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分娩室でシャンパンを

中沢あき2019.03.06

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昨年の秋、両親学級なるものに夫婦揃って参加した。日本で一般的な母親学級の両親バージョン、すなわち、これから迎える出産について、そしてその後についてなどを夫婦で学ぶことができるコースだ。

どうやって陣痛が起きて出産に至るのか、その場合はどうすればよいのか、何が必要かなどをひととおり教えてもらった後の質問タイムで向かいに座っていた女性が手を挙げた。

出産後にゼクト(ドイツのスパークリングワイン)を飲むといいって聞いたんですけど、本当ですか?

なに!? ゼクトだと! 妊娠中はもちろんのこと、産後だって授乳のためにアルコールって厳禁でしょ?? と思いきや、なんと助産師の先生は、そうね?、そういう話もあるわね?と笑って言うじゃないですか。マジですか?

先生いわく、少しならばゼクトはその後の母乳生成を促すという説があるんだそうで、ゆえに飲んでもかまわないとのこと。

へええー、と他の参加者と感心しながら話を聞きつつ、私は心が躍るのを感じた。本来お酒好きな私、でも妊娠発覚以来すっぱりと断酒していたし、それはそれでたいして苦ではなかったものの、夫が向かいで飲むワインの香りはやっぱり魅力的で少し嫉妬心もかきたてた。

なので出産直後のゼクトだなんて、まるでストイックな生活を送ってきた妊婦の出産を称えるかのよう。すっごく素敵なアイディアに思えた。

というわけでその後、私はもちろんしっかり入院バッグの中にもゼクトの350mlのミニボトルを入れておいた。選んだのはスーパーで売っている普通の銘柄。その隣にシャンパンもあったんだけど、ゼクトでいいよね、と小さくまとめてしまった我が夫婦。人生の大イベントなのにお財布事情を考えてしまったところがちょっと小さいな、私たち……。

なんにせよ、9カ月近くにわたる禁酒を一瞬とはいえ、出産直後に破れるなんて楽しいじゃん! と盛り上がる私に、ま、そういう体力が残ってたらね、と経験者の友人たちは口を揃えて言ったものだ。

ドイツの妊娠中の食生活の禁忌は厳しいのか緩いのかよくわからない。
アルコールは厳禁だが、コーヒーは一日一杯までならOK。が、アルコールもちょこっと飲んじゃったわ、とケロッと言う妊婦は私の周りにも数人いた。

まあ自己責任ってことなんだろうけど。
生もの、半生のものは感染症防止のために厳禁。婦人科の先生は日本人の私にお寿司はダメですよ、と微笑んで言ってたけど、普段ドイツで寿司なんかめったに食べないので(帰国のお楽しみにしてるゆえ)、そこは別につらくもなんともなかったが、大好きな半生の塩漬けニシンや燻製の魚までアウトとなると、いつも食べているもののリストが減る。

生ハムやソーセージ、生チーズなど非加熱のものもダメだ。これらのものって結構いろんなところで前菜やらサンドウィッチやらとメニューに使われているので、もちろん気をつけて避ける。
チーズも一般的なものはたいていパスチャライズ処理をされているけど、産地直送の風味豊かな手作りチーズ、なんて美味しそうなものはアウト。

ときどきマルクトで買うハードチーズがなんとこの生チーズのタイプで、産後までお預け、と思って産後に夫に買いに行ってもらったら、そのチーズ屋さんが定年退職ということで店をたたんでしまっていたという哀しいエピソードも後日談もあるが……。

多くの美味しいグルメものが禁止リストに入っているので、産前にしておきたいことのお勧めリストにあった、夫婦でレストランに行く、というのも結局あきらめてしまった。

だって前菜などに、生や半生の食材って結構使われているのだ。それらを美味しそうに食べる向かいの夫を見て嫉妬しながら食事なんてつまんないもんなあ。

両親学級で知り合った友人(件の産後のゼクトの質問をした人である)とは、産後、いつか飲めるようになったら一緒に乾杯しようね、と言い合った。

ちなみにドイツ人の彼女の希望は、出産して落ち着いたらいつかお寿司を食べに行こう!だった。まあそんなわけで、出産直後の乾杯はほんとに楽しみだったのだ。
たぶん、出産にまつわるその他のことがまったく想像できないぶん、私の頭にはそのことしか浮かばなかった。

さて、時はあっというまに流れ、とうとうその日がやってきた。

予定日よりもずいぶん早いある日の早朝に破水して入院したものの、夜になっても本陣痛が来ない私は、「陣痛カクテル」なるものを飲まされた。
これも両親学級で習ったなあ。
まさか自分が飲むとは思わなかったけど。
中身は少量のシュナップス(ドイツのハードリカー)にひまし油にハーブを混ぜてアプリコットジュースで割ったもの。

あとで調べればこの陣痛カクテル、助産師や産院によっていろいろなレシピがあるらしいが,、産前にもアルコールとは……。
ちょっと油臭さが残るものの、どろっとしたそのスムージーみたいな飲み物は意外と悪くない味で、0・5リットルのビアグラスに泡立てて注がれた様はまるでバイエルン地方のヴァイツェンビールのよう。

これから始まる戦に向けて景気づけ、みたいな感じ? とおかしかったが、これが本当にしっかり効いて、私の場合は数十分後に陣痛がやってきた。

そこから出産までの過程はこれまた結構長く、内々のことなので詳細はすっ飛ばすが、どうやら難産だったらしく(当の本人は必死だったので助産師や医者の説明の重大さが後日の再説明までよくわかってなかった)、出産直後の掻爬手術の麻酔から覚めたら、腕には点滴の管が刺さっていた。

術後になぜか血圧が急激に上がったらしく、そういわれてみれば頭が痛い。生まれた子どもを抱いた夫がそばで心配そうに見ているのが見えて、あー、そうだ、出産したんだっけ、と我に返った。

そのあとの記憶はすでに詳細があいまいで、後で夫が撮った写真を見ると、私の横で助産師さんが子どもの足の型取りをしたり、服を着せたり、そして私も子どもを抱いたり、初乳を飲ませたりしていたらしい。

なのに割とはっきり覚えているのは、そこから病室に移る前に、そうだ! と思い出して、あわててゼクトの瓶を開けたことである。

頭痛は収まってきていたし、看護婦さんにも別に反対されなかった。

看護婦さんに借りてきたケルシュビールの細いグラスに注いで乾杯! 待ち望んだその味は正直、おいしい! と思うほどじゃなかったけど、やっと一つの時期が終わったんだという感慨もあって、二口飲んで満足した。

もちろん、妊娠という時期が終わったら、こんどは果てしなく続く子育てという時期の壮絶さなんか、このときはまだ夫婦ともにわかってなかったのだった……。

というわけで出産直前と直後にアルコールというドイツ流(?)で昨年末に出産した私。今年は連載が不定期になってしまいますが、ドイツの子育て事情などもそのうちに書けたらなと思っています。
遅ればせながら新年のご挨拶として、今年もどうぞよろしくお願いいたします!




写真:
© Jan Verbeek
ゼクトを注いだグラスで乾杯。窓の飾りはクリスマスのもの。実は予定日がクリスマスだったのですが、早く生まれたおかげで、家族揃ってクリスマスを過ごすことができました。

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中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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