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中絶再考 その52 中絶薬と「身体は誰のものか」という問い

塚原久美2025.11.05

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 現在、アメリカで中絶薬ミフェプリストンへの執拗な攻撃がくりかえされている。科学的根拠ではなく、不安と物語という武器によって。
 プロチョイスの立場を支持するガットマッハ―研究所が先ごろ発表した分析結果は明確だった。反対派が使っているのは医学ではなく、女性を信用しない文化そのものだ。

 ミフェプリストンは、手術を必要とせず、診察室の支配から女性を引きはがす。つまり、女性が自分で自分の身体を扱える。
 そのことこそが問題なのだ。中絶薬をめぐる攻撃は、一見、安全性の議論に思えるが、実際の争点はもっと原始的で、単純なのである。「この身体は誰のものか」である。
 「自己決定権」という言葉は便利だが、日本でもアメリカでも、この言葉はときどき意味をなさなくなることがある。なぜなら、選択ができるかどうかは、身体の所有者が誰であるかによって決まるからだ。

 身体を自分のものと認めない社会では、「自己決定」はただの形式にすぎない。選択肢を並べているだけで、選ぶ権利は最初から当人に手渡されていない。
 だから、反中絶の人々は「胎児」や「道徳」や「家族」や「愛」など、あらゆる概念を用いて、身体の所有権を女性の手から奪おうとする。
 だから、私たちが最終的に言いたいことは常に同じだ。「わたしの身体はあなたのものではない」。

 日本でも、中絶薬はすでに承認されたのに、一人で飲むことすら「認めない」という方向に政策が傾き続けている。その理由もまた単純だ。規制派にとって「女性が一人で決められるという事実」自体が許しがたいことだからだ。だから、彼らは監視、管理、同意書、診察、指導…に突き進む。それらは医療ではなく、所有の証明として配置されている。

 「あなたは自分の身体を、自分だけで扱うことはできません」と言うために。
 ここで「自己決定権」を使うと、論点がぼやける。言うべきことはもっと短くていい。
 「身体は私のもの。だから、選ぶのは私だ。」
 それだけの話が、なぜこんなにも争われるのかというと、社会はまだ、女性が自分の身体を所有している世界を受け入れていないからだ。

 中絶薬が攻撃されるのは、ミフェプリストンという薬が危険だからではない。女性が自分の身体を持ち歩く未来を想定できない人々がいるからだ。
 中絶をめぐる議論は「権利の獲得」ではない。本来有しているのに奪われているものを「取り戻す」だけなのである。争われているのは「身体所有権」だ。
 誰の所有物として生きるのか。それだけのことが、今も政治で揉まれ続けている。

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塚原久美

塚原久美(つかはら・くみ)

中絶問題研究者、中絶ケアカウンセラー、公認心理師。

20代で中絶、流産を経験してメンタル・ブレークダウン。何年も心療内科やカウンセリングを渡り歩いた末に、CRに出合ってようやく回復。女性学やフェミニズムを学んで問題の根幹を知り、当事者の視点から日本の中絶問題を研究・発信している。著書に『日本の中絶』(筑摩書房)、『中絶のスティグマをへらす本』(Amazon Kindle)、『中絶問題とリプロダクティヴ・ライツ フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房)、翻訳書に『中絶がわかる本』(R・ステーブンソン著/アジュマブックス)、『ジェーンの物語 伝説のフェミニスト中絶サービス地下組織』(ローラ・カプラン著/書肆侃侃房)、『中絶薬完全ガイド 第二版 知る・考える・選ぶ』(RHRリテラシー研究所)、『産む自由/産まない自由 「リプロの権利」をひもとく』(集英社)がある。

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