な関係者であり、日本でもある程度地位があるらしく、私が行きたかった大学の先輩(大学院生)でもあったので、とても嬉しかったです。韓国語も喋れる人だったので、私の片言な日本語でも言語の壁なく意思の疎通が取れました。だから、今までの悪かった運気がごろっと変わり、これからはきっとこうやって優しい人たちに囲まれ平穏な生活が送れるのではないかと、少し期待もしたのです。

しかしその平和な状況はレストランを出た瞬間少しずつ変わっていきました。私がカラオケが好きだと聞いて、皆でカラオケに行くことになったのですが、その男は「セーラー服をぬがさないで」という、当時の私からしたらとても恥ずかしい歌詞の歌を歌い出したのです。その女性の方をちらちらとみると、とても平然とした顔をしていたので、ただの文化の差だと思いました。するとその女性は出されたおつまみを男性の方に食べさせてあげて、と言ったのです。難しいことでもないと思いそうしたら、その男は私の指まで舐めてきました。正直気持ち悪かったのですが、この雰囲気を壊してはいけないと思い、笑い流しました。別れ際になり、その男は私をわざわざ最寄り駅までタクシーで送ってくれました。千円を使うにも躊躇があった私は、そんな大きな金額を迷わず払えるなんてそれまで見たことがなくぼーっとしていたのを未だに覚えています。そういう人たちが本当に日常にもいるんだ、と思いましたね。

それからその女性から頻繁に連絡が来るようになり、何回か一緒にお茶をしたり、買い物に付き合ったりすることがありました。そして、その度にその女性は「その男を誘え」と言って来たのです。そしてその男に高いものを買ってもらって半分こしようじゃないかと。もちろんそれは人を利用することだと思い罪悪感が差したので、その男性に何かを直接貰ったことはありません。買ってもらう気もありませんでした。でもやっぱり初日から高い和食屋に連れてってもらい、カラオケ代も払ってくれた等、「お世話になった」のでたまに挨拶の連絡を入れたり、また食事に行ったりしていたのです。

その男は私がドラマでしか見た事のない銀座の高級レストランやカフェに連れてってくれました。お茶をするだけでも高級ホテルのラウンジに行く等、全てが新しくて目が回るような豪華なライフスタイルでした。ある日はデパートに私を連れて行き、買いたいものがあれば何でも買って良いと言って来たのですが、やっぱりそういう付き合いでもないのに何かを買ってもあるのはちょっと…と思い断りました。カラオケで変なことをしてきたけど、常にどこどこのキャバ嬢とかの他の女の話をしてくるけど、それでも文化が違うだけできっと根はやさしい人なんだと思いました。だってそれくらい、暴力を振るいながらお金もくれない父よりは随分マシじゃないですか。

その後一度受験に失敗し、二度目の受験で来日した時の事です。私は一回目も二回目も大学の願書を出すお金もなく、毎回一か所ずつにしか出願していませんでした。なのでもちろんホテルに泊まるお金もなくて、その男性のマンションに泊まることになりました。同じ建物に部屋をいくつも持っているから、その中の一つの空いている部屋に泊まれば良いと言われたので、受験の前日はその言葉に甘えることにしたのです。

しかしシャワーを浴びて出て来た時、その男は部屋の中で私を待っていました。恐怖で体が凍りましたが、私はその男性の部屋にお世話になっている側だったので、何も言えず翌日の勉強を続けました。「私に失うことはないけど、あの男は失うことが沢山あるから、私に何か悪いことをするはずがない」とそう何回も言い聞かせました。勉強が頭に入るわけがありませんでした。かなりの時間が経ってもその男が部屋から出ないので、リビングのテーブルで仮眠を取っていたことを覚えています。

男性は私を起し、ベッドで寝た方が良いと言いました。男性がまだ同じ部屋にいることが気になりましたが、毎日勉強で3時間程しか寝てなくて体が重く、頭もぼっとしていて正常な判断が出来なかったのでそのままとベッドに倒れてしまいました。どれくらいの時間が経ったのか分かりません。その男性は寝ている私の唇に口づけをして来ました。睡魔に襲われながらも嫌な顔をしてその男性を拒んだのがその夜の私の最後の記憶です。

