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私はアンティル vol.54 哀しいバイトその4 ~手を振る私~

アンティル2006.09.07

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病に伏せて1週間。私は毎日うなされていた。
「あっ! Tが男とホテルに入っちゃう!!」
「T! 今までの3年間はなんだったの?!!!」
夢の中のTは男と楽しそうに腕を組んでいる。
『寝ている場合じゃない。早く治さなければ。』

私は風邪薬をがぶ飲みし、『明日こそは!』と再起を願った。私の胸の中で鳴り止むことがない不吉な鐘の音。その鐘が何を私に伝えようとしているのか、40度の高熱の中でも私にはわかった。
『早くバイトに戻らなければ』卒業式をあと数日にひかえた3月。

私は1週間ぶりにバイトに復活した。
私「今日からバイトに出るからいつもの所で待ち合わせしよう」
T「う~ん・・・。でも寄る所があるから工場でね。」

1週間ぶりの電話だった。こんなに長い間Tと会わないのは修学旅行以来だ。週末に親から外出禁止令を出され、2日会えないというだけでも大騒ぎし、夜通しのテレホンセックスで恋しさを募らせ、誰よりも早く登校して学校のトイレで再会のセックスに興奮していたTと私。それなのに。からだに満ち溢れた欲望を指先に込め、回したダイヤルは私をTのいない虚しく寂しい国へと辿り着かせた。そっけなく、会えなかった悲しみなど何処にもないTの声。

不安な気持ちを抑えるように、私はバイト帰りにホテルに行けるよう、伸びた爪をパチリパチリと切り、2時間の延長ができるように1万円とホテルのサービス券を財布に押し込んで見慣れた電車に飛び乗った。
余談だが私は、この頃に実にたくさんのラブホテルを訪れた。近くのホテル街から電車で2時間以上も離れたホテル街まで、私とTは自分たちが安心して入れる安くて心地よいホテルを探し歩いた。

時代は80年代。この頃のラブホテルは、オンナ同士での利用が厳しく禁じられていたために、私の声や姿からオンナだと見破られてしまい、断られることも多かった。それでも初めのうちはまだよかった。フロントが手しか見られることがない曇りガラスで隔たれていたからだ。私のホテル選びがいっそう困難をきわめたのは風営法の施行後。ホテルのフロントが顔まで確認できるカウンターになってからだ。ほとんどのホテルは私たちの入店を拒んだ。そんな時活躍したのが、“風営法なんてお構えなし”というような古く汚い旅館風ラブホテル“旅館いざなぎ”だった。

戦前はさぞかし多くの人で溢れかえっていたであろと思えるネンキの入った“旅館いざなぎ”は休憩2時間1000円ほどだったと思う。私が誰であろうと知ったことじゃない、と無関心に客をあしらう従業員。

風呂なしトイレなし。あるのは布団とコンドームとティシュ箱、そして行灯。友人から聞く、最新のラブホテルとはあまりにかけ離れたラブホテルに行く度に、

「たまには綺麗な照明で照らされたベッドでセックスしてみたい」
と、私は決意を燃やしていた。~余談終わり

就業時間20分前。Tとの再会を待ちきれず一足早く工場についた私は、窓からTの姿を探していた。『会ったら何を話そうか』『爪は綺麗に切れているだろうか』胸を踊らせ待つ私の前、10メートル先にTは現れた。一人ではなかった。学ランを着た男達に囲まれたTは楽しそうな笑い声を上げている。胸が掴れるような痛みを感じながらも、私はTに手を振った。「T~!」1週間ぶりに会うTは私にの前でカラダを強張らせた。 

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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