中絶再考 その54 カオスに負けない──ブレない軸を持つということ(後編)
2026.02.04
前編では、日米の中絶をめぐる「意図された混乱」と、それに対抗するために「ブレない軸」を持つことの重要性を論じた。今回は、その「ブレなさ」を体現している人々の話をしたい。
検閲されても止まらない
2025年12月初旬、フィリピンで Women on Web(ウィミン・オン・ウェブ、以下WoW)のウェブサイトが政府によって遮断された。
WoWは、中絶が全面的に犯罪化されている国々で、中絶薬の郵送と情報提供を行っている国際NPOである。フィリピンでは2025年だけでWoWに47,000通以上のメールが届き、10,000件を超える中絶薬の要請があった。サイトへのアクセスが遮断されたことは、これらの女性たちにとって文字通り生死に関わる事態である。
しかし、WoWの対応は迅速だった。検閲の報告を受けるとすぐにミラーサイトを立ち上げ、同じ情報を提供し続けた。
エグゼクティブ・ディレクターのヴェニー・アラ=シウルアはこう述べている。「残念ながら、フィリピンでの中絶薬サービスは一時的に停止せざるを得ませんでしたが、ヘルプデスク(オンラインによる相談窓口)は引き続き人々を支援します。検閲によって中絶を求める人がいなくなることはありません」。
そしてプレスリリースは、こう締めくくられていた。
「私たちは、互いを支え合うことをやめません。中絶は私たちの人生の一部であり、すべての人に自由に提供されるべきものです」。
だが、この話を遠い国の出来事として聞いていられるほど、日本の中絶環境は安全でも、自由でもない。
違法な国の方が支援がある、という逆説
この一連の出来事を見て、私は深い逆説を感じずにはいられなかった。
フィリピンでは中絶は全面的に違法であり、中絶薬を送ることも、情報を提供することも犯罪である。それにもかかわらず、WoWは活動を続けている。法律が間違っている、女性の人権を守ることが正しい、という確信に基づいて。
一方、日本では中絶は合法に行える。刑法堕胎罪は存在しているけれども、母体保護法の「経済的理由」がゆるやかに解釈されることで中絶が認められている。しかし実際には、配偶者同意要件、高額な費用、限られた医療機関、スティグマなど、様々な障壁によって中絶へのアクセスは著しく制限されている。
合法であるにもかかわらず、実質的にアクセスが困難な日本。違法であるにもかかわらず、WoWによる支援が継続されているフィリピン。
この逆転した構図は、何を意味しているのだろうか。
「正しさ」の基準を持っているか
WoWが「違法だが正しい」と確信できるのは、国内法を超える普遍的価値——人権——を拠り所にしているために他ならない。
国際人権法、世界保健機関(WHO)のガイドライン、国連人口基金(UNFPA)の基準など、国際社会には明確な「正しさ」の物差しがある。これらの国際基準は、リプロの権利を基本的人権として位置づけている。安全な中絶へのアクセスは、女性の健康権、自己決定権、生命権に関わる問題であり、国がそれらを奪うことはできないと考えられている。
たとえフィリピンの法律が中絶を犯罪と位置づけていても、国際人権基準に照らせば「法律が間違っている」ことになる。WoWの活動家たちは、この普遍的人権という確固たる基準をよりどころに、違法行為とされてしまうリスクを引き受けている。
なぜなら彼女たちには、目の前で苦しんでいる女性たちを助けることが、法律よりも優先されるべきだという確信があるためだ。
これこそが、「ブレない軸」の正体である。
日本人は「正しさ」の基準を奪われている
では、なぜ日本には、WoWのような確信に基づく活動がないのか。
私の22年にわたる研究で明らかになったことは、日本政府が国際人権基準に関する情報を国民にきちんと伝えていないという事実である。
国際会議では、日本政府は進歩的な発言をする。国連の会議で「女性の権利を尊重する」「SRHRを推進する」と述べる。しかし、その発言は国内ではほとんど報道されず、国際基準が日本国内に紹介される機会も乏しい。
