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中絶再考 その53 カオスに負けない──ブレない軸を持つということ(前編)

塚原久美2026.02.04

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 選挙の季節になると、「女子ども」の話題は後景に退きがちになる。安全保障、経済、外交——いわゆる「大きな問題」が前面に出て、リプロの権利のような「個人的」に見える問題は、いつの間にか議論の片隅に追いやられてしまう。
 でも、ちょっと待ってほしい。
 国が誰のために存在するのかを問うのなら、「この身体は誰のものか」という問いは避けて通れない。戦争を語るなら、その戦争で誰の「身体」が動員されるのか。社会経済を語るなら、誰が働き、誰が儲け、誰が産み育て、誰がケアを担うのかを、語らなければならない。
 リプロの権利は「後回しにしていい問題」ではない。むしろ、すべての「大きな問題」の土台にあるのではないか。

意図された「混乱」
 アメリカでは今、第2次トランプ政権のもとで、中絶をめぐる状況が混迷を深めている。女性の健康を支援してきた非営利団体への連邦資金が打ち切られ、困窮者には避妊手段にアクセスすることすら困難になっている。中絶薬への規制強化が進む一方で、FDAは新しい廉価版中絶薬を承認した。妊娠の合併症でも適切な医療を受けられず命を落とす女性たちのニュースも舞い込んでくる。日々どんでん返しが続き、何が起きているのか、把握することすら難しい。 

 アメリカのフェミニスト誌『Ms.(ミズ)』は、この状況を「混乱こそがポイントだ——これは意図的で組織的な取り組みである」と分析している。左派メディアの『トゥルースアウト』も同様に、2025年の中絶をめぐる状況を「カオス」と呼び、「カオスは戦略的に利用されることもある——反対派の不意を突き、確信を持って対応できなくさせる手段として」と指摘した。
 混乱させ、疲弊させ、「もう追い続けられない」と思わせる。予測不能な状況に置くことで、抵抗する側の足並みを乱す。なるほど、権威主義的な政治がしばしば用いる手法だ。
 日本はどうだろう。中絶薬メフィーゴ®パックは承認から2年以上経っても使用率3.4%(2024年度)にとどまり、無床診療所への拡大は「拙速」という理由で先送りされ続けている。緊急避妊薬の薬局販売はようやく始まったが、価格などを考えると、まだ使いやすい状態とは言えない。
 明確に「禁止する」とは言わない。でも、使いやすくもしない。この曖昧さもまた、一種のカオス状態なのかもしれない。

「道具」としての権利
 先日、私の新書『産む自由/産まない自由——「リプロの権利」をひもとく』(集英社新書)への書評が「しんぶん赤旗」に掲載された。評者草野洋美さん(ジョイセフ)によるこの書評には、こんな見出しがついている。
 「生き辛さ感じたら手に取りたい」 
 そして、リプロの権利を「生きるための道具」として捉える視点を紹介してくださった。
 この「道具」という言葉が、私にはとても新鮮に響いた。
 権利というと、なんだか堅苦しい。額縁に入れて飾っておくもの、教科書に載っているもの、というイメージがあるかもしれない。でも、本当はそうではないはずだ。権利は、使うもの。困ったときに手に取り、自分の人生を切り開くために振るうもの。 
 リプロの権利の中身はシンプルだ。「産むかどうか、いつ産むか、誰と産むかを、自分で決められる」ということ。そして「その決定を支える医療や情報にアクセスできる」ということ。
 これは決して贅沢品ではない。生きていくための基本的な道具なのだとしみじみと思う。

根は同じ
 実は今、また別の角度から中絶問題に切り込む本の準備を進めている。明石書店から年内刊行を予定しているこの本のはじめの方で、私は中絶の権利と軍国主義化の問題を並べて論じている。
 中絶と軍国化……一見、別々の問題に見えるかもしれない。でも、根は同じなのだ。 
 実際、どちらも個人よりも集団(国家・家族)を上位に置いている。個人の自己決定権よりも国家の要請を優先している。そして、「国のため」「家族のため」という美しい言葉で、個人の権利の侵害を正当化している。
 だから、安全保障を語る声が大きくなるときこそ、リプロの権利の話を「後回し」にしてはいけないのだと思う。両者は同じ構造の別の現れとして、一緒に考える必要がある。 
 「あなたの身体は国のものだ」と言われることへの抵抗——それが、徴兵への抵抗であれ、中絶禁止への抵抗であれ、本質は変わらないのだから。

