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病室でお嬢さんから打ち明け話を聞かされる前から、私は義理の妹である彼女と仲良くなりたかった。

とは言え、「あなたと仲良くなりたいの」「OK、それじゃ、私たち今から何でも言い合えるお友達ね!」とはならない。それなら、少なくとも嫌われないようにしたい。

結婚に至った経緯をお客様であるご婦人方に話すと、「嫁姑問題が無さそうで良いわねぇ」と言われることが少なからずあり、お姑さん目線の人々からすれば『息子が連れてきた女』ではなく『私が選んだ女』という前提が効いているのかも知れないが、恵美子さんとお嬢さんが認識している私は銀行員としてお客様の前に立っている時の私である。そして、既に山田仕郎と二人きりになった時の私はお客様に接する時の態度では無くなっている。

学生時代に古文の教科書で読んだ平安時代あたりの文学作品には、有力な後ろ盾を失った姫が宮中での立場を失って追われたりする描写がやたらと出てきた。今は平安時代では無く、そもそも私は姫ではなく、ここは宮中でも何でもないが、この家を取り仕切る恵美子さんと言う強大な後ろ盾を得て結婚した事実に変わりはない。そして古文の教科書には出て来なかった『私のことを愛してくれている夫を一番の味方につける』という選択肢は、あらゆる意味で最初から除外されていた。

当の配偶者である山田仕郎とは、あちらの実家に一泊した時に発生した『強制同時入浴未遂事件』や『ベッドイン期待されるも不発事件』に代表されるように、手を繋ぐのも一苦労、という程度の関係性である。戸籍上は夫婦になっていたが、事実上はお付き合いさえ始まっていないような状態だ。
婚姻関係がそのまま継続し、順番が守られた場合、時間の経過と共にこの家に最後まで残るのは私と山田仕郎とその妹の三人だ。
つまり、わたしは彼女と仲良くなりたいのだった。

「あんまり接点が無い人と、どうやったら仲良くなれると思う?」
仕事あがりに待ち合わせ、いつものようにお花ちゃんを助手席に乗せてドライブしながらそう尋ねるとお花ちゃんはウーンと軽く唸った後で「飲みに行けば?」と即答した。
「結構な頻度で会うけど、連絡先も知らないんだよ」
「何、仕事関係?」
お花ちゃんには最近、結婚に関する情報を何一つ共有していない。
「うん」
「それならお前、得意じゃん」
外ヅラいいんだからさぁ、と笑いながら続けるお花ちゃんに「素の私だとまずいかな?」と聞くと、再び唸ってから
「お前、怖いからな」と言った。
「怖いかね」
「こえーよ」
そう言ったお花ちゃんの声はあまり笑っておらず、私は「ふーん」と何でもないような返事をした。
道路を照らす街灯の向こう側には真っ暗な沼が広がり、まるで何もないように見える。
私はお花ちゃんに、入籍を済ませたことさえ話していない。怖くて結構。ちょろい女だと思われるよりずっといい。

お花ちゃんから「飲みに行けば?」というありがたいアドバイスを貰ったが、残念なことに山田仕郎の妹と二人で食事に行くことは難しそうだった。
まず、お嬢さんが入院中の病院でもほとんど遭遇しない。
病院で会えれば面会終了後に「ご飯でも食べて帰りませんか」と誘えたのだが、恵美子さんによれば、病院に運び込まれた日を除くと平日はほとんど面会に来ていないそうだ。
「いいのよ、全部私がやっていますからね」
必要なものは全部、自宅と病院を毎日往復している恵美子さんが持ってくる。
着替えのパジャマも下着も全部私物を持ち込んでいて、恵美子さんが毎日持って帰って洗うのだそうだ。
「愛なのよ、愛」
そう、起き上がってプリンを食べていたお嬢さんが言い、恵美子さんはタオルを畳み直しながらニンマリと笑った。
お嬢さんが入院する時はいつも個室で、何畳あるのかわからないが比較的ゆったりした個室では恵美子さんがかいがいしく動き回っており、いつもテレビがついていて酸素の出てくるところからポコポコという水の音がしている。穏やかで、完成された世界だった。