結果として、日本国民は「日本の現状が普通」だと思い込まされている。配偶者同意が必要なこと、中絶費用が10万円以上かかること、中絶薬へのアクセスが極めて限定的であることが、「国際的に見て異常」だと知らされていない。
日本では、人権という普遍的価値が社会の中で十分に共有されていないため、「ブレない軸」を持ちにくく、「何が正しいのか」という基準そのものが曖昧なまま、法律や世間の目といった外部基準に依存しがちである。
「合法なのにアクセスできない」という罠
さらに厄介なのは、日本では中絶が「合法」であることが、問題を見えにくくしている点だ。
フィリピンでは「違法」だから、戦うべき相手が明確だ。「法律を変えろ」「法律が間違っている」と言える。
しかし日本では「合法なのにアクセスできない」。すると、「法律上は認められているのだから、アクセスできないのは自己責任」という論理にすり替えられてしまいがちになる。中絶が高額なのは「市場原理」、配偶者同意が必要なのは「家族の問題」——構造的な抑圧が、個人の問題に矮小化されていく。
合法という外見が、抑圧を覆い隠している。これもまた、一種のカオスである。
「正しさ」を自分でつかみに行く
では、私たちはどうすればいいのか。
まず、国際人権基準を自分で知ることだ。日本政府が積極的に伝えない情報を、自分たちでつかみに行くこと。WHOのガイドライン、UNFPAの報告書、国際人権条約——これらを読み、日本の現状がいかに国際標準から外れているかを理解することがたいせつになる。私自身も、これらの国際基準や日本の状況について、別の場所でより詳しく書いてきた。関心を持った人は、そうした資料や書籍にもぜひあたってみてほしい。
次に、「法律=正しい」という思考から脱却することだ。法律が間違っていることがありうることは、旧優生保護法によって強制不妊手術を受けさせられた被害者の問題にも明らかだろう。日本の母体保護法の配偶者同意要件は、国際人権基準に照らせば明らかに問題がある。そのことを共有していきたい。
そして、「合法だから問題ない」「あとは自己責任」といった言説にだまされないことだ。合法であっても、アクセスが実質的に制限されているなら、それは権利が保障されているとは言いがたい。もしあなたが何かを不自由に感じているなら、そのときは「人権が侵害されている」可能性が高いと言えるだろう。
連帯の可能性
先に述べた通り、フィリピンでサイトが遮断されても、WoWは即座にミラーサイトを立ち上げた。「検閲によって中絶を求める人がいなくなることはない」という現実認識に基づいて。
この姿勢から学ぶべきは、制度や法律の変革を待つだけでなく、今すぐ目の前の人を支援する実践の重要性だ。もちろん、法改正や政策提言も必要である。しかし、それだけでは不十分なのだ。
WoWの活動は、国境を越えた女性たちの連帯の一つの形である。違法な国で活動を続ける人々がいる。彼女たちは、人権という普遍的価値への確信を持っている。
日本のフェミニストに必要なのは、まさにこの確信ではないだろうか。「正しさ」の基準を外部に依存せず、普遍的人権という価値に立脚すること。
再び、ブレない軸へ
前編で私は、「身体は私のもの。だから、選ぶのは私だ」という原則を心に刻んでほしいと書いた。
この原則は、実は普遍的人権そのものだ。世界中の女性たちが、同じ原則のために闘っている。違法な国でも、合法だがアクセスが困難な国でも。
WoWのプレスリリースの言葉を、もう一度引用したい。
「私たちは、互いを支え合うことをやめません」。
カオスの時代に、ブレない軸を持つこと。それは孤独な闘いではない。同じ原則を共有する人々が、世界中にいる。
選挙が終わり、結果がどうであれ、私たちの日常は続く。追い風でも向かい風でも、立ち続けていこう。
そのとき、「身体は私のもの」という原則と、それを共有する世界中の仲間の存在が、私たちを支えてくれるはずだ。
混乱に負けない。ブレない。立ち続ける。
それが、今の時代を生きる私たち一人ひとりにできる、最も確かな抵抗ではないだろうか。














