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地に足がつかない、とは正にこのこと。ガラスと鉄骨の天井から吊り下げられたワイヤーネットの上をそろそろと歩いてみるが、ネットに足が取られてバランスが取りにくい上、ふと下を向けば、網目越しに見えるのは数十メートルも下の床である。慌てて顔を上げるも、ふわっと目眩がして一気に脇に汗が吹き出てくる。後ろを振り向けば、友人はネットの上に座り込んで顔を強張らせている。なんで私、12ユーロも払ってこんな事しちゃったんだろう〜、と弱々しい声で呟く彼女とは対象に、別の友人たちは既に前方彼方、笑みさえ浮かべてネットの上をサクサク歩き、手を振っている。

高所に張られたネットの上を歩く、という究極の体験が出来るこのアート作品は、デュッセルドルフの美術館K21で展示中のTomás Saracenoによる「in orbit」というもの。

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© Jan Verbeek

美術館の天井の下に括り付けられたワイヤーネットで出来た3つの球体状の空間が繋がるように張り巡らされ、体験者はその中を自由に歩き回ることができる、という大きな体験型アート作品だ。地上約25メートルの高さに釣られたこのワイヤーネットの総重量はなんと3トン!そんなに重い物を繊細に見えるガラスと鉄骨の天井に釣って大丈夫なのかと不安になるが、技術者や建築士、そして生物学者と共に研究を重ねたこの構造は蜘蛛の巣にインスパイアされたとかで、階下の部屋ではその本物の蜘蛛に張らせた巣をケースに仕込んで照明を施した幻想的な作品も展示されている。実際、蜘蛛の糸って鋼鉄に比べられる程の柔軟性のある張力と強度があるのだそうで、そう言われてみればこのワイヤーネットも実際の重さとは裏腹に、まるで宙に浮いているかのように軽く見える。だからその中に居る人たちの動きも、遠目には軽やかに見えたんだけれども…。

自分は高所恐怖症とかではなかったはず、この体験もきっと平気だと思ってワイヤーネットの上に足を踏み出したのだが、もうその最初の数歩からして、こりゃ思ってたのと違う!とかなりの恐怖と緊張に襲われる。勿論安全性は充分に考慮されて設計されているので落ちたりすることはない、と頭では分っていても、足が体が地上から遠く離れているという感覚で、もう本能的に危険!と体が身構える。しかも手で捕まる部分はほとんどないから、足だけでしっかり立っていなければならないことの不安なこと!数歩、ソロソロとへっぴり腰で進んですぐに手をついてしまった。いや、蜘蛛だって8本足でしっかり体支えてるし。うーん、蜘蛛ってこんな感覚で網の上を動いているのか、すごいなあ…。
しかし蜘蛛の動きを想像する余裕も長くは続かず、足がすくんだ私たちは結局しゃがみ込んで、お尻で滑るようにしてずるずると進む。ジェームス•ボンドなんかも、こんな高い所を飛び移ったりしてるよね。子供の頃に憧れたカッコいい女スパイとか、いや絶対無理だわ。

安全性を考えて、体験者は事前にポケットの中身や眼鏡などは預け、用意されているトレッキングシューズと上下つなぎの作業服を着用すると、見た目は宇宙飛行士のよう、いやまたは職人のようでもあるわけで、そういえば鳶職の人たちはこういうのに慣れてないと仕事できないよね、と私が言えば、そうだよ、スカイツリーの上とかね、としゃがみ込んだままの友人。うわあ、もっと高い所じゃん、と悲鳴を上げる私たちに、ほいほいと余裕で網の上を歩いていく別の友人は、スカイツリー?まだ行った事ないから行ってみたい、と無邪気にはしゃぐ。うん、あなたはきっとスカイツリーの上でも楽しめるはず…。

縦横に張り巡らされたワイヤーネットは平らな面があったり、きつい傾斜があったり、おまけにかなり緊張しながら動いていくものだから、いつの間にか汗ぐっしょりで、かなりの全身運動だ。そういえば子供のアスレチック遊具を思わせる作りでちょっと楽しい気がしないでもない、ただしこんな高い所でなければ、の話だが…。やや慣れてきて周りを見回せば、所々に置かれているクッションに頭を載せてハンモックのように寝そべっている人もいれば、動くのに疲れた女の子たちが集まって座っている様子は、空の上の女子会だ。ふふふ、なんだか楽しそう。そうか、怖い、という感覚を失くせば、リラックスもできるんだなあ。

勿論、万が一ネットが破れたりして下に落ちれば、ほぼ命はないだろう。そんなことは起きないよ、という安全の保証があって、それを信じることが出来るかどうか、にかかっているのかしら。地に足が着いているから安全、という常識からはかけ離れた保証なのだ。既成概念を覆してみる、というのは多くの現代アートに見られることだけど、ここまで頭や体の感覚を混乱させるものはなかなかないかも。地に足が着かないのは飛行機もある意味で同じなのだけど、飛行機はどうして大丈夫だと思うのかしら、と友人は不思議そうにしている。

そもそも私たち、いつも「安全の保証」を信じているからこそ、何の杞憂もなく暮らしているだけなのかもしれない。例え足下には奈落の底が広がっているとしても。でもその保証って何から、誰から、もたらされるものなんだろう。そしてもしそのネットが破れたりしたら?芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、男が欲張った途端に糸が切れるのだけど、私たちはお互いに信じ合っていれば、足下のネットは切れないでいるだろうか?ちょうどこの空間の中で、一緒に笑い合ったりするみたいに。

ワイヤーネットの上に寝そべって、ふとそんなことを思った。長ーく感じられた約10分間の体験の後、立て看板を振り返ってみれば、協力者名の中にデュッセルドルフ消防署、とあった。やっぱり万が一ってことへの保証かしら、これも…。


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© Aki Nakazawa

写真説明
これは1階から見上げた時の写真。つまりワイヤーネットの上を歩く時は、この逆で床が遠くに見えるわけです。冷や汗ものでした…。
この展示、かなりの評判のようで、昨年末の展示終了が今年度末に延びたと聞いていたのですが、なんと来年6月まで更に延長されるよう。お近くの方、もしくはデュッセルドルフに来られる機会があればぜひお試しを!

Tomás Saracenoによる「in orbit」
デュッセルドルフ市立美術館K21(英語サイト)

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中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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