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第十五回 非の打ち所

菊池ミナト2016.04.22

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 食事が始まってわかったことが二つあった。
 ひとつは、山田仕郎のナイフとフォークを使う所作に非の打ち所がないということだった。まるでテーブルマナーの教則ビデオのようで、私は営業スマイルを浮かべたまま、内心、舌を巻いていた。
 前菜の一皿がサーブされ、ナイフとフォークに手を添えた瞬間から違っていた。
 これから食事を始めると言うよりはむしろ、ピアノの鍵盤に指を置く仕草のようだった。山田仕郎は一口サイズの海老を更に小さく切り取った後、おちょぼ口サイズに切り分けた海老の上にナイフの先端部分を使って器用にジュレを盛り、口に運んだ。フォークの先には最初の盛り付けの縮図のようなものが出来上がり、皿の上に盛り付けられたものは確かに一口分損なわれた筈なのに何一つ崩れていない。すべてが淀みなく、環境ビデオのようにいつまでも眺めていられそうだった。
 海老の断面まで美しいので、このまま別のテーブルに何食わぬ顔で運んで行っても、口をつけた皿だと誰も気づかないかも知れない……と、同じ海老をぱくりと一口で食べながら私は思った。
 それにしても静かである。二口めを先ほど同様に切り分けながら、なおも山田仕郎は何も言わない。特にこれといった理由もなく、誰も何も喋らない静かな食事というのは、ある意味新鮮だった。
 静けさにはもうひとつ理由があって、昼時だというのにテーブルはほとんど空席だった。窓の外を見ても、休日のオフィス街には誰もいない。暖かな春の陽射しが眩しいゴーストタウンである。平常時の週末の丸の内ならまだしも、この非常時にウキウキとお出かけする気にはなれないのだろう。本当に、人っ子ひとりいない。

 私は海老の味を噛みしめながら、なおもしぶとく営業スマイルを続けていたが、山田仕郎は山田仕郎で相も変わらず眼前の皿に集中していた。世界には、彼自身と前菜の皿しか存在していないようだった。
 「美味しいですね」と声をかけると、ナイフの先に全神経を集中させたままの山田仕郎はこちらに一瞥もくれず、一言「美味しいですね」と返した。こだまのようである。
 「物流が不安定だって聞いていたので、今日のお食事も大丈夫かなって心配していたんですけれど……」
 そう言って、山田仕郎の様子をうかがっていると、ややあって「はい」という返事が返ってきた。

 こちらの話を最後まで言わずに相手の返事を待つのは失礼にあたるのかなぁ、とぼんやり考える。
 「うちの辺りはパンが消えちゃって、でも、被災地の方のことを思えばその程度のことでは何も言えないなぁって思うんですよね」
 集中力が途切れた私は、結局、当たり障りのないことを喋っていた。
 朝食に関して言えば、私はパン派で、母もパン派で、父はコーヒーとアーモンドと大豆クラッカーしか食べない。恵美子さんは、最近はお茶漬けで済ませてしまうと言っていた。頭の中では会話の種が沸々と湧いてくるのだが、現実の我々は、山田仕郎の返答待ちで沈黙している。
 そのうちに「そうですね」という同意の一言が返ってきて、会話が終了してしまった。

 山田仕郎に関して判明した二つ目のことは、その対話方法であった。
 山田仕郎に何か話しかけると、大まかに分けて三種類の反応が返ってくる。『おうむ返し』、『同意』、『Yes/No』である。そして大概、ほどんと会話が続かない。
 会話はキャッチボールとよく言うが、これではキャッチボールどころか、せいぜいドッジボールである。しかも、内野にかすりもしない。
 パンが消えて困ってるってことは、恒常的にパンを食べる文化ということで、欧米じゃあるまいし、そもそも昼は会社だし、昼食と夕食の線は消えて結果的に朝ご飯はパン派なんだよっていう話なんだけど? と、営業スマイルを崩さずに悶々と考えていたら、先にお皿を空にしてしまい、ますますもってやることがなくなってしまった。しかも、上座に鎮座している人間よりも先に食べ終えてしまうのは大失態である。
 遅々として進まない山田仕郎の海老を眺めながら、カトラリーを置いて考える。
 そもそも、恵美子さんの中では、今日この場で当人同士の結婚の意志が確認されることになっているのだ。
 山田仕郎と私は談笑しながら食事をし、お互いの半生と価値観と未来像を共有し、最終的に山田仕郎が「結婚してください」というような意味のことを言い、私が「よろしくお願いします」的なことを言う。双方の合意である。恵美子さんから一大スペクタクル八百長の大まかな説明は受けていたが、あまりにも当初の筋書きと違う。そもそも、第一段階の「談笑しながら食事」というのが達成されていない。山田仕郎がパン派かごはん派かもわからない。由々しき事態である。

 けれど恐らく、一番の由々しき問題は、私が、山田仕郎が朝食はパン派だということを既に知っていることなのかも知れなかった。
 情報源はもちろん恵美子さんとお嬢さんである。

 かくして前菜の海老が終わり、ホワイトアスパラガスの春らしい一皿が出てきても会話はまったく弾まない。
 サラダを添えた牛タンのコンフィに舌鼓を打ち、魚料理、口直し、肉料理とどんどん食事が進むが、相変わらず山田仕郎は「はい」とか「そうですね」を繰り返すだけである。たまに固有名詞を口にするときは、直前に私が言ったことの純然たる復唱なので、やはり新しい情報は聞き出せない。
 けれど私は既に知っている。彼が朝はパンとコーヒー派で、料理は一切できなくて、服は全部恵美子さんが買い与えていて、趣味は囲碁で、競馬は好きだけれど馬券は買ったことが無くて、1000円カットで髪を切っていることを。そして今日新たにわかったことは、食事の所作には非の打ち所がなく、会話は成り立たないということだ。

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菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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