翌日、英語の試験は自信があったものの、日本語で少し躓いてしまった私は不安になりました。早稲田は英語をもっと重視する大学だから英語の成績が良ければ問題ないとの噂はありましたが、一度大学に落ちたこともあり完全に自信を無くしていたのです。ですが幸い1次選考に受かり、面接に進むことが出来ました。一応お世話になっていたのでそのことを伝えると、その男の口から出てきたのは恐ろしい言葉でした。

「俺が大学の人に貴方の事を合格させるように言ってあげたんだよ」

私が受かることを知っていたかのように、その男は合格お祝いとしてエロい黒いネコのコスチュームを渡して来ました。気持ちが悪かったのでその服は韓国についてすぐ捨てましたけど。しかしその男が言ったことは本当だったのでしょうか?私の試験の前日にその男が夜遅くまで誰かと飲んできた事は事実です。しかしいつも夜は飲み歩いてる方だったので、その日が特別だったとも思えませんし、私からは私が「不正入学」したか否かの事は確かめようがなかったので、とても混乱しました。

もし私が私の実力で入学出来たとしても、その男が何か手を回していたとしたら、不正入学をした事には変わりがない。そう思い続けて十数年、私は履歴書を書く時以外は人に自ら私の大学を明かすことはありませんでした。明かすことが出来なかった、に近いでしょう。私がしてきた努力が全部意味のないものだったかも知れないし、私自身が努力でやり遂げたものが何もないかも知れないと思うと、深刻な自己否定に陥って自分を責める事の繰り返しでした。だったら一層の事、もう一度受験に失敗していた方が良かったと、未だに思います。

それから私は彼と会う度に変な店に付き合わされました。ビジネス関係の他の男性と皆で食事をすることになった時も、必ず女性が出てくる店に行ったのです。ずっとそういうとこに通ってもビジネスの経費として処理出来るから、税金を払うくらいならこうやって女やそうい店にお金を使う方がマシだと説明しました。女に何かを買うときの領収書は必ず「品代」と言う訳の分からない項目で物を買い、変な店に通うときはどういった形で領収証を出していたかは不明です。その「使わなければならない金額」は、当時の私にはとてもの多い0が付き、正確には覚えてないのですが、2で始まって多くの0で終わる金額を毎月毎月こうやって消費しないといけないと言っていたのを覚えています。

私が留学生活を続け23歳か24歳になった頃は「女性はクリスマスケーキと同じで、24歳までが一番高くて、26になると終わりだ」と何かを押し付けているような言い方をして来ました。そしてガールズバーに行き、スタッフの女の子に「この子はとても良い子だけど自分と寝てくれない」と少し愚痴ったりと。

それで私は彼と少しずつ距離を置き始めました。しかしその後私に法律的に困ったことが出来、もう一度その男に会ったことがあります。幸い契約書がちゃんとしたものでなかったため、何もしなくても良いと言われましたが、その男が半分冗談で言った「これを助けて挙げる代わりに何をしてくれる?」との言葉は正直怖かったです。彼は何もしない代わりに自分の飲みに付き合ってと、私をビキニを着た女性が沢山出て来る店に連れて行きました。そこでもっと詳しいことを話そうと。もちろん詳しいことを話すことはありませんでした。そもそもが違法な契約書でしたから。その男は私の目の前で指名した女の子の太ももを触りながらイチャイチャしていました。

そしてその女の子が席を外すと、

「あの娘は私がその気になれば寝てくれると思う」

と自慢げに話していたのです。彼曰く、風俗嬢は過程がなくてつまらないから、こういう店で働く女性に時間と金を掛け「落とす」ことが一種の楽しみらしいです。何故私にわざわざそういう事をべらべらと話したんでしょう。

30代になった今はその男が何を望んでそうしていたのかがはっきりと分かります。そしてそれ以上の事がなくその夜が過ごせたことも、とても運の良かったことだと今更ながら痛感しています。記憶が薄れているので時間の流れは少し違うかも知れませんが、これらは私に遭った事のほんの一部に過ぎません。

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JayooByul

JayooByul(じゃゆびょる)

JayooByul (ジャヨビョル)日本のお嫁さんとオーストラリアで仲良くコアラ暮らしをしています。堂々なるDV・性犯罪生存者。気づいたらフェミニストと呼ばれていました。毒娘で幸せです。

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