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TALK ABOUT THIS WORLD ドイツ編 リアルな人形とドイツの子ども

中沢あき2021.02.22

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あっという間に2月も節分が終わり、今年はちょっと長めに飾っておきたいなと思ったので早速お雛様を出した。数年前に娘が生まれたときに母が日本から持ってきてくれた内裏雛なのだが、昨年亡くなった私の祖母が随分前に、孫娘たちそれぞれにと、習っていた木目込み細工で手作りしてくれたお雛様で、ふっくらと丸くてやや現代的な顔立ちがかわいくて気に入っている。

いつもはぬいぐるみやおもちゃを豪快にブンブン振り回す娘にも、これは繊細だからちょんちょんと指で触るだけにしてねと言い含めたら、近づいては目を細めながらそっと触っている。

彼女はプレゼントやお下がりで、または私がもともと持っていたぬいぐるみをいくつもベッドや部屋のあちこちに並べては取っ替え引っ替え遊んでいるのだが、そのうち「人形」と呼べるものは今のところは一つだけだ。その布製の金髪の女の子の人形は愛らしい顔立ちで、義父のおつれあいさんが何年も前にある人形作家の展示会で乳母車付きで買ったものを、その後に生まれた彼女の孫は男の子だったのでうちの娘にぜひと言って贈ってくれたのだった。同じく金髪の友人の娘に似てるねと私が言ったら、以降娘はその彼女の名前でこの人形を呼んでいる。

私自身も子どもの頃は、リカちゃんとかバービーの人形を持って遊んでいたけど、そんな私でも感覚的にイマイチ理解できないのが、こちらドイツの小さな子どもたちが赤ちゃんの人形を小さな乳母車に乗せて押して歩いている様子だ。赤ちゃんが赤ちゃんをあやしているっておもしろいな、と微笑ましく思う一方で、その赤ちゃん人形がなかなかリアルに作られた姿でちょっと奇妙な感じすらする。この手のリアルな人形は、子どもの頃に見た、よそのうちのピアノや棚の上に飾られたフランス人形を思い出させるのだが、あれは子どものおもちゃじゃなくて、むしろ子どもは勝手に触ってはいけない飾り物だった。しかしドイツの子ども向けの人形やぬいぐるみは写実主義のリアルな造りのものが一般的で、かわいくデフォルメされた日本の人形やぬいぐるみやキャラもので育った私には、この手のリアルな顔立ちの人形をこちらの子どもたちは普通に腕に抱えているのを見ると、不思議な気持ちになる。娘の保育先のおもちゃであふれた子ども部屋の中にも年季の入ったこの手のリアルな赤ちゃん人形がいて、「子どもたちが大好きなウッシー(女性固有名詞のウルズラの愛称)よ」と保育ママが懐かしみを込めて私にも紹介してくれたのだが、妙に大人びた顔立ちに髪の毛のないこの赤ちゃん人形は私の感覚からすると、夜中にこれ見たらまさにホラー映画かも、と不気味さの方が先行してしまうのが本音。もちろんそんなこと口には出さないが……。

まあ我が子は日本の感覚で育てているし、我が家にある人形やぬいぐるみも可愛くデフォルメされたものばかりで、リアルな人形はうちでは買うことはないだろうなと思っていたある日。時短保育からフルタイム保育へと切り替わり、保育ママのところで昼寝もすることになった娘のお昼寝の練習に付き添うため、昼過ぎに保育ママの家を訪れた。昼ご飯を食べ終え、ママ〜と出迎えてくれた娘を見てギョッとした。なんと娘の腕には、あのリアルな赤ちゃん人形がしっかりと抱かれているではないか。「……。ウッシーとネンネするの?」と聞くと、うれしそうにニコニコ笑いながら、うん、とシリアスな顔立ちの人形をぎゅっと抱きしめる娘。それは良かったねえ、と返したものの、やっぱり我が子もドイツで育ってるんだなあと、心の中で苦笑い。育つ環境によって人間の感覚って変わるものなのね。

と、文化の違いあるある話はさておいて、人形は子どもの成育においてはとても重要なものなのだそうだ。元をたどれば新石器時代にはすでに骨や石で作られた人形が存在していたが、当時は儀式に使われるもので、現在のような人間を生き写しにしたような人形が製品として作り出されるようになったのは15世紀に入ってからで、19世紀になると子どものおもちゃとしての人形がブームとなった。陶製の顔を持ち、高価な服を着せられた美しい人形は、子どもたちへのお手本として、特に女の子にとって、のちに一人前の女性になるためのお手本として与えられ、大人の教えの下で遊んでいたのだとか。一人前とはつまり、美しく慎み深く、子どもを育てて家庭を築く女という意味である。ちなみにドイツ語の人形という単語「Puppe」(プッペ)の語源はラテン語で女の子を意味する「pupa」だそう。つまりは人形=女の子、人形遊びは女の子のもの、という歴史は世界共通なのか。もちろんジェンダーレスを目指す今の時代は、人形遊びには男の子も女の子も関係ない、とされているけど、広告などを見る限り、やっぱりまだ女の子の遊び、というイメージはあるし、男の子への人形のプレゼントというのは聞いたことがない。私たちの中のジェンダーギャップって根深いな。

いずれにしてもぬいぐるみも含めた人形遊びはそもそも、男女別関係なく子どもの成育にとってどう重要なのかというと、人形で遊ぶことによって、子どもは自分以外の世界とつながる機会を持ち始めるのだそうだ。友達として、または兄弟姉妹のように一緒に時間を過ごすパートナーとして人形と遊ぶうちに、対等な関係を築いたり、または今まで自分がしてもらっていた「世話」を人形にしてやったりと自分と人形との想像の世界に入っていくうちに、それまで密着していた親との関係から少しずつ離れていき、自立をしていく手助けになるのだそうだ。なるほど、深いなあ。その場合、人形もリアルなほうがもっと現実的に学べるってことなのかしら。

そういえば最近、娘がクマのぬいぐるみの両足を持ち上げてお尻を拭いてやっていた。ははあ、オムツ替えかな?「保育ママにそうやってやってもらってるのね?」と訊くと、うんと、うなずいている。そう、実は私、お尻を拭くのが面倒くさくて、いつも洗面台でお尻をざぶざぶ洗ってしまうので、お尻拭きで丁寧に拭いてやる、というのは明らかに彼女が保育ママのところで学んできたのだ。えへへ、手抜きママでごめんね~、と再び心の中で苦笑いしたのだった。
© Aki Nakazawa
真顔のウッシーもよくよく見ると愛らしい顔をしている、かな? 広告などで人形を持っているのがほぼ女の子であるということ、人形の服や乳母車がピンク色だったりするのを見ると、人形遊びはまだ女の子向けのもの、と感じます。例えば子育てが男女そろってするものというなら、男の子だって人形抱っこさせてあげてもいいんじゃない? って思ったりしますが。そんなドイツでも先日の森氏の女性蔑視発言による五輪委員会会長辞任はトップニュースとして報じられました。もちろんこんな発言や思考は断じて許されるべきではないという論調ですが、対して日本のその後の一部の報道に「森氏は普段はそんな人ではない」「家庭では女性家族でかかあ天下だ」という「大目に見てあげようよ」的な感じが漂い始めたのが、ああ、なんとも日本らしいと心底情けなくなりました。女性差別は女性の立場からも意識していかないと、解消にはまだまだ遠い道のりだなあ。私たちの中のジェンダーギャップは深い!

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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