しかし、そんな穏やかな空間がぶち壊されていた時があった。

それは何度目かの急な入院で、私が病院に着いた時には珍しく山田仕郎も来ていた。聞くと、たまたま休みで実家に帰っており、お嬢さんに付き添って恵美子さんと共に来たそうだ。休みだって聞いてないぞ、と思ったが、特に聞かされたところで何も無かったな、と思い直すとどうでもよくなった。ついでに、休みの日はほとんどの場合実家に帰っているという恵美子さんのいつかの発言が事実だということもわかった。

「三郎は本当にどうしようもない」
恵美子さんに突然そう言われて、三郎、誰?と思ったが、義理の父の名前だ。ほとんど目にすることのない山田仕郎の父親である。

「出掛けに、また個室なのか、って聞いて来たのよ。信じられる? ミナトちゃん」

私がぽかんとしていると、山田仕郎が苛ついた口調で「差額ベッド代!」と言った。
それくらい、保険を売っている銀行員なのだから知っている。差額ベッド代とは、健康保険適用範囲外で請求される病室の費用のことである。一人部屋が一番高い。お嬢さんはいつも個室なので、お高いのだ。高級な病室に入ることを確認されたのを、非難されたような気がしたのか。
ぽかんとしたのは、突然同意を求められたからだ。私は山田仕郎を無視して恵美子さんに尋ねた。
「急を要する時にお金の話をするのはどうなんでしょうね」
状況がいまひとつわからないな、と思いながらやんわりと同意すると、「タクシーが来るまでの間に言い出したのよ、ねぇ、仕郎。三郎は何にも手伝わない癖に文句ばっかり言うんだから」と恵美子さんが山田仕郎に話を振った。

「バカなんですよ。うちの父親はバカなんです」
山田仕郎が加わると、途端に話がよくわからなくなる。

「バカ」と言い続ける山田仕郎に「仕郎さんもその場にいらしたんですか?」と尋ねると「いましたが」と喧嘩腰で返された。
「差額ベッド代は、三郎さんがお支払いになるんですか?」
「は? 知りません」
そう言った山田仕郎の横から、恵美子さんが「私よ」と言った。
「私が払うのよ、三郎に言われる筋合いは無いわ」
そうか、恵美子さんが払うのか。私が恵美子さんの方を向いて何か言おうとした瞬間、山田仕郎が「聞こえましたか! 僕は知りません!」と再び言った。

私は考え直し、山田仕郎の方に向き直った。

彼はあまり、誰かを責めたり怒ったりすることに慣れていないのかも知れない。恵美子さんが怒っていることに同調しているだけのような気もした。私に怒ってもどうしようもないことだし、そんなに怒るなら父親に直接言えばよかったのだ。

「それなら、お義父様に決定権は無いとお伝えすればよかったのでは? お金を払う方が決めればいいことですよね。より快適な入院生活を、とお考えになって恵美子さんも個室の料金をお支払いになっているのだと思いますし、その場で誰が入院費を持つのか確認すれば済むことだったのでは?」

山田仕郎は先ほど父親を「バカ」と罵った時と同じような表情を浮かべていたが、それ以上この問題について口にすることは無かった。

代わりに「大体、父親はおかしいんだ。『俺は自分の老後を妻の介護に使うなんて絶対に嫌だ』とかほざくような男なんだから」と大きな声で独り言を言い、真偽のほどはともかく、発言内容の酷さに私は眉をひそめた。

病状説明を受ける為に恵美子さんと山田仕郎が病室を出てしまい、わたしはお嬢さんと二人っきりになった。

お嬢さんが「車いすを押してくれたのよ」と唐突に言ったので、私は笑顔を浮かべて頷いた。
「タクシーに乗るところまで、車いすを押してくれたの。夫にも優しいところはあるのよ」

私は笑顔を崩さないようにしながら再び頷き、山田仕郎が戻ってきても「ご飯でも食べて帰りませんか」と誘うのは無理だな、と思った。

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菊池ミナト

菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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