今月、一年ぶりに帰京して、あれこれ雑事に日々追われている。私たちの世代にあるあるのことだけど、高齢になった親のサポートは年々そのボリュームを増す。実家に居候する1ヶ月ほどの間、私が家事を担う量はこの数年で増えた。我が両親はまだ元気に独りで日々の生活は営めている方だと思うけど、それでも様々なことが以前のようにスムーズにいかなくなっているなら、せめて滞在中は手伝ってやりたいと手を出すが、私がいなくなれば基本的には二人だけの暮らしに再び戻るわけで、では二人だけでもなんとかできるようにと整えてやりたいのだが、あれこれサポートするうちにふと気がついた。
これも高齢者世帯あるあるだろうが、実家はモノに溢れている。その原因の一つが通信販売やカタログ販売である。溜まったカタログのみならず、何も考えずにすぐに注文するのが「定期購入」というサービスで、購入した品を使い切らないうちに次のものが来てどんどん溜まり、挙げ句の果てには父と母、両方で同じものを購入していたりで、もはやギャグである。この一週間以上、本人たちに確認しながら毎日のように様々な品の定期購入を止め、カタログの送付も止めた。そうしたらそのそばから別の会社のカタログが届くという…。「通販生活」と「快適生活」の違いなんて、私だってわからないよ…。
おそらく何年もあちこちのものを購入するたびに、先方に促されるままに定期購入やらカタログ送付やらを契約してきたのだろう。もっとも、本人たちもその数には困惑はしていて、では止めたいものの、インターネットもろくに使えないし、では電話といえど電話をかけた先が自動音声案内で、その音声に従っての操作がうまくできずにそのまま放置、ということだったらしい。では私が、ということで代わりに解約手続きをし、まだ契約を継続したい食品宅配サービスなどは注文を手伝っていたのだけど、むむ、意外と私ですらすぐに理解できない難しさだったりする。うーん、買うのは簡単だけど、止めるのはハードルが高いのは、高齢者には厳しいよな。もちろん本人たちが了承して購入したわけだから違法ではないのだけれど、なんというか、高齢者を「ターゲット」にして大いに儲けている業界なのだろうなと思ってしまったりして。
歳をとるとハードルが高くなるのは通販だけではない。身内にメーカー勤務がいることもあって、実家の家電は結構いいものが揃っている。のだが、こういう家電はその高い機能性の分だけ操作もやや複雑で、私ですらすぐには理解できないレベル。それでも私はこの手の機器の操作の試し方を知っているからいいものの、それがボタンを押してエラーが出たりすれば、取り消しボタンを押して初期モードに戻る、という基本的なことですら彼らにはなかなか飲み込めない。美味しいご飯が炊ける炊飯器の機能モードはいくつもあるのだ。同じく機能別モードがいくつかある洗濯機もなかなか難しい。それでも今までは自分たちの使う部分だけは暗記できていたことが、だんだんそれも難しくなってくると、ボタンにマーカーペンで印をつけたり、簡単な手順を文面化してやったり、という対処をするしかない。
冷蔵庫も大型のなかなか立派なものなのだけど、普段二人暮らしならこんなに要らないでしょ、というくらいパンパンに食品が詰まってて、しかも食べるのを忘れて庫内でミイラ化、ということは元々あったのだけど、今まではその整理を手伝おうとすると、自分のテリトリーだから手を出すなと文句を言われたのでそっとしておいたが、今回はとうとう彼らも観念したので整頓を手伝っている。と、そこで気がついたが、大型の冷蔵庫でしかも庫内のスペースを有効に利用できるようにと考えられた設計なのだろうが、やたらと引き出しで区切られていると、これが意外と面倒でわかりにくいし、使いにくい。これは私でもうまく使いこなせないかも。
私自身は家電は極力シンプルな機能のものをいつも選んできていて、いわゆる「便利機能」がやたらとついてない方が自分なりの使い方ができて使いやすい、という考えなのだけど、高齢になって自分独りでできることの領域が小さくなると、シンプルなもののほうが使いやすいのではとあらためて思った次第。
ウォシュレットもよく海外の旅行者が感動する日本の家電と言われるけれど、ウォシュレットや自動洗浄機能など、あれももし壊れたりしたら、高齢者はちゃんと修理業者まで辿り着けるだろうか。以前、自分の家のトイレが壊れたけれど、それを直すお金がなくて、毎日近所の公園まで用を足しに行っている高齢者の話を新聞記事で読んだことがあったけど、お金があるないだけではなく、家電が壊れたまま、または使いこなせないままになっているお年寄りは結構いるのかもしれないな、そんなことをトイレで考えたり。
そうしてみると現代のものは色々と便利なものが多いけれど、その便利な機能は、メンテナンスまでを含めた対応ができるお金の余裕と、それらを使いこなす若さがあってこそ意味をなすものなのかもしれない。なんだか便利で優秀でも、高齢者に、というか人に優しくないな。でもこれからの時代、それこそユニバーサルデザインということで、高齢者でも子どもでも皆が簡単に使うことができるシンプルさがもっと考慮されたらいいなと思う。デザイナーやメーカーはそのことに気がついていてくれているだろうか。スマート機能とか言われても、そもそも高齢になったとき、今は使えているスマホを使いこなせているだろうか。昔のようなボタン数個、ダイヤルだけ、みたいな簡単なもので十分なんだけど。
さて、その便利な家電。実家の洗濯機は優秀な上に日本の軟水のせいか、ドイツから持ってきた服はしばらくすると、色味が戻ってくることにたびたび気づく。が、その一方で、しっかり汚れを落として洗うその優秀さゆえ、洗うものがどんどん傷んでいく。今回、ドイツから持ってきた子どものズボンのウエスト調整のゴムがどうやって何に引っかかったのかがわからないのだが、ズタズタになって洗い上がった時には仰天、落胆した。最近おろしたばかりの、まだそれほど履いていないものだったのになんてこった。他のTシャツや下着類なども心なしか生地が薄くなっていくような…。洋服にも優しくない家電だな。

©︎ : Aki Nakazawa
近所のカフェテリアで注文する醤油らーめんは、じいじも孫も大好きな昔ながらの味。シナチクと刻みネギだけが載っただけの麺をすすりながら、こういうのがいいんだよなーとつぶやく父。らーめんもこれくらいシンプルなのが一番です。














