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家族のカタチ

中沢あき2018.07.18

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しばらく前のこと。町中で久しぶりに会った友人と立ち話をする。フリーでメディア関係の仕事をする彼女は、男の子のお母さん。そういえば君のちっちゃな息子くん、いくつになったんだっけ?と夫が訊くと、もう小さな子じゃないわよー、今や反抗期が始まっちゃって。でね、最近は私が叱るとこう言うの。ママ、僕は思春期なんだから!ですって!

やれやれと肩をすくめて笑う彼女。そういえば、何年も前のこと、まだ彼がほんとに小さな男の子だったとき、買い物帰りの彼女たちに出くわしたことがある。何か欲しいものでも買ってもらいたかったのか、ぐずって泣く彼の手を引いている彼女に声をかけると、彼は顔見知りの私に見られたのが恥ずかしかったのか、泣くのを止めて、そっとママの後ろに隠れた。ちょっと足を延ばしてこっちまで買い物に来たんだけど、もう疲れちゃったわ〜、とぐったりと疲れた様子で笑いながら、彼女はさあ帰るわよ、と息子の手を引いていった。あの子がもうぐーんと背が伸びて、思春期を自覚しているとは。時間が経つのって早いなあ。

彼女も隠しているわけではなく、だからこんなことをわざわざ言うのも何なのだけど、彼女の息子は養子だ。生後数ヶ月のときに、彼女が仕事で縁のあった某国の地で縁組みをして連れてきた。もともとその国の言葉にも堪能で何度も足を運んでいる地で縁があったらしいが、両者の審査などの手続きもしっかりと通した養子縁組だ。養子を決めた経緯など詳しい事情は知らないが、以来、夫婦の一人息子として育てている。ときどき町中で出会う彼は、お母さんと一緒だったり、お父さんと一緒だったり。ママやパパとはしゃいだり叱られたりしているその様子は、血が繋がっている親子とまったく変わらない。

これも何年も前のことになるが、別の友人はレズビアンのパートナーと同性婚をし、そして子供を産んだ。生物学的な父親は精子パンクで探したそうだが、戸籍上は二人の子供となっている。子供を幼稚園に迎えに行く連絡をしたり、スマホに入れた写真を見せてくれたりする様子は、当たり前だがまったく他の家庭と変わらない。

周囲には実に様々な親子が居る。養子を迎える家も特別なことではないし、同性カップルの子供も結構いるし、シングルペアレントはもちろんのこと、子連れ同士で再婚、または婚姻関係になくても家族として暮らしている、いわゆる「パッチワークファミリー」はドイツではまったく当たり前のことだ。
義姉の二人の子供もそれぞれ父親が違い、今は下の子供の父親と一つの家で一緒に暮らしているが、上の子供はときどき実の父親に会ったり一緒に旅行したり、またはその父親がこの家に遊びに来ることすらある。ドイツは共同親権が基本なので、親が別居となった場合でも、両方の親と過ごす権利があり、2週間毎に父の家、母の家、と移動して暮らす子供も多い。とある友人も、今週は母親の所に子供が行っているから自由な時間がある、とか、そんな話をよくする。ちなみにその友人自身は子連れ同士の同棲を何年もしていて、お互いの息子同士、歳が近いのでいい友達関係になっていて、とうまくいっているらしい。

どの子も保守的な見方においては親の都合に振り回される、といえばそうかもしれないが、そこは親がいかに子供に納得させるか、に大きく依る。しばらく前に耳にした子供向けのラジオ番組のトピックはなんと親の離婚。インタビューされた10歳前後の子供たちいわく、悲しいといえばそうだけど、でも親と会えなくなるわけじゃないし、とか、2週間毎に家が変わるのは面倒だけど、まあでも仕方ないよね、親の事情もあるし、とか、子供なりに親や自分の状況を理解していて驚いた。

今でこそそんな多様性をまったく当たり前に思う私だけれども、以前は心のどこかでは、やはり実の親が揃うのが一番では、という考えがあったと思う。でもドイツで周りの親や子供たちを見ていて、それは保守的社会の刷り込みだったなと今では思ったりするわけだ。どの家庭の子供も、実に素直でしっかりと育っているのを見ると、血縁の家族という概念よりも、むしろそれぞれの親や環境による育て方次第なのだなと感じる。

日本で起きた5歳の女の子の虐待死事件は、記事を見るたび、胸が痛くなった。親の責任の問題、社会福祉や警察の対応の問題、いろいろな問題点が浮き上がり、署名運動も起きているそうだ。ドイツにも親による子供の虐待という事件や問題はあり、年間百数十人が虐待死、そのうち半数近くは家族内で起きたもの、という統計がある。ドイツのとある児童福祉団体曰く、その背景には親であるべき立場の人間自身が、健全な親子関係、愛情関係を経験していないことにあるという。これは日本のケースも同じだろう。歪んだ不幸な経験は、連鎖する場合が多い。そしてさらに加えて日本の場合は、女性の経済的な自立の問題や伝統的な家族の概念と因習も根底にあると思う。

家族は血縁で繋がるのが一番、父母揃うのが一番、という日本の家族幻想は、政治家や著名人の「子育ては母親の元が一番」だとか「結婚し子供を育てて一人前」のような発言にも明確に現れる。シングルペアレントになろうものなら、その子供は多かれ少なかれ不幸な人生を辿るもの、という憐れみの目が注がれる。親がどんなに前向きに頑張って子育てをしても、彼らを取り巻く社会がその親子を不幸にする。子育ては家族内の環境だけではなく、社会全体の環境あってこそ。人生なんて、ままならないものであって当たり前なのに、教科書通りにならないことが自動的に不幸とされるなんて、どれだけ生き辛い社会なのか。その生き辛さが親を追い詰めていくケースは日本には多いだろう。

子供の虐待、という問題に、今の日本の社会のあらゆる問題が見えてしまって、いったい何をどう語っていけばいいのかわからなくてため息が出る。それでもまずはこう言いたい。

誰でもどこでもいいのだ。愛情を注いでくれる人、環境があれば、人間は強くなれる。生きていける。それが揃わない環境にいる子供、いや、子供だけじゃなくて大人に対しても、周囲が社会が手を差し伸べるべきなのだと思う。ネット上で目にしたとあるコメントが心に残った。確かに虐待と間違えて通報することも怖いだろうけれども、まずは親子の様子がおかしかったら、大変ですね、とか、大丈夫ですか、とか一言でも声をかけてほしい、と。子供は親だけのものではない、社会のものでもある、と、そんな意識が広がっていったら、助けを求める子供の声が届かない、なんてことはなくなるかもしれない。

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© Aki Nakazawa
台中市のデパート前でびしょぬれになって遊ぶ子供たちと、後ろで控えているお母さんたち。

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中沢あき

中沢あき(なかざわ・あき)

映像作家、キュレーターとして様々な映像関連の施設やイベントに携わる。2005年より在独。以降、ドイツ及び欧州の映画祭のアドバイザーやコーディネートなどを担当。また自らの作品制作や展示も行っている。その他、ドイツの日常生活や文化の紹介や執筆、翻訳なども手がけている。 

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