ブレない軸
 今回の衆院選では、「ブレない」政党・政治家への注目が集まっている。
 でも、選挙結果がどうなろうと、最も大切なのは、私たち自身がブレないことではないだろうか。
 「この身体は私のものだ」という確信。「私の人生の選択は、私がする」という原則。これは、どの政党が勝っても負けても、誰が首相になっても、変わらない。変えなくていい。変えてはならない。
 リベラルが勝てばリプロの権利の追い風になるだろう。負ければ向かい風が強まるだろう。でも、風向きが変わっても、私たち自身の立っている場所は変わらない。
 前回のコラムで、私は「身体所有権」という言葉を使った。中絶をめぐる闘いの本質は、「自己決定権」よりもさらに根源的な、「この身体は誰のものか」という問いにあると。 
 カオスの時代には、シンプルな原則が必要だ。複雑な状況に振り回されそうになったとき、立ち返る場所があると心強い。
 「身体は私のもの。だから、選ぶのは私だ。」
 この一文を、こころの中に刻んでおきたい。

混乱の中で手放さないもの
 書評の中で草野さんは、日本の少子化対策が「女性の権利を奪ってきた反省なしに」進められていることへの批判にも触れてくださった。 
 その通りだと思う。政府は「産んでほしい」と言いながら、産む・産まないを自分で決める権利は渡そうとしない。中絶薬は承認しても普及させず、包括的性教育は後退させ続ける。
 「産め」と言いながら、「でも決定権はお前にはない」と言う。この矛盾に、女性たちはとっくに気づいている。だから、合理的に判断して、産まない選択をする人が増えているのだ。
 少子化の原因は「女性の意識の変化」ではない。女性の権利を認めない社会の構造の方に問題がある。
 この認識は、どんな選挙結果になっても、手放さないでいたい。

道具を手に、立ち続ける
 選挙が終われば、また日常が始まる。勝っても負けても、私たちの生活は続く。妊娠する可能性のある身体を持つ人々の日々は続く。
 だから、私たちは立ち続けよう。
 カオスに巻き込まれそうになったら、シンプルな原則に立ち返る。「身体は私のもの」と、何度でも確認する。リプロの権利という「道具」を手に取り、自分の人生を自分で切り開くために使う。
 政治は変わる。政権は変わる。でも、私たちの身体が私たちのものであるという事実は、誰にも変えられない。 
 混乱の時代だからこそ、この事実を静かに、でも確かに、握りしめていたいと思う。
 ところで、世界には、中絶が違法な国の女性たちに向けて「法の方が間違っている」「女性には安全な中絶が必要」と確信し、活動を続けている人々がいる。次回は、その話をしたい。

(後編に続く)

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塚原久美

塚原久美(つかはら・くみ)

中絶問題研究者、中絶ケアカウンセラー、公認心理師。

20代で中絶、流産を経験してメンタル・ブレークダウン。何年も心療内科やカウンセリングを渡り歩いた末に、CRに出合ってようやく回復。女性学やフェミニズムを学んで問題の根幹を知り、当事者の視点から日本の中絶問題を研究・発信している。著書に『日本の中絶』(筑摩書房)、『中絶のスティグマをへらす本』(Amazon Kindle)、『中絶問題とリプロダクティヴ・ライツ フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房)、翻訳書に『中絶がわかる本』(R・ステーブンソン著/アジュマブックス)、『ジェーンの物語 伝説のフェミニスト中絶サービス地下組織』(ローラ・カプラン著/書肆侃侃房)、『中絶薬完全ガイド 第二版 知る・考える・選ぶ』(RHRリテラシー研究所)、『産む自由/産まない自由 「リプロの権利」をひもとく』(集英社)がある